文 ; JIN




『          』 第三話









 明け方日が昇りきる前から移動をし、野を越え山を行き里にようやく着いたギンコを出迎えたのは、半泣きになっている里人だった。先生が、と口にしたのでそれですぐに分かる、おそらくギンコの予想した通りだろう。
 家に入ると家の中は澱んで見えた、弱っているものがいるので集まってきた蟲が大量にいるのだ、ギンコはまず家の中すべての窓や戸を開け放し、 それからようやく化野と患者がいる部屋に向かった。苦しむように寝そべる男のそばで、項垂れている青い衣をまとった男は、髭を生やし髪もボサボサで、これではどっちが患者かわからない。
 おろおろする里人の前でギンコはポケットに片手を突っ込み、蟲煙草をふかす。ぷかりと浮いた煙が追いかけるように澱みを外へ払うのを見ながら、おもむろに手を伸ばした。

「寝るな」

 すぱーんといい音がした。ぎょっとする里人を尻目にギンコは背負っていた木箱を下ろす。う、と化野が動いた。
「ギンコか…?」
「寝ぼける暇があるならさっさと状況を説明しろ」
 頭をはたかれたのにこの反応、よほどまいっているのだろうが無理もない。医家の腕では無理で弱っていく患者を見ているしかない現実は、時間が長引けば長引くほど医家の心を蝕んでいく。諦めや怒り、悲しみと不安、それらすべてに襲われるのだ。
 しかし、手遅れにならねぇうちに、と囁いた言葉は化野を奮い立たせるには十分だったようでてきぱきと状況を説明し始めた。熱を計った時刻、温度、せきをした回数までも。何を言われたのかまでは語らなかったが、感謝の言葉を言われることが少ないのは医家の自分よりギンコのほうだと分かっているので言わなかっただけかも知れない。
「お…前が、例の、」
 男は弱りながらもギンコに蔑むような目つきを寄越してきた、得体の知れないものを扱う者は、同じく得体が知れないようだ。
「口の中を見る」
「触、るな」
「化野」
「ああ」
 こういう状況でもまだ人を差別する気力が残っているのなら、まだ大丈夫だということだろう。人は窮地にたたされるとなんにでもすがりつく、それをしないのは彼がまだそこまでには至っていないということだ。
 口を開けさせて中を見る、中を覗くと喉の奥に仄明るく光る何かがあった。ゆらゆらと揺れて金にも青にも紫へも変わる美しい光は、まるで水底にゆらめく水草のようで。ああ、とギンコは思った、誰しもが見えるものではない、化野にもこの里人にも見えることのない明かり。美しさで魅了するそれは、ただ心を奪われるには恐ろしいものでもあった。
 調書に書いてあるとおり、作業をしようと用意してきたものを木箱から出し、準備をする。化野に言って湯を沸かし薬草を数種類とあわせる、これは蟲を離すための準備。そして、後は暈火の前に食い物を出せばいい。そうすれば暈火はそれを食うために出てきてくれるだろう。松明に火を灯し、ギンコは患者に少し我慢するように言って、燃え盛る炎を、そこへ――――――。



 うめき声が一瞬と悲鳴が上がった。
 見えていない者には何が起こったかすらわからない出来事。化野が男を見たが、その後にギンコを見、すぐに里人を呼んで松明の火を始末させる。そして何度もギンコの名を呼んだ。
 ギンコは意識を失い、動いてはいなかった。









第四話
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