除夜の鐘と年玉
「なかなかいいだろう」
満面で笑って、あいつは俺の腰のあたりを、上着の上から叩いた。ぽんぽん、ぽんぽん、と。あれは確か、去年の冬の初めのことだ。朝晩は寒いが、日が昇れば暖かくなる時期だというのに、そんなものを押し付けられて、俺は少々呆れたっけ。
「こら、お前、もうちょっと有難がれ! そんなに寒くないって言いたいんだろうが、お前が来るのが早いんだ。せっかくふみを書いたのに」
あぁ、そういやそんなふみを読んだ気がする。馳走を用意するから、正月に来いとかなんとか。でも、仕事しながら旅してるんだ、そうそう都合よく、言われた時期に来られるわけじゃない。
「ありがとうよ」
そう言って、そのあとはいつ来る、とも、また来る、とさえも言わず、俺は化野に背を向ける。こんな根無し草の来るのを待ってるだなんて、本当に変わりものだな、と、もう十何回も思っていた。
そうしてそれから季節は変わる。今日までの間に、二度ほど化野の所に寄ってはいるが、暖かい季節ともなれば、それのことはすっかり忘れている。化野も特に口には出さない。
また冬が来て、雪がちらつくのを見て、寒さと共に俺は思い出した。木箱の抽斗の奥の方からそれを引っ張り出して、今また有難く使っているというわけだ。
夜半になって、一時止んでいた雪がまた降り始めた。風がないのが助かるが、頻りと降り続く雪で酷く視界が悪い。慣れない山道でこの天気では、積もった雪にいつ足を取られるか分からないし、分かれ道もうまく判別できない有様だ。
里に下りるか…。そう思った時、意外に近くからその音が鳴り響いたのだ。
ごぉぉぉぉ…ん。
鐘? 近くに寺があるのか。まさかくちなわの咆哮ではあるまい。それにしても、こんな夜中に…。あぁ、そう言えば、今日は今年の最後の日。ならばしばらくは鳴りやまぬはず。里を目指す自分には有難い。
大雪で殆ど道が消えてしまっているので、俺はその音だけを頼りに進んでいく。慎重に、ゆっくり、そして無意識に鐘の音を数えながら。
ひとつ、ふたつ、じゅうよん、にじゅうはち
ごじゅうご、ななじゅう、きゅうじゅういち
近いと思ったのに、想像していたよりも距離があり、百八の鐘もそろそろ撞き終わるだろうという頃、やっと俺は里に入った。目の前には寺の山門が。そうしたら、いつの間にか後ろにいた里人が、嬉しそうに近付いてきて言ったのだ。
「なんとっ、旅の方だね。あぁ、いいところに来なすったよ! こちらへ、さぁこちらへ」
腕をがっしり掴まれて、抗う間もなく山門をくぐらされる。小さな寺であるらしく、入ってすぐに目に入る鐘つき堂。十人かそこらの里人が提灯なんかを手にその周りに立っていて、俺の姿を見るや雪まみれのままで、ぱぁっと笑顔になった。
「よく来てくれた! 旅の方! よけりゃあ、この鐘を撞いていってくれ、この雪だもんで、人が集まらなくて困ってたんだ。十回は撞いてくれて構わない!」
「十回じゃあ百八を越えちまう。あんたで最後だから、八回だよ、旅の人」
「いや、俺は」
こんな流れものに、と断ろうとしたその時、蟲の気配に気づいたのだ。居る、と思った。近い。しかも相当いる。多分、鐘つき堂の方、いや、鐘の中か。
「ほら、前の人が終わった。次はあんただ。うちの里じゃあなるべく沢山の人に撞いて貰うのが、縁起がいいって言われてんだよ。里が豊かになるって言って。どうか頼むよ、なぁ」
除夜の鐘は、途切れてはならないとも何処かで聞いた。今ここで押し問答している時間も、いろいろ聞いている時間も無いのだろう。仕方がない、蟲を調べるのは済んでからにするか。そう心を決めて、俺は鐘つき堂の中に入った。
鐘を前にして、つられている撞木の紐に手を掛ける。生まれて初めてのことだったが、見よう見まねで大きく引いて、戻ろうとする力のままに、ひとつ目を撞いた。
ごぉぉぉぉ…ん…っ!
大きな音が鳴ると同時に、鐘の中に居たのだろう蟲たちが、一斉に外へと出てきた、ように思った。見えたのは光だ。淡い、ぼんやりとした光。その光の中に蟲が居るのかもしれない。光はすぐに見えなくなったが、消えたのではなく、鐘の中に戻ったように思えた。
「あと七回だ、旅の人」
勿論、里人にこの光は見えていない。蟲の気配など分からない。
ごぉぉぉぉ…んっ
あと、七回。そう思いながら二度目を撞いた。再び光が見えた。光はさっきよりも少し大きく広がった。それ以外、特に悪いことは起こっていない。寧ろ神々しいようにすら思えて。
ごぉぉぉぉ…ん
あと六回。また光。鐘つき堂の外までも広がって、鳴り響いた音の余韻が消えるのに合わせるように、光はまた鐘の中に吸い込まれていく。
ごぉぉぉぉ…ん
ごぉぉぉ…ん
ごぉぉぉぉ…ん
不思議な音だと思った。除夜の鐘など、今までだって聞いたことがある。なのに、自分で撞いた鐘の音だからか、音は深く体の芯まで沁みて、知らず知らずためていた濁りを、清めてくれているように思った。
そして、鐘を中心に広がる光は今や、山門の外までもを照らす。さらにその遥か向こう、里を包もうとするかのように。其処に居る人々の顔、そのひとつひとつの表情が良く見えた。嬉しそうな、何かに期待するような、真面目で真摯な、顔、顔。
「あと二つだ、しっかり頼む、旅の人。最後のひとつを撞く時に、何か願をかけとくれよ、きっと叶うよ」
ごぉぉぉぉぉぉ…ん
願い事? そんなもの、急に言われて出てくるものか。そう思ったものの、何もなしではよくない気がして、一瞬目を閉じ考えた。閉じた目の奥に見えるのは、遠い海里に住む友の顔。口が動いて、何かを言っている。
『次の冬こそ正月に来てくれ、年玉をくれてやる』
そういや、そんな文面のふみが、秋口だったかに届いたっけ。悪いが無理だよ、今から急いで向かったって、十日はかかる距離なんだ。何かくれるっていうんなら、行きたくもあるが。
ごぉぉぉぉ…ん……
これで八回。最後と言っていたから、滞ることなく、百八の鐘が撞けたのだろう。だが、撞木の紐から手を放した途端、異変が起こったのだ。鐘の内から今までで一番広くまで、光が広がった筈なのに、そんなものはまったく見えない。
真っ暗だ。何が起こった? 俺は今、どうなって。もしやあの光に飲まれたのだろうか。それとも蟲に喰われたのか? あの場に居た人々は、大丈夫だろうか。飲み込まれたのが、俺だけならまだいいが…。
あぁ、参った。
年玉を貰うどころじゃなさそうだよ。
…化野。
けれど。長いのか短いのか分からない時間の後、俺は急に投げ出された。そこは雪も何もない別の土地のようで、尻を強かに打つことになる。
「い…ってぇ…っ!」
大声を出してしまってから、俺はきょろきょろとあたりを見回す。尻の痛みに耐えながらもすぐに気付いた。どうやら本当に、俺の願いは叶えられたようだった。こんなことならもっと、身入りになる願いにすればよかったかな、とは、ちらりと思うし、結局あの蟲がどんな蟲だったのか、調べられず仕舞いである。
仕方ない。もう少し季節が良くなったら、改めて訪ねるとしよう。
そういえば、さっき大声を出してしまったが、どうやら辺りの家の住人を起こすほどではなかったらしい。こんな深夜に訪うことを、いったいどう説明しようかと考えあぐねながら、俺は友の家の雨戸を、やや強めに叩く。すると、叩いた途端に内側から雨戸が勢いよく開かれて、髪に寝癖を付けた友がこう言った。
「ギンコっ、お前の声がした気がして起きたが、本当に正月に来てくれたんだな!」
「あ、あぁ、まぁ。まだ夜明け前だから晦日のうちかもしれんが」
「そんな細かいことはどうでもいい。寒いだろう、入った入った!」
靴を脱ぐ間も急かされて、俺は化野の家に上がり込む。微かに火の残る囲炉裏の傍に座らされ、急いで部屋を暖めようとする化野の背に言った。
「ついさっきまで、大雪の中に居たんで、部屋の中ってだけで充分」
「……え? ついさっき?」
「あ、いや」
口が滑った。説明が面倒だから黙っていた方が良かったのだ。
「ええと。そうだ、お前のくれたあれ、有難く使わせて貰ってる。今の季節には重宝するよ」
「そうだろう! そりゃよかったっ。それで? ついさっきまで雪の中にってのは何の話だ?」
「あぁー、別に、なんでも…」
言葉を濁しては見たが、真っ直ぐに見てくる目と合って、もう誤魔化し切れないと諦めた。こうこう、こんなことがあったのだとざっくり話したら、化野は次第に大きく目を見開いて、終いには嬉しそうに頷いている。
「願いを叶える除夜の鐘。その話を聞くのは二度目だよ、ギンコ」
「そう、だったか?」
「いやいや、お前に聞いたんじゃない。丁度去年の大晦日、時刻もぴったり今頃のことだ。その半月ほど前に、薬を分けてやった母子が、突然もう一度訪ねて来たんだよ」
子供は風邪のせいで酷く喉を傷めていて、熱はすっかり下がっているものの、夜になると咳が止まらなくなって難儀していた。その症状によく効く薬をたまたま持っていたので、多めに渡してやったのだという。
けれども母子は遠く離れた土地で、その薬を盗まれてしまい、子供はまた咳に苦しむようになった。戻るにはまた半月かかる。しかも季節は冬で年の暮れも迫っている。泊めてくれた民家で子供と共に布団にくるまり、薬を貰いに戻るか、戻るまいか迷っている時に、言われたのだそうだ。
「旅の方、こんな深夜にすまないが、もしよかったら寺で鐘を撞いてくれまいか。たった八度でいい。除夜の鐘の最後の百八ツ目を撞く時に、願掛けをすれば叶うと言われているよ」
不思議な話だとは思ったが、今日まで母子で無事に旅してこれた、その感謝を神仏に伝える意味にもなるかと、子と共に鐘を撞くことにした。
「そこから先の話は、今お前がしたのとそっくり同じだ。百八つ目を撞く時に、もう一度あの薬を貰いに行きたい、と心の中で思っていたら、母子ともども、この家の目の前に飛ばされたんだと。…正直、あんまり信用してなかったんだけどな。薬をもう一度貰いに来たとは言い出せず、そんな話をしたのだと思った」
信用せずに悪いことをした、などと言っている化野は勿論、母子を門前払いしたりせず、快く薬を渡したのだろうと思う。
「で? それは結局蟲がしでかしたことなのか? あの母子もお前も、蟲の力によって此処に来たのかっ?」
「さぁなぁ、調べるつもりで居たものを、あっという間に飛ばされてしまったんで、調査も当然出来てない。またあの里へ戻って調べようかと思うが、年の暮れにしか現れない事象だった場合、それも無駄足だしなぁ」
「なるほど、そりゃ、難しい話だな」
そんなふうに言いながら、化野は一度赤々と燃やした囲炉裏の火を、もう一度小さくした。
「…こうしていたら夜明けが来ちまう、とりあえず寝ないか? ギンコ」
「あぁ、そうだな。雪に散々降られたあげく、急に投げ飛ばされて疲れてるしな」
「そういや、除夜の鐘を撞かせたその里のものらは」
「うん?」
並べた布団の片方に潜り込みながら化野が言う。
「お前やらその母子やらが突然消えて、腰を抜かしたりしてないんだろうか。それとも、何が起こるか知ってて鐘を撞かせているのか?」
「確かに、そこらへん気になるな。二度もあったとなると、もっと前にも同じことがあったのかもしれん。知っていて、ということもあり得るか…。蟲のことも気になるし、やっぱりまた次の暮れに行くしか」
「おぉ、そうだ。なんなら毎年、その里から此処へ飛ばされてきたらいいんじゃないか? 歩かなくて済んで楽だろう!」
灯りも消した後の暗がりで、そんなことを明るく言っている化野。ちょっと想像してから、俺は言ってやった。
「そう度々頼ったんじゃ、借り賃を取られそうだ」
「借り賃って、なんのだ? 寺の鐘か? それとも鐘に棲む蟲の借り賃か?」
「…さてねぇ」
朝が来ちまうから寝ようと言ったのは化野なのに、ちいとも寝させてくれそうにない。寝返りを打って、俺は睡魔を引き寄せた。
来たついでに三日ほどのんびり居座って、その次の日の朝である。一番冷え込む早朝に、俺は縁側で暫し時間をつぶしていた。もうそろそろ発つと言ったら、約束のものを渡すから待てと化野が言う。すっかり忘れていたが、年玉、とやらをまだ受け取っていなかった。長々待たせたあと、化野はなにやら布の袋に収まった何かを持ってきた。
「なんだ? そいつは」
「使えば分かるさ。ほれ、立って」
言われた通りに立ち上がると、化野はいきなり俺の服の腹を捲ったのだ。
「おいっ、なんなんだ」
捲ったところで現れるのは、前の冬に化野がくれた腹巻である。
「年玉をやると言ってあっただろう。ほれ、年玉だぞ。あと、言い忘れてたが、新年だ。ギンコ、おめでとうさん」
布にくるんだ何かを、化野は俺の腹巻のうちに押し入れる。驚いて抗うより先に、冬に抗いがたいものが来た。温度だ、ほどよく、優しい。
「…こりゃ、あったけぇ。温石か?」
「おう、そうともいうなぁ。最初は冷えにくい丸いのをと思ったんだが、邪魔になっては良くないからな、なるべく軽く、しかし冷えにくく、平らな形に作ってもらったんだ。腹を冷やすのは色々良くない。仮に野宿でもたいてい火は熾すだろう?」
「あぁ、大抵はな」
言いながら、俺は腹巻の上からそいつを撫でる。腹に伝わる温もりが、手のひらにも伝わって、なんとも言えず、安らぐような気持ちになっていた。
「確かに受け取った。じゃあな、化野、また」
今まで言わない言葉が、喉から外へ、ぽいと出た。化野は何も気付かないようで、おう、などと言って手を振っている。背を向け歩き始めても、腹はまだまだ温かい。
寺の鐘の中のあの蟲のこと、
やっぱり調べたいしな。
来年も同じ方法で、
また正月に来てやるとするか。
腹巻の下の年玉は、寒い冬の最中にいつも俺の腹を温めた。あいつの家で、あたたかな飯を食っている時を思い出し、そろそろ行こうかと思うことが、気付かぬ間に増えている。
あいつめ。と、俺は思いながら、その先も、常と変わらぬ旅をするのだ。
終
びっくりするぐらい、小説を書く頻度が減ってしまっていますが、それでもなんとか、大晦日の夜に書き始めて年を越し、元旦に書き終える、が達成できたと思います。時間的には二日になってからも書いていたし、今ちょいちょい手直ししているんですけど、許されたいっ。
もう二日ですが、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。それにしても正月に書く小説のネタ、探すの大変すぎだなぁ。
2026.1.1