月 籠 tuki-kago 4
未練がましいもんだと笑う
こんな奈落に落ちようと
お前が怒ると思ってるのさ
癒えた傷にまた穴があく
塞いだところを穿たれる
しるしを惨く踏み躙られる
お前が案じる
お前が悔やむ
お前が
お前が…
あぁ、まだ俺は
会えると思っているんだな
四日ほど遡る。
月は煌々と天に光れど、星明りはひとつたりと見えぬ、不思議な夜だった。橋の上で、弥一は一人見えない川面を見下ろし、さらさらと鳴り響く流れの音を聞いている。
三日前の昼間、何も聞かない政の、その聞かないことが気に障って、何故何も聞かねぇのか、と立ち止まり振り向き聞き掛け、とうに人ごみでまいてきてしまったことを思い出していた。ずっと、後ろを付いてきてくれているなど、あの時、どうして思っていたものか。
遊里を一軒、一軒、一晩ごとに場所を変える。客に抱かれるだけで、何にも聞かねぇでいてくれる女の、首の細さや、肌の白さだけ目に映して、寝落ちる寸前まで飲んで、飲みながら、時折、思わずにはいられなかった。
おめぇは
俺の何を知ったら
離れていくんだろうな
誰から、何を、何処まで聞いたか、問い質したことはない。政之助も言いやしない。だから知らない。何をもって、あいつが俺を許しているか。つまらねぇ、どうだっていい、と、そんなふうには、政のことをもう思えない。いくら強がっても、もう無理だと分かる。
自分の持てる何を利用したって、もっと近くに手繰り寄せときたい、なんて、ほんの数日前は思っていたのにな。とんだ自信だったよ。手繰り寄せたいその糸が、手を触れずとも、ぷつん、切れそうだ。
「…ふ」
欄干の上に両手を付いて、身を乗り出して、見えない水面をぼんやりしたまま眺める。橋と川なんて何処も似たようなものなのに、こうしていると、あいつが声を掛けて来そうに思う。
そう思っている自分に、怖気が立って。
その時、弥一は己に近付いてくる気配に気付けずにいた。気付くより先に、目の前が、真っ暗になったのだ。
酷く、覚えのある匂いがする。薄暗がりだ。目を開けた瞬間は何も見えなかったが、うっすらとだけ瞼を持ち上げたまま暫し待てば、目が慣れてきてものの輪郭が浮かんで来た。
狭い部屋。窓はない。ぴったりと閉じてはいても、立て付けの悪さから少しの隙間を作る木の板戸。そこから光の筋が差し込んで、僅かばかりの明かりを与えてくれていた。眼球だけ動かしてそれと見て取り、弥一は細く息を吐く。
体を動かさないようにしながら、四肢の自由を確かめたが、腕も、脚も、自由ではなかった。明かりを漏らす隣室から、低く声が聞こえている。首を持ち上げて、聞いた。
殺すか
いや 待て
すぐじゃなくてもいいだろう
だなぁ やっと見つけて
あぁ これからさぁ…
そこまで聞けば、もう分かる。弥一は目を閉じて、首を楽に床へと下ろして、息を細く、細く吐いた。聞き覚えのある声かどうかもう覚えても居ない。でもそこまでの恨みを持たれているならきっと、白楽、の関係だろうと。
ほらな
罪は
そう簡単に拭い去られてくれたりは
しないものなのだ
裂くなら俺を、俺だけ、を
閉じていた扉が、がらり、音立てて開く。蝋燭の明かりが目を焼いた。知っているよな、いないよな。けれどもよく知った人種が数人、転がされたままの弥一に近付いてくる。
弥一は笑った。不思議な感覚だった。何がおかしいと怒鳴られ、無防備な腹を蹴られ、泥のついた草履で顔を踏まれながら、おかしくって仕方がなかった。最悪の状況だってのに、こんなに楽なことはねぇ、と思ったからだった。
こいつらは、俺と、同類だ。子供を殺し、女を殺す輩だ。だから、無理してきれいな振りなんか、しなくていいんだ。暴かれることや、知られることに、いつも怯えていたんだって、生々しいくらいに今分かる。
だって、あいつらは
知ってたって、本当には知らねんだ
あいつらは
ことにあいつは、きれいだから
蹴られて嘔吐した。血の味の唾液も味わった。着物を剥がれ、好き勝手に体を貪られ、男たちは交代で弥一の体を穿った。人形か何かみたいに、抵抗ひとつしない癖して、浅く喘ぎ続けては、放つものは放つ体を面白がり、いつまでもなぶった。
与えられるものは暴力と快楽以外何も無く、なぶるたび体はどんどん汚れるから、洗い流す為にぶっ掛けられる水を、顎を開いては飲むだけだった。
放置されている時間は、それでもある。だからその時、考える。何日経ったろう。三日だろうか。それとも四日。ただでも肉の無い体は、余計に薄くなったろうなぁ。妙な姿勢で犯されるから、背中が傷付いている気がする。ぬるぬるしているのはきっと血だろう。
そういや夕べだったか、背中の跡を、面白がった誰かに刃物で切られた。腕の墨の跡も、この程度で許されやがって、と、何度も足で踏みにじられてたようだった。
せっかく、おめぇが、あんな大事に
大事に大事に、していてくれたものを
言わなくたって、隠してたって分かるさ
おめぇさんは、嘘がつけねぇから、な
段々と、意識が遠のいている時間が長くなった。一思いに殺す気はないのかもしれない。こうして嬲りながら、とうとう衰弱死するまで、ぼろ布のようにされ続けるのかもしれない。
あぁ、死んでからおめぇがもし、俺の姿をみたら、さぞや酷ぇ想いをするだろう。死んでなかったらもっと酷い。なんとか救おうとして、元通りにしようとして、必死んなって、またいつかのように、己の心を千切るようにするんだろう。
政
政、
そんなにまで、もう
しなくていいから
弥一の意識がまた途切れた、その数時間後に、彼の体は抱きすくめられ、そうして、抱え上げられた。出来うる限り急いで、でも可能な限り静かに、夜のやっと明けかけた時刻、運ばれた場所は、川の傍。
戸を乱暴に叩かれ、寝ていたのを起こされた医者の息子は、運び込まれた患者の姿に、一気に眠気を飛ばす。横たえる場所を急ぎ開けて、薄い布団の上に、まずは俯せに。
真っ赤な色に濡れた背中から、血の匂いが、目に見えるのではと思うほど、濃く立ちのぼっていた。
続
ちょっと短いですけれど、キリがいい感じなのでここで。思ったより陰惨なことにしてしまった、ような…。でも重症患者にはなってしまう予定だったので、すみません。今から看病、しますからっっっ(>_<)。
てな感じの四話となりました。それではこんな状況ではありますが、また二か月後くらいに書きますねっ。ありがとうございました。
15/09/13