07/11/07
… くすり …
「痛みますか…?」
「歩いたりすると、少しな」
「では、まだ歩かないでください」
淡々と言われて、土方は眉をしかめた。歩かずに済むくらいなら、そりゃぁ黙って座っているが、行軍はしなければならないし、指示を出すのにだって、座ったままでばかりはいられない。そんな彼のしかめた眉を見て、島田は項垂れてぼそりと付け加える。
「すいません。無理だと判っていて言いました。貴方が心配なので、動かないでいて欲しいという俺の勝手な望みです」
そうして島田は突然に険しい顔をして言う。普段は温和すぎるほどなのに、ほんの時々、島田は変わる。大切な人を傷つけられた、その時だけは。
「貴方を撃った奴が、判ればよかったのに。そうしたら、俺が一時だって許しちゃおかない」
土方の足に触れている島田の大きな手が、そう言った一瞬に熱くなる。そんな彼の様子を眺めて、土方は何とも言いようの無い、不思議な心地を味わうのだ。
男と生まれた以上、
誰かに守られるなんざ、恥なだけだと、
そう、ずっと思っていたが…
「島田」
「はい、副長」
「今は…土方でいい」
「はい」
今は二人の傍に、他のものは誰もいない。ただ、風の音がするだけだ。島田は大きな体を縮こまらせ、土方の片足の裏を、手のひらで包むようにしたまま、そこに顔を寄せる。まだ癒えていない傷跡に、島田の温かな唇が触れ、舌先が愛しそうに指をなぞった。
「少し熱い。熱を持っていますね…。軟膏を付けた方が」
「あ…後でいい…。しま…だ…っ」
「はい、副長」
「…土方…って、呼べって…」
布団の上で仰け反って、土方は文句を言った。どこか甘えたようなその響きを、聞き分けるのは島田だけだ。彼のこんな姿を見るのも島田だけ。着物の襟をはだけ、怪我の無い方の膝を開き、誘うように身もだえしていた。
「…土方さん」
「ん、ぅ」
足の小指を、口に含まれて小刻みに吸われる。合間に指と指の間を舐められて、土方は腰を跳ね上げた。そのまま抱え上げられ、裸に剥かれて島田の膝の上に、向かい合うように乗せ上げられる。その後は、普通に歩くよりも激しく揺さぶられたのだが、足の痛みなどあまり気にならない。
すいません
大丈夫ですか
もう、やめますか
時折囁かれる島田の声が、何よりよく効く薬なのだろう、と、土方は思っていた。手放せねぇなぁ…と、そう呟いた土方の言葉を、島田は何も聞き返さず、暫くは心の中で、意味を考えているようだった。
終
07/11/30
… 知らざるも恋 …
その日は酷く冷えていたが、稽古で汗をかいたので、土方は素足に下駄を突っかけて、井戸端へと一人歩いてきた。指先も足首もほんのりと赤くなり、寒いとは思いつつ。それでも汗ばんだ体を拭きたいと思ったのだ。
水をくみ上げて、それを砂利の上に置き、首に掛けていた手ぬぐいをその中にちゃぷりと浸した途端、たった今、彼が出てきたばかりの道場から近藤の声がする。見事な気合のその声と、誰かが打ち負かされたであろう大きな物音。
一瞬手を止めてから、そのまましようとしていたことを続行し、土方は地面に膝を付き、襟を大きく肌蹴て胸元を拭いている。と、後ろから近付く足音と、耳に心地いい声が聞こえてきた。
「歳…! そんなところで! よせと言っただろう」
「…勇さん…。別に俺ぁ風邪などひかねぇよ。あんたにゃ敵わなくとも、ちゃんと鍛えてるんだ」
「いいから、そういうことは、風のあたらない家の中でやれ。道場じゃなくて、家の方でだぞ」
後ろに立っている近藤が、土方の襟足を見ていることなど、見られている当人は気付かない。白い白い雪のような肌だ。そこに乱れた真っ黒な髪が、一すじ二すじまといついて、そこらの女などと比べられないほど綺麗で色っぽい。
こんな姿を、他の誰かに見せてやるものか。
近藤はそう思っているのだ。それが土方を独り占めしたい想いだなどと、近藤は判っていない。もう恋に似た気持ちなのだなどと、もちろん知らない。
「勇さん?」
屈み込んでいる土方の姿を隠すようにして、近藤は仁王立ちなり、道場と彼との間の壁になっている。体を拭くのはやめたものの、土方の襟元は大きく開いたままで、これじゃあさっきよりもっと色っぽい。
「あんたの方こそ、熱でもあるのか? 顔が赤いが」
「…? そうか? いや、さっきまで稽古してて熱いからだろう」
恋なのだと気付いているのは、むしろ土方の方だった。想う相手が目の前にいても、そうと気づかれないように、心を隠すのが上手になるくらい、ずっと前からの気持ちだった。近藤を想っていれば体が火照ってきて、秋の風の冷たさなど、何ほどもない。
「今度、また試合ってくれよ。暇な時で構わねぇからさ」
「あ、ああ、いつでもいいぞ、歳」
「約束だからな、勇さん」
涼やかに笑う土方の顔を見て、近藤はますます顔を赤くするのだった。
終
07/12/23
… ある雨の日の記憶 …
ざぁ、ざぁ、と全てを黒く塗り潰すように、大粒の雨がいつまでも降り続く。それが黒い墨のように、あの人の着物をずぶ濡れにしていて、あの人が酷く華奢だってことが、私の目にもはっきりと判った。
どうしたんです?
そう言いたくて言えなかった。
本当は、哀しいんでしょう?
そんな事が言える筈もなかった。あの人は私の姿を見るなり、急に強がって普通の顔をして見せて、顔に流れている涙混じりの雨を、濡れている袖で乱暴に拭った。それから無理に笑って、降る雨に悪態をつきながら、木戸を開けて屯所の中へと戻っていく。
いつもあの人は一人で泣くんだ。誰かに縋って泣くなんて、強がりな心が許さなくて、どんなに辛くても一人で泣くんだ。十も年下の私なんかが手を差し伸べたって、素顔なんか見せてやくれない。
だけど。
その後、私は見てしまったんだ。少しだけ開いた貴方の部屋の中で、貴方は縋りついていた。まるで子供のように、それとも女の人のように、肩を震わせ、嗚咽を立てて、その人に縋って泣いていた。
その日の悔しさを、私は今もはっきり覚えている。貴方にとって、私はきっと年の離れた弟のようなもので、いつまでだって、それは変わらない。なのに貴方は、私と年の変わらないその人になら、そうやって弱さを見せて縋るんだ。
斉藤さんは、貴方に縋られて、泣かれて、守るみたいにして、貴方をしっかり両腕で抱いてた。私はあの時ほど、仲間である斉藤さんを、妬ましいと思ったことはなかった。
あの日の事を、私は今も、はっきりと覚えている。心の痛みと妬ましさと、憎しみと哀しみと、そうして酷い憧れと…。そんな想いと共に、今もよく、覚えているんです。
終
本日は唐突に、沖田さんの独白です。ちょっと哀しい感じです。どうやら彼は土方さんを好きなようで、だけど土方さんは斉藤さんと、そんな中のようです。土方さんは、何か過去のことを思い出して、とても悲しんでいるようです。…や、山南さんのこと…?
そこらへんは読んで下さる方の想像にお任せ。
08/02/03
… 腹の音 …
ぐぅ…。
廊下で島田と擦れ違ったとき、軽く頭を下げたその体の真ん中から、妙な音が聞こえた気がした。腹の音? 他のものの目もあるので、そうそう親しげにするわけにもいかず、そのまま遠ざかっていきながら、土方は微かに口元で笑った。
あぁ、あんなに体が大きいんだから、皆と同じ朝飯では、きっと足りなんだろうな。今度、島田が部屋に来たときは、餅でも焼いて食べさせてやろう。次にこっそり逢瀬するときのことを、心の奥で頬笑みながら思って、押入れから火鉢を出すことに決めていた。
そうしてその次の日だろうか、夜半、廊下を行く足音を、その床の軋みだけで島田と気付いて、土方は不思議そうに立ち上がる。足音は部屋の前を通り過ぎ、そのまま遠くなって行く。その後ろで障子を開け、そっと彼の後姿を見ると、島田は廊下から庭へと下り、大きな背中を丸めて縁の下を覗き込んでいるのだ。
「ち、ち、ちちちち…っ」
島田が舌を小さく鳴らすと、縁の下から、くぅん…と微かな声がして、白に黒のぶちの子犬が、差し出した島田の手に向って飛び出してくる。
「待たせたなぁ、腹、減っただろう。ほら、また今日の夕餉を少し、もってきてやったぞ」
そう言いながら、また島田は、ぐぅ、と自分の腹を鳴らす。大きな手で、己の腹を撫でてなだめながら、愛しそうに犬を見る目の、なんと優しそうなことか。土方は少し、嫉妬に似た気分を味わった。腕の中で眠る土方を見るときには、もっともっと、とろけそうに優しい甘い顔を、島田がしているのだなどと、勿論土方が知るはずはないのだ。
「もう食ったのか。参ったな、足りなかったかなぁ。よし、じゃあ明日はもう少し多く持ってきてやるから、またここで大人しく…。あ」
島田の言葉が止まる。土方は廊下を島田の目の前まで歩いて、丁度懐に持っていた菓子を、島田の顔の前へと差し出した。夕刻、総司から押し付けられた甘い干菓子を、入れっぱなしにしていたものだ。
「…す、すいませんっ」
土方は怒ってもいず、といって、笑ってもいなかったが、人の良い島田は、それを嬉しそうに受け取って、そのまま犬に差し出した。犬はぺろりとそれを食べて、もっと欲しいと尻尾を振っている。
「…馬鹿。お前が食えばよかったんだ、腹なぞ鳴らして、餓えてるんだろう」
「あ、そうか。そういえばそうですね」
立ち上がって頭を掻きながら、にっこりと笑う島田の顔を、土方は見惚れるようにじっと眺める。島田は庭に下りていて、土方は廊下にいるから、珍しくも島田の顔が下に見えて…。
「…島田」
「え…。ひ、土方さ…」
「んん…」
吸い寄せられるように、土方は島田の口を吸った。島田は驚いて目を見開いていたが、土方の唇が離れそうになると、無意識に彼の着物の襟を掴んで引き寄せ、さらに深く重ねる。
「…部屋に、来い。餅を焼いてやろうと思ってた」
「行きます」
お互いに、密やかに声をかすれさせる。腹の膨れた子犬はもう、縁の下の奥の方に行ってしまっていて、二人は誰にも邪魔されない。
餅などと言っていて、今、土方が島田に食わせたいのは、本当はそんなものではなく、もっと白くて柔らかいものなのだ。そうして島田も、同じ事を思っているのに違いなかった。
終
08/02/15
… 黒くて甘い菓子 …
斉藤は町で妙な噂を聞いた。いや違う、おなごたちが茶屋の外に集まって、なにやら楽しげに話しているのが洩れ聞こえてきただけで、不逞浪士潜伏の報とか、そういう仕事がらみのことではない。ない、のだから頭から追い出せばいいものを、その噂話の中ほどで「新選組の副長さまに、差し上げて食べていただきたい」という事場が聞こえたので…。
こと土方に関しては、日頃冷静すぎるほどの斉藤も理性をゆるがせる。おなごたちの話によると、異国の風習で、好きな人に菓子をあげて食べてもらうと、想いが通じるというらしい。その菓子は黒くてとても甘いものだそうだ。ということは、それを自分が持っていって、もしも土方が食べてくれれば…。
そこまで考えて、斉藤はふるふると首を横に振った。市中見回りの最中に、そんなことを考えていては士道不覚悟。それこそ副長にだらしが無いと思われてしまうじゃないか。忘れよう、そんなのは迷信に決まっている。だいたいここは日本で、異国のそんな話なんか…。
ぶつぶつ言いながら、斉藤は屯所の門をくぐる。何事もなかったと、一言報告するために、軽い足取りで副長室までいき、廊下で膝をついて…
「副長、只今もど」
「ん、あぁ、斉藤か。市中、何か変化は? …斉藤?」
斉藤が動きを止めているので、土方は首を傾げて呼びかける。頭の後ろで高めに結んだ髪が、ゆらりとゆれて肩を撫で、相変わらず美しい姿だが、その手元の文机の上に。
真っ黒で甘そうな、胡麻団子がひと串。
「…副長、それは誰が」
「この団子か。総司だ。あのやろう、朝の巡回の合間に買ったらしくて、俺にも一つ土産だとか言って。まぁ、美味いらしいから、今、茶を入れさせようかと」
「それ、俺に下さい」
「お前に? 好きだったか、こんな甘い」
甘いから問題なのです。そのうえ黒いから。
くれるともなんとも返事を貰わぬうちに、斉藤は大またで部屋に踏み込んで、皿の上から団子をひっさらうと、急いで屯所の外へ出た。通り縋った野良犬にその団子を投げてやり、その足でそのまま大通りの甘味処へ。
「おい、団子をひと串くれ。胡麻のだ」
「すいませんねぇ、さっき売り切れちまいまして、明日なら」
「…っ! い、いや、他をあたるっ」
かくして忙しいはずの新選組三番隊長は、黒くて甘いものを求めて、全力疾走で甘味処のハシゴ。可愛いところもある斉藤一でございました。買えるといいですよね。
終
つか、これ、昨日、リクエストされたような気がする組もの、ばれんたいん話。ちょこれいとーは出なかったけど、代用品で胡麻団子ね。笑。それにしても沖田の団子はワンコが食す。何気に酷いね、ハジメさん。