文 ; コオリノ






『          』 第二話











パキ、と炎の中で小枝が弾ける。
 冷え込む星空の下、揺れる橙の色をぼんやりと眺めながら、ギンコはもう何度目か…馴染みの医家がウロ守伝いに寄越した文の内容を…否、内容だけでなく、その常より少々形の崩れた筆文字ごと頭の中で反芻していた。

 『 毎度のこと乍ら前略 元気でやっているか
   実を言うと 今朝うちに寄った行商人から 山向こうの里でお前を追い抜いて
  来たと聞いてまだ近くに居るものか此処へ向かっているものと踏んで お前を
  当てにしている
   治療に掛かって三日目の患者が居るのだが 俺の診る限りでは原因が
  掴めないのだ
  患者の訴える症状は次の通り
  
   一、喉奥に物が痞えているかのように感じる
   一、朝方酷く咳が出る
   一、晩に床へ就いてから四半刻ほど 喉奥が尋常ならぬ熱を帯びる
   
   昼間は特に難儀することは無いそうだが 突然こうなったのだから何処か
  患っていることには違いない
   思い当たることがあれば 一先ず返信願う  草々
                              
   ××三卯年○月○日    化野
   
   ギンコ殿 』

 文が届いてからまだそれほど時間は経っていないが、受け取ってすぐに『明日中に着く』とだけ返信をしてから何度も読み返していたので、一字一句すっかり憶えてしまっていた。ギンコは無意識に外套の隠しに手をやり、そこへ仕舞ったはずの文の存在を確かめる。自分の体温で少し温(ぬく)まった和紙を指先でひと撫ですると、ついでにそのまま奥を探って蟲煙草を一本取り出し火を点けた。

 蔵どころか座敷まで埋めてしまうほどの珍品好きなので、毛色の変わった己の見目も少なからず化野が気に入っているであろうことは確かだが、まさかそれだけの理由で、傍から見ればヤブとも取られかねない蟲師に大事な患者を委ねるはずはない。あれでなかなか医家であることには真面目な先生なのだ。
 …そう考えると、“珍品”としてでも“蟲師”としてでもなく、医師と蟲師に共通する部分――対象は何であれ“療ずる”ということ――についての腕を認められ、さらにそれを地道に今まで磨いてきた自分自身の存在までもが化野に認められているように思えて、知らずギンコは背筋が伸びた。

「……いや、まあ……どうあっても患者は助けたいもんだしな」

 夜半の山中、当然聞くものは誰もいないがギンコはつい、言い訳するように独りごちた。
 化野はきっと、尽くせる手は尽くすだろう。その"手"の中に、自分の存在も含まれているということだ。自惚れそうになった自分に言い聞かせる。

「心当たりも…あるには、ある」
 
 またもひとり呟くギンコの目の前で、燃え上がる焚き火の揺らめきが一箇所、ふつ、と途切れ宙に浮かぶ。そのままそれは蝋燭の炎のように小さく揺らめきながらこちらへ漂ってくるが、すぐにまた焚き火の方へ吸い寄せられるように離れていく。しばらく焚き火の周りをゆらゆらとうろついた後、やがて燃え盛る橙に同化した。
 高い熱を食べて、さらに高い熱を排泄する、という習性を持つ蟲で、排泄した熱が淡く光を放つ様子から"暈火(かさのほ)"と呼ばれている。
 今のような寒い時期、暈火が焚き火や火鉢等の熱を喰いに来ると、それそのものの外側にもう一重ぼわりと熱を帯びたようになるので、少々離れていても暖がとり易く、草の宿りが多いギンコとしては暈火の出現をありがたく思ったりする。
 そんな、馴染みの蟲なのだが――

 暈火が人に憑いた、という記録を読んだことがある。
 その記録は随分古いもので、しかもその一例しかなく、書き記されている習性や描かれている蟲の姿は暈火と酷似しているものの、はっきりと蟲の名は書かれていない。それ故に、本当に暈火が稀に起こすことなのか、実は暈火でない別の蟲が起こすことなのかが不確かなので、蟲師連中の間では信憑性の低い調書として扱われていた。
 しかし、化野の文を読んだ時、ギンコの頭の中でこの調書の事が閃いたのだ。
 化野が知らせてきた患者の自覚症状は、文の上では三点にとどまっているが、件の調書ではそれらの症状の他に、さらに別の症状が患者の身に現れると記されていた。
 もし、暈火…もとい調書に記されている蟲が原因となっているのならば、患者の具合は悪化の一途を辿ることになる。
 信憑性に欠ける調書ではあるが、幸いにも患者から蟲を引き離す方法は明確に記されており、それと判ればすぐ対処できる可能性が高いのだが、ただ、蟲の視えない者では不可能な方法だったのだ。
 いくら腕の良い医者でも、正体のわからぬものをどうこうするのは難しい。

「…とりあえず、さっさと寝るか」

 そして、さっさと化野のもとへ向かうのだ。

 じわじわと昂ぶる神経を抑えつけるように、ギンコは煙草の煙をゆっくりと吐き出した。











第三話
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