蒼 月
天にあるのは、蒼いほどの満月だった。そのせいか月明かりで見る総司の顔は、心を潰されるほど青ざめて見えて、歳三は無駄にここまで付いてきてしまった。この向こうの町に用がある、などと下手な嘘をついてまで。
「…ふふ、いいですよ、そういうことにしておきましょうか、土方さん。理由はどうでも、私は嬉しい」
ここまで歩いている時、総司はそんな事を言って笑う。こんな子供染みたことをいう奴だったろうか。
着物の裾から時折見える、総司の足首は細く、カラカラと鳴る下駄の音が、ただ平和染みて奇妙だった。新選組副長と、一番隊隊長の道行きだというのに。
「じゃあ、おやすみなさい。寄り道をせずに戻って下さいよ。何かあったら私のせいにされそうだ」
そんな事を言って、総司は歯の先を見せて笑い、さらりと障子を締めてしまう。もう明け方に近い刻限だから、総司の世話をしている女が、支度して帰ったのだろう。障子の閉じる前に、畳に敷かれた夜具が見えた。
ふと見ると、庭先に紅い椿がある。
明け方の白く霞んだ空気の中、一株の椿。閉じた障子の向こうに、もう夜具にくるまったらしい総司の気配を感じながら、歳三は渡り廊下の隅に、刀を置いて腰を下ろす。
血の色。
椿の色は、まるで血のようだ。あの時、総司の胸を汚した血も、椿の華を抱くように見えたから、この華を見るたびに思い出す。唇に、錆びた鉄の味が滲んで広がった。
まるで、零れる血を掬い取るように、咳き込む総司の唇を塞いだあの時の衝動に、今も付ける名前はない。ただ、あの苦しげな息遣いを…咳き込むたびに零れる血を止めたかった。
…ああ…土方さんは、凄いなぁ。
無邪気な物言いで、総司はあの時言ったのだった。赤く染まった唇で、変に明るく笑って、彼はこう続けた。
…だって、ほんとに『まじない』みたいですよ。不思議だなぁ…。
あの笑い顔が、いっそ儚げに見えるようで、歳三は行き先のない回想を振り払う。立ち上がろうと、刀に手を伸ばすと、腰下で床が、きしりと音を立てた。
その途端に、彼からは離れた障子が開く。
開いた障子に掛けられた、総司の白い指先が震えていた。指に続いて、青白い顔、そうして見えた総司の頬だけが、ほんのり紅い。きっと熱が出てきたのだろう。その後は、大抵、咳が止まらなくなる。そうしてまた、総司は血を吐く。
「帰るんですか? 帰るんなら、その前に…土方さん」
あの時、唇を触れ合わせた一瞬に、息が楽になった。
喉をせり上がる血が、不意に止まった。そう、総司は言う。
けれど、そんなもので咳が止まるものか。
そんなもので血を吐かずに済むように、なる筈もない。
無論、病の治る筈もない。
だが…
二本の刀を手に持ったまま、歳三は廊下を軋ませて、総司へと歩いた。障子につかまって、ようやく立っているその体を支え、部屋へと押し戻すように、自分も中へと入る。
もう、信じてもいない『まじない』くらいしか、くれてやれるものはない。
冷たい月明かりの蒼は、その部屋の中に入りたがるように、閉じた障子の上へと突き刺さっていた。
了
初めて書く新選組です。好きだし、いつかは書きたいと思っていましたが、読んでくれる人がいないと、少々腰が重い時のある私。
そんな私のお尻を、うりゃっ、っと蹴飛ばして書かせてくださった。シロさんに感謝!
やはり史実ものは、敷居が高かったですし、まだまだ雰囲気が出ていませんが、書くとますます好きになれるのですよ。なので、もっと色々、この世界を書いてみたいです。
この小説は坂内シロさんリクエストなので、シロさんのサイト、「Wiper.」にも置かせて頂いています。
リンクのページから飛べますー。
06/03/29脱稿
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