月 陰 に 逢 う





 空を、ゆっくりと雲が横切って行く。月は中空にあって、雲はその月を追い詰めるように、酷く緩やかに、空を渡ってゆくのだ。夜半、月光は眩しいほどで、灯りなど灯さずにいても、手元の紙はよく見える。

「月の宵 しるべ刻まん 秋の…。ん、違うな」

 美しい眉間に皺など薄っすらと浮かばせて、土方は庭の隅に立っているのだ。着流しを着て、厚手の羽織を肩に掛け。それなのに足元は裸足に草履。白い筈の足の指先が、冷えているせいでほんのりと赤かった。

「月の灯や 待ち人 …どうもいいのが浮かばねぇ」

 土方はとうとう、渡り廊下の方へ戻って、そこにどかりと腰を下ろした。句をひねろうかと思い立ち、この寒いのにわざわざ出てきたというのに、成果が無しとは口惜しい。それに、待っている相手も、一向に…。

「…いや、別に」

 自分に言い訳をするように、土方は一人で何かを呟き掛ける。と、その時、微かな音が塀の外から聞こえて、彼は何かに期待するように、裏木戸の方を眺めやった。やがてはそこが開き、頭を軽く屈めるようにして、斉藤が姿を見せる。

「あ、斎…」
「見つけた」

 淡々とした言い方で、先にそう言われてしまうと、土方は急に素直じゃない気分になる。元々そう簡単には、人に本心を告げる方ではない。懐に句帳を捩じ込んで「何か用か」と素っ気無く言う。

「用…」

 面と向って用は、と聞かれ、斉藤は近付こうとしていた足を止める。視線は土方の姿を、ゆっくりと眺めながら、変に真面目に答えた。

「用は、別に無い」

 そう…特に隊務に関わることで、探していた訳じゃない。斉藤は今、巡回帰りじゃないから報告がある訳でなし、土方に呼ばれてきたのでもないからだ。馬鹿正直に答えた彼を、冷めた顔を装って眺め、土方は殊更に冷たく言った。

「用がねぇなら、何で探すんだ。お前は時々わけが判らねぇ」
「用は無いが、会いたいと思った」
「あ…会い…」

 これには土方は絶句する。口下手の代表みたいな奴なのに、なんでこんな時だけはっきり言うのか。冷えていた体が内から火照って、土方はついつい苛立ったような声で言うのだ。いつもは自分の感情を制御できるのに、斉藤といると、それが上手く出来なくなる。

「なら、用がねぇってのは嘘だろう。会うってぇのが用事だろうが」
「あぁ…そういうものか。なら、そうだ。あんたに会いたくて、さっき部屋に忍んでみたら、あんたはいなくて草履と羽織が無くて、ここまで歩いた跡があったから」

 斉藤は軽く屈んで、足元の落ち葉を一枚拾う。土方の部屋から庭を通り、建物の裏へと回るこの道筋に、敷き詰められてあるような、いちょう、もみじ、かえでの、色付いた葉。それらがところどころ裏返ったり踏まれた跡があったりして、土方が歩いた先が見えた。

 それを聞いていて、土方の脳裏に、不意に言葉が浮かび出る。


 もみじ葉に  ゆくあと印す  秋の宵 


「出来た」

 思い浮かんだ句を、すぐに句帳に書きとめようと、土方は懐に手を入れるが、斉藤の視線を思い出して、すぐにその手を止めてしまう。斉藤を放って、部屋へ戻れば書き止められる。それか、彼をここから追い払えば…。

 でも、わざわざ会いに来てくれたものを、追い払うのは嫌だった。斉藤が非番だと判っていて、本当は夜半近くまで、来るかもしれないと寝ずに待っていた。なのに中々来ないから、待っていた自分が悔しくて、句帳を持って部屋を出たのだ。

 そんなこと、口に出して言いやしないが。なのに、唐突に斉藤はこう言って、酷く土方を仰天させる。

「あぁ、いい句が、出来たのか」
「な…っ、な…」
「発句が好きなのは知っている。隠すことはないだろう」

 元々懐に隠してある句帳を、無意味にもっと奥まで捩じ込むが、斉藤はそんな土方の隣に来て、自分も渡り廊下に腰を下ろしてしまう。その時、丁度、雲が月を覆い隠し、それまでの明るさが嘘のように、辺りは濃い闇に包まれた。

「月が、やっと隠れた」

 ぽつりとそう言った斉藤の腕が、いきなり土方の肩を抱き寄せた。そのまま強引に抱き締めて、許しなど得ずに抱きすくめ、そのまま深く唇を吸う。ほんの一瞬もがきはしたものの、土方もすぐに抗うのをやめ、斉藤の冷えた背中を、柔く抱いた。

 月の夜は、句がよく浮かぶから好きだ。でも、斉藤が非番で、自分も体が空いている時は、月がない方がいい。他に灯りの無い場所でなら、こうして外ででも、一時、抱き合うことが出来るから。

 ここは、母屋から離れた場所で、それこそ用が無ければ誰も来ない。誰かが家の中から来れば、廊下の軋みで判るし、庭からならば砂利を踏む音がする。外からなら木戸を開けなければ入れない。

 もう何度も使った逢瀬の場所だから、そういえば、斉藤がここまで土方を探しに来たのは。当たり前だったのかもしれなかった。どうせなら、ああして句になるような見つけ方の方が嬉しかったが。

「おい、待て」

 押し倒されて、冷たい床に背中を付け、首に口づけが下りた頃に、急に思い立って土方は斉藤を尋問した。

「お前、なんで俺の発句のことを知っている? 総司がばらしたか」
「…いや」

 そうだ、と偽っても良かったが、それではすぐに嘘と知れる。土方の部屋で彼を抱いた時、意識を失ったように眠る彼に気付かれないように、文机の上の句帳を盗み見たことが、実は、二度か三度。

 書いていたものを慌てて隠す仕草を見れば、土方に想いを寄せる斉藤は、当然気になって仕方なく、気付かれないようにこっそり見て、それが句帳と判って、その都度、安堵したものだ。

「その、机にあるのを、ぐ…偶然…」
「…偶然? 広げて置いてた覚えはねぇぞ」
「あ、後で説明する。今は、その…月が顔を出す前に、あんたと」

 なのに、天空は無情なもので、逢瀬の機会の乏しい二人を、気遣ってなどくれはしない。もう厚い雲は途切れて、目映いほどの月が姿を現した。こんなに明るい明かりの下で、廊下でなんぞ、土方が許すわけはないから、斉藤は土方の上からどいて、恨めしげに月を睨んだ。

「睨んだって、月はどうともなりゃしねぇよ」

 土方は身を起こし、さらりと立って襟元を整え、冷たいほど素っ気無く、斉藤に背中を向けて歩いて行く。斉藤は、悔しげに月を見ていた顔を、今度は哀しげな顔に変えて、冷たい想い人の背中を見た。

 その後ろ姿が、角を曲がって見えなくなる寸前、すい、と振り向いて斉藤に顔を見せる。

「なんだ、斉藤、俺の部屋には来ねぇのか?」
「あ、いや、待ってくれ、行く…!」

 慌てて走った斉藤の足元、紅い紅いもみじの葉が、蹴散らかされて散らばった。きらきらと、月の光を浴びながら…。



                                    終












 斉藤×土方で、天空のお話〜。って、あれ? そのつもりが、あんまり月とか空とか関係ないですかね。これ、どっちかっていうと句の話? ってゆーか、結局は、ただの斉土ラブラブ話かい?

 そうだっ、作中のヘタヘタ俳句もどきは、惑い星の作です。スイマセンッ。

 しっかし色々と玉砕だ。まぁ、なんとなく可愛い話だなぁ、とか、思って読んで貰えればいいや。大の男が二人して、可愛い、も何もないですか。まぁまぁ、そう言わず。ねぇ、そう言わず。へにょへにょり。

 少しでも楽しんでいただければ幸いです〜。


07/10/2
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