友の来る家



「おお! 旅の人っ。さぞかしお疲れだろう、さあさ、うちへ寄っていっておくれ。年越しの馳走もたーんとある、美味い酒だってあるよ」
 
 まるで宿屋の呼び込みのようだ、と、ギンコはさっきから思っていた。何しろそんな声をかけられるのは、この里へ入ってからもう五度目だからである。

 里の村長、寺の住職、農家、商いする家、何でもない普通の家のものも、皆、ギンコの姿を見るなり、大喜びで駆け寄って、手を取り、肩に腕を回し、下手をすると、背中の木箱を下ろさせようとしたりまで。

 悪いがギンコはひとつずつを断った。日の暮れるまでまだ間があるし、今日のうちにもう少し進んでおきたかったからだ。それに、理由の分らない温情に、どうしても慎重になってしまうのは、旅暮らす身の性分なのだろう。

 野宿には辛い季節ではあるけれど、懐はそう寒くはなく、それならもう少し先の宿場町で、雑魚寝の宿の方が心身共に休まる。いぶかしみながらもてなされ、落ち着かないまま夜を過ごすよりも、その方がいいと思ってだった。

 けれど。

 里の端まで来て、少しばかり事情が変わった。こん、こん、と咳をする子供が一人、すぐ其処にある小さな家に入っていったのだ。奇妙な響きの混じる空咳に、即座に「蟲」だと判断して、ギンコはその子の入っていった家の戸を叩いたのだった。

 

 
「本当に…っ、ありがとうっ! なんとお礼を言っていいかっ」

 畳に手をついて、その子の両親はギンコに頭を下げた。幸い、普通の蟲下しで、子供の喉に憑いていた蟲は抜け、空咳はぴたりと止まった。

「いや、何。別に礼には及ばんよ。蟲下しの薬の代金も頂いたことだし」

 薬やらを木箱にしまいながらギンコがそう言うと、男は笑顔で台所の方を振り向き、妻にこう声をかけた。

「おい、なぁ、お前」
「えぇ、勿論、あなた」
「蟲師さん、うちはこの通り貧乏な家だから、満足なことは出来ませんが、どうか夕飯なりと食べて、一晩泊まって行って下さい。もう日もこんなに暮れてしまったことだし」
 
 嬉しげに男が言うと、奥から小さな膳が運ばれてくる。言葉の通り、ごく質素な菜だったから、ギンコも頑固に断らずに頷いた。子供に薬を飲ませ、蟲が抜けるまで様子を見守り、もう大丈夫となるまでの間に、もう日はとっぷりとくれていて、近所の家からは年越しの宴の賑やかな声も聞こえていた。

「いやぁ、こんなことを言ってはなんだが、嬉しいことだ。まさか我が家に旅の人がお泊りとは、きっと良い年が迎えられる」
「…つかぬ事を聞くがね」

 ギンコは酒の盃を干し、漬物を齧ってから尋ねた。

「この里のもんは、なんで旅人を家に招きたがるんだ? ここは何度か通った事があるが、前はこんなじゃなかったと思うんだけどな」
「あぁ、それはなぁ。今日が晦日だからだ。暮れの宵、遠くから来た客人に馳走すれば、その分、翌年の幸が増える、と言われているからだよ。うちはこの通り貧乏で、旅の方を呼び止めるのも気が引けるから、いつも別の里に居る友人が来てくれるんだ」

 酒を注いでくれるのを受けながら、へぇー。などと生返事をしていたら、男は自分も盃を傾けつつ言ったのだ。

「あだしのも、もうじき来る頃だよ。遠慮せず一緒に酒を飲んでやってくれ、気さくで気のいい男だから」

 ギンコが箸でつまもうとしていた丸い小芋が、つるり滑って小鉢の中で回った。

「え…?」

「おぅい、酒が足らんぞ、まだあったろう。お前、出してお出で」
「はいはい、すぐに」

 既に赤い顔をしてとっくりを振る夫に、前掛けで手を拭きながら、いそいそと出ていく彼の妻。ギンコが聞き返したのには気付いておらず、男は汁を啜りながら、話を続けている。

「まだ若いんだが、医家をしていてな。年の暮れごと家族だけで過ごす俺らを気遣って、馳走を食べに来てくれるんだよ。一晩泊まって翌朝発って、すぐに自分の里に戻る責任感の強い男で、我が友ながら立派なヤツだと、俺も常々。少々変わり者なところもあるが、それはそれ。情の深い本当に良いヤツなんだ。いやぁ、それにしても今日は旅の方もうちに来てくれて、子の病の故なのに、不謹慎かもしれんが、明ける年はきっと、恵みの多い年に違いない。目出度いことだ、本当に目出度い」

 と、饒舌に続く言葉を、遮る間の見つからないうち、どんどん、と戸を叩く音があった。

「あぁ、来た来た!」

 あだしの、が、来たのだと知って、ギンコは何故か逃げたくなった。医家の化野、と聞いては、他の誰かなわけはない。いつも、少なくはない心の準備をしていたことに、今更ながら気付かされる。しかもこんな見知らぬ家で、自分とあいつ以外のいる場所で。

 知らず腰を浮かせ、木箱へと手の伸びたギンコの姿を、不思議そうに見ていたのは、ついさっきまで囲炉裏端でうつらうつらしていた子供。その子はそれでも、戸の開く音がすると、立ち上がって駆け出して、たった今訪れた人のところへとすっ飛んで行った。

「あさひののおじちゃぁんっ」
「おぉお、随分大きくなったなぁ、元気だったかぁっ」

 あさひの。

 あだしの、ではなく、あさひの。

 歓び迎え入れられ、入ってきた男は顎髭を蓄えた、熊のごとくの大柄な男だった。医家らしい薬湯の匂いをさせながら、囲炉裏を挟んだギンコの向かいに座り、未だ中腰のままのギンコに、ぐい、と頭をひとつ下げた。

「俺は医家の旭乃という。どうも、初めまして」
「あ、あぁ、こちらこそ…」

 不覚にも、ギンコは半ば腰を抜かし掛けて、再び差し出された盃を受け取ったまま、うしろへとひっくり返るところだった。

「あさひの、さん」
「あぁ、中々目出度い名だろう? 年が明ける宴に似合いの名だと言うんでな。生業故に『お茶け』しか飲めんと言うのに、喜んで迎えてくれる友が居る、ありがたいことだよ」

 確かに、目出度い名だと言えよう。「化野」とは正反対と言っていいほどの。態勢を立て直し、ギンコは旭乃から酒を受けた。相手は酒の盃で茶を飲んで、あぐらの膝に幼子をのせ、豪快にからからと笑う、本当に少し変わった気のいい男だった。

 ギンコはその男の気安さにつられて、つらつらと話をする。蟲師と言う生業のこと、自分にも医家の友が居ること、友はここからは遠い海里に居て、そちらへ行く用がなくば、中々会う機会も無いと。

 少し飲み過ぎてしまったのかもしれない。ふわふわと気持ちがよく、暫しのちにやっと気付いた。旭乃の分の膳を自分が食べてしまっていたこと、その分を作るために、この家の夫婦が台所でずっと動き回っていたことも。

 夫婦と、旭乃と、自分と。もう旭乃の膝で眠っている子供と。五人が揃って囲炉裏を囲んだのは、恐らくもう深夜を過ぎる頃だった。もう残り少ない酒を分け、飲まぬ医家には新たに茶を入れ、子供も揺り起こし、そうして太陽の昇ってくる方向へと、皆で頭を下げた。


 過ぎて行った古き年、
 様々受けた恵みに、
 ここにいる一同、
 心から感謝を。
 新たな年に頂く恵みには、
 更により一層の感謝をもって、
 日々の精進を致します。

 
 馳走を平らげ、それから狭い部屋に、足りない布団を皆で敷いて、体を並べて共に眠った。雑魚寝の宿だと思えば慣れぬことではなかったが、それとは違う温かさや安堵を、ギンコは感じ、嫌なわけではなかったけれど、どうしても中々寝つけなかった。

 浮かんでくるのは友の顔。きっと里の皆に招かれて、賑やかな年越しの宴をしていたであろう、化野の姿。幾つもの寝息を聞きながら、ギンコは心の奥で、静かに友のことを思って、何度も寝返りを打った。

 きっとお前も、
 俺のことを想っている。
 そんな気がするよ、
 化野。

 



 知らぬ間に寝入って、気付けばもう朝だった。まだ日の昇り始める前に、旭乃は身支度を終えて帰路につく。ギンコもまた同じ頃には、すっかり支度を終えていて、この家の家族に礼を言い、旅に戻った。

 ほんの少しの間、共に歩く旭乃から聞いて知ったが、あの家の男の名は、神保と言うそうで、しかも所帯を持つまでは旅の薬屋をしていたのだという。旭乃はだから、旅に暮らす彼が訪ねてくるのを、自分の里でいつも楽しみにしていたというのだ。

 あさひの、と、じんぼ
 あだしの、と、ぎんこ

 名前の響きが似ているだけでなく、そんなことまで何処か似ていて、不思議な程の偶然が、妙におかしくて面白くて。ギンコはそれを、化野に話したくて堪らなくなった。

「俺はこっちの道を行く」
「おぉ? あの山を越えるんじゃなかったのか? 夕べ確かそんな話を」「したっけか? いや、ちっとな。急ぎの用事を思い出したんで、友に会いに行こうと思うんだ」
「それはいい、きっと喜ぶ」

 顎の髭を撫でながら、太い笑いを見せる旭乃。

「そういや、あんたの名を聞いてなかった。また何処かで会うかもしれんし、聞かせてくれよ」

 問われて、こだわりなくギンコは言った。

「俺はギンコ。医家の友の名は、あだしの、と言うんだ」
「あぁ? あっはは。名前が似てるなぁ。それであんた夕べあんな顔してたのかい」

 男はまたしきりと顎を撫で、ここで道を分かつギンコに、豪快な笑みをもう一度見せた。

「化野、化野か…。いい名じゃぁないか。生きてるものと死んだものとの間にある名だ。あんたの友はそこに居て、まだ生きられるものを、この世に留める役割を持っているんだろう。医家にこれほど相応しい名もないかもしれん。羨ましいぐらいだな」

 ふと、山の斜面に光がさして、いよいよ朝日が昇って来るのが分かった。それを見て、旭乃は太陽に一礼し、それからギンコに手を振ると、山男のようなしっかりした足取りで、昇る日の方角へと歩いて行った。

 ギンコは道の分かれ目で、彼とは逆の方へと歩く。枯れた斜面に光が反射して、随分と眩しい。日差しは後ろだが、彼にとっての、明るい光のある場所も、あたたかな温もりのある場所も、この方角で間違いはないのだ。

 化野。
 お前はきっと案じただろう。
 俺がまたひとりで、
 淋しい年越ししていると、
 そう思って心を痛めただろうよ。
 でも今年はそうじゃなかったんだ。

 そのことを伝えに、
 まだ春の来ぬうち、
 そこへと辿り着くよ。

 驚く顔が、楽しみだ。












 
 ここを読んで下さる皆様、ご覧にならない皆様にも、昨年中は本当にお世話になりました。

 今年もなんとか年越しノベルが書けました。いつもネタに困るんですけど、今回はそうでもなかったかも。化野は名前のみ出てきましたが、まだ冬の盛りだというのに、ギンコが会いに行くということなので、きっと喜ぶことでしょう。多分連絡もなくいくのでしょうから、彼の喜び驚く顔が、本当に見えるようですね。

 ではでは、これにて元日ノベルと致しますっ。ありがとうございました。今年もどうぞよろしくお願いしますv

                                              惑い星

17/01/01