月 籠  tuki-kago 3







虫に巣食われ 腐れた様も
それでいい って 言うんだろ
全部を知っても いねぇくせにな

踏まれて 穢れて 居直って
歪んで 濁って 朽ちてる様を
気付かれたくねぇ 愚かさだ

俺が差し出す 目隠しを
黙ってしている お前でもねぇ
そんなに見るな 近寄るな

逃げてぇ 消えてぇ 闇の底





 あの日、気配を感じて、おたけは戸を開けた。誰がそこに居るか、きっと彼女は分っていたのに、それでもぎくりと息が止まって、喉奥が苦しいように引き攣れた。あれは、どうしてだったろう。

「イ…」
「…あぁ」
「どうしたの? 今日はあたしんとこ? 構わないわよ」

 決まった住まいを持たない弥一は、毎夜、何処か仲間のところで夜を過ごす。常の通りのことだろうって、なんにも思わぬ口振りを、見透かされていることは分かってた。でも、おたけは口元に笑みを刷く。闇に殆ど飲まれる様な、そんな態で立ってる弥一の身が、ゆら、と今にも倒れそうに揺れていたから。

「そんなに飲んでるの? 今、お水」

 何でもない声で、言ってそのまま身を返し、その背へついて入って貰おうかと思ったのに、弥一はそこから動かない。

「イチ、さん?」

 実際、以上の暗がりに、弥一がいるように思えた。伸べた自分の手なんかでは、とても届かない気がして、家の奥から弥一を呼ぶしか、おたけには出来なかった。怖かったからじゃ、ない。少し、ためらっただけだ。

「夜は冷えるから、酔った体に悪いじゃない。そんな暗いとこにいないで、こっち入っ…」

 けれど唐突に、後ろの闇に吸い込まれるように、弥一の姿は消え失せた。そうしてその闇の奥から、言葉がじわりと、滲んできた。

 生憎
 暗がりの方が
 いいのさ

「イチさん…」

 も一度下駄を突っかけて、夜の中に駆け出たけれど、そこに弥一のいた気配すら、もう無かった。ただ、ひいやりと、闇が冷たかった。

 あの時、銀太の。あの子のことは引き留められたのに。ぽつり、項垂れるようにおたけは思う。伝えなくちゃって、手を触れて、ほんとの気持ちを言えたのに、どうして今度は、出来なかったんだろ。でもその答えも分かってる。

 だって…。
 言えないことを抱えてるのは、
 あたしじゃなくって、
 イチさんだから。

 しんしんと、闇と寒さが深くなる。弥一を飲んだままで、怖いように濃く、重く。おたけは開いたままの戸に手を添えて、何も出来ずに立っていた。

 



「あっ、す、すまぬ」

「申し訳も…っ」

「いや、こちらは大丈夫で」

 もともと、人の流れの中を歩くのが得手ではないからか、政之助はよく人にぶつかられている。腰に刀があった時より、余程多く。それこそ頻々と。きょときょとと、余所見のせいもあるらしい。おたけは振り返り振り返りしつつ、その気持ちもよく分かっていた。

イチさんが、居やしないかって探してるのね。

 でも、不思議。政はあんなに背が高くって、いつだって頭ひとつ、ひょこりと抜け出ているのに、人塵の中、馴染んで埋もれてしまいそうに見える。比べてイチさんは…。いつも、どれだけ人と近くったって、ほんの少し、離れて見えてた。今は? 今も?

「おたけ殿、まだ、歩くので…?」

 立ち止まって、ぼんやりしてたおたけに追い付き、その横で心配そうに背を丸めて、政之助が問い掛ける。

「もう少しよ」

 言葉の通りに、もう少し。町を抜け、細くなってく道を行き、そうしておたけが足止めたのは、ぐるり緑の覆う場所。

「ここ、ね。前にイチさんに」
「弥一殿に…?」
「教えてもらった場所に、似てるの」

 そう告げれば、見るからに政之助の肩が、落ちた。弥一がそこに居るのでは。おたけは居場所を知っていて、連れていってくれるのではと、少なからず期待していたせいだった。

「前に…」
「そうよ。随分前」

 此処ではないのに懐かしげにして、深く笑んで、遠く語るような声になる。

「…あたしが、外に出られたばかりのころだもの。カエデがきれいに色付く頃でね、眺めながらイチさんと、お酒を飲んだの」

 美味しかった。

 そう言って、笑って、おたけはその場に屈み込んだ。裾をおさえて膝曲げて。政之助の顔を見上げて、座ったら?と、言下に。

 政之助は言われるままに、其処に膝を付き、おたけと少しは目の高さを同じくして、カエデを見た。さやさやと吹いている微風。光浴びながら揺れている、美しい緑の葉。未だ色付きの見えない、カエデのひとつひとつの五葉の形を。

 何故、此処に自分を? そう聞くことのない政之助に、やがては逡巡しながら、おたけが口を開いた。

「…あたしね、イチさんのこと、怖いと思ったことがある」

 政之助の眼差しが、真っ直ぐにおたけを見た。

 あぁ、政のこんな目も、あたしは怖いわよ。
 もうずうっと前のことで、今更どうしようもないのに。
 後悔しなくちゃ、って、せめて、思いたくなる。
 
「イチさんね、あたしの居たお店に来てくれて、何度目だったか、こう言ったの」


 お前も、
 子を、産みてぇかい?
 女は誰でも、
 産みてぇもんか?


 思い浮かべたあの日の弥一の声が、はっきりと脳裏に聞こえた。ぶる、おたけの肌が震える。思い出しても、まだ怖い。あの時は体を、ひとつに重ねていたから、怯えたのもきっと弥一に伝わった。

 黙っていたら弥一の手が、愛撫なんかじゃない手付きで、おたけの腹を探って、子の授かるところに触れて、撫でて。乱暴な触り方じゃあなかったのに、怖くて怖くて、しようがなかった。なんで? どうして。イチさん、そんなことを言うの? どうして、そんな怖い触り方をするの?

 その時、自分がなんて答えたのか、おたけは覚えていないのだ。抱かれたままで眠って、目を覚ました時には、もう弥一は居なかった。身請けされたのは、その次の時だ…。

 おたけは逸らしていた目で、自分を見ている政之助と視線を合わせた。今、苦しいのは、悲しいのは、あの時傷つけてしまった自分が、ぎりぎりの時になって、きっと、弥一を救えないって、もう分かってしまったから。


 産みてぇか。
 愛せないかも、
 しれなくても。


 聞こえなかった筈の弥一の声が、今になって、こんなふうに聞こえてくる。お願い、お願い、あたしには出来ないことを、政。

「政…」
「…なにゆえ今、それを」
「政、イチさんは…」

 居て欲しい、って、言われなかったの…。だから、信じていいものの中に、きっと今もそれを、数えられない。むしろ、憎んでしまって、いるのかもしれない。母子を見る昏い眼差しを、おたけだって何度も見てる。見ては、いつも見ないふりして。

 おたけの目の真っ直ぐさが、不意に弱ったように、折れて、政は視線を引くように、すくりと首をもたげてカエデを見た。

「次は皆と、ここに」

 その頃はこのカエデの色は、赤く色付いているだろうか。あの痕のように。












 弥一が出ねぇ…。っていうかさ。政とおたけしかいないじゃありませんかっ。惑さんね、弥一みたいな経験したこと無くて(当たり前だ)中々イチさんの想いが分からないんです。どうしたらいいのかしら。感性を研ぎ澄ませたい。

 次回、多分、意外?な展開。よかったら読んでやってくだされ。



15/07/22