草 彩 の 記 憶
川に沿うその道に、草の香りの風が吹いている。それには色などないけれど、彼の目にだけ、ほんの微かな若草の彩が映っていた。…夢見るような澄んだ瞳の青年だった。
天然理心流、沖田宗次郎。
その瞳がふと、道の脇へと逸れる。
明るい日差しの下、風に揺れる草の中で、眠っているのが土方だと、彼にはすぐ判った。沖田より十近く年長だというのに、まるで、やんちゃな子供のような、その四肢を投げ出した格好。
道の上から両脚しか見えなくとも、彼を知るものには間違えようがない。無防備過ぎるほどの姿だが、これでもしも、敵意を持つものが近寄れば、野の獣のように敏感に、彼は飛び起きるのだろうと思う。
にしても、こんなところで。稽古の始まる刻限は、とうに過ぎているというのに。
そう思う沖田も、その同じ稽古に向うところで、刻限破りは必至の身。並んで叱責されるところを想像し、脚を止めながら、沖田はくすくすと笑った。
「土方さん」
起きるだろうと思って、普通に声をかける。だが、土方の体はぴくりとも動かない。
どんな顔をして眠っているのだろう。不意に興味が湧いた。寝顔など、そういえば、見たことがない。それとも土方は本当は起きていて、自分を無視し、稽古をさぼるつもりなのか。
ずるいなぁ、それは。
唇を尖らせて、拗ねた顔になりながら、沖田は草の中に足を踏み入れ、土方の傍に膝を付いてみる。やはり草はらに投げ出された体は動かない。
草の向こうに、半ば隠れている顔は、蒼いほどに白く見えて、一瞬、土方が倒れているのかと、彼はいぶかったのだ。
「土方さん…?」
手を伸ばし、草をよけて顔を覗き込む。そこには、穏やかな寝息を立てる土方の顔があった。薄く開いた唇には、傍らに生えている草の数本が、風に揺れて触れていた。
ほっとすると同時に、心の中の気持ちが、少しだけ違った方へと動いた。
…ずるい。
まだ稽古をさぼる気だと、疑っているのか。心配した自分の気など知らず、安らいで眠る姿にそう思ったのか。それとも、それは彼の唇に触れる草を、羨んでの言葉だったか…。
土方の顔の傍の草をどけて、その場に両膝と両手をついて、沖田はゆっくり、身を屈める。
顔が近付き、彼の息が寄せた唇に届いた。その息遣いを、壊さずそっと摘み取るように…沖田は…。
その後、沖田は一人で道場に行った。急ぐことなく、のんびり行って、飽きるほど説教を喰らった。土方を見なかったかと問われたが、唇で微笑みながら、彼は知らないと言った。
今日の事は、誰にも言わない。きっといつまででも自分だけの秘め事だ。土方自身にも、勿論教えない。教えられる筈もない。
ずるいなぁ。
三度目に思って、沖田は軽く下を向く。こんな秘め事をこっそり抱える自分を、そうやって「ずるい」と思い、笑みを深めていたら、なお一層酷くしぼられた。
それでも、沖田の唇の笑みは薄らがなかった。
それは、風の心地よい、夏の日の記憶の一欠片。多摩の川縁で拾った、彼の大事な宝モノの一つ…。病んだ彼の身のうちにも、変わらずにある、過去の輝きなのだった。
終
よくあることなんですが、何かにとり付かれたように、今まで考えても見なかった小説を書いてしまうことがあります。今回もそれ。
私は沖田相手の土方は、攻め派なんですよ? でもこの話、なんか沖田×土方っぽくはありませんか? しかも土方、ずっと寝てるし。ちゅーされて、目も覚まさないなんて、それでもタラシ男なのかい?
でも、情景が目に浮かんで、楽しく書けました。このお話は、いらない、嫌だ、と言われても、押し付け状態でシロさんへ。笑。
シロさんの話が脳裏にあって、この話が浮かんだんだと思うんだ。ありがとうございます。えへへ。
蒼月って話がありますが、その沖田が、発作も治まって眠りに落ちて、その時見ていた過去の夢…という感じでしょうか? ちょっと、そう考えると痛いですよね。ごめんなさいです。
06/08/03
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