星 の 欠 片







 ある夏の夕べ、暑い中をようやっと辿り着いた高台の医家の家の縁側で、冷えた茶を振る舞われながら、ギンコは家主にこう切り出された。

「なぁ、ギンコ。折り入って頼みたいことがあるんだが」
「そりゃ断るね」

 間髪入れずにそういうと、一瞬でしおらしさをどっかへやって、化野はギンコに詰め寄ってくる。出した茶の器を脇へ寄せ膝を詰め、暑苦しいほど顔を近付けて文句を言った。

「冷たいヤツだな、聞きもせずにその言いぐさは無いだろう」
「どうせまた、蟲絡みの胡散臭い話でも耳にして、俺に探して来いとか、そんなこったろ? こんな蒸し暑い中を、ほんとかうそか分からんことで歩き回る気にゃなれんね」

 言いながら、手を伸べて湯飲みを取ろうとするも、ずい、と、それを遠ざけられる。

「違う。俺は星が見たいんだ」

 真顔になった化野の、その言葉。湯飲みへと手を伸べていたギンコが、その動作をぴたりとやめて、間近にある顔をひたと見た。

「いいぜ」
「まぁ、聞け。実はこの間馴染みの商人が来てな。その男が言うには、去年のちょうど今頃。……え…っ」

 渋られるとばかり思っていたので、化野は滔々と語り始め、そこまで言ってから、はたと気付く。

「ギンコ、今、いい、って言ったのか?」
「あぁ、言ったな。お前の言うのは流れ星のことだろう。時期を考えれば、その商人がなんの話をしていったのかも想像がつくさ。『あれ』はこの里からじゃあ、方角が合わなくてまず見えないしな」
「お前…」

 口を開けて聞いていた化野が、感じ入ったように息を吐いて、ついつい浮かせていた腰を、すとんと畳に落とした。

「凄いな、物知りなんだなぁ」
「…別にこれぐらい。方々を旅して歩いていりゃあ、耳に入るし、ちらっと見たことだってなくはない。それに…如何にもお前が好きそうなことだし」
 
 あまりに手放しで感心されたので、何やら居心地が悪いぐらいだ。ろくでもない頼みごとだろうと、最初ぴしゃりと断ったせいもある。化野へは顔を向けず、ギンコはここへと向かう宵々に、眺めてきた夜空を思い浮かべた。

 夕に見え始める星の位置。空を渡る星座の数々。普段意識はしていないが、その並びを眺めていると、自然と今がいつなのか、体と頭に入ってくる。

「運がいいな、化野、丁度いいのは今日と明日、ってとこだ」

 言いながらひょいと立ち上ると、ギンコは縁側から庭へと出て、風の湿り気を肌で感じ、湾の向こうの山にかかる雲を眺めて、今日夜半の空のことを思う。雲はあまりないし、夜までに増えてくる様子も無い。これほどおあつらえ向きなのも珍しいぐらいだ。

「今夜、ちょいと遠出しようぜ」

 だいぶん温くなった茶を啜って、そう言った。




 何すぐ其処さ、などと言いながら、支度の済んだ化野をギンコは山へと誘った。家の裏手の山だから、自分だって歩き慣れている、と、最初こそは元気だった化野も、夜半近い暗さと、二時間を過ぎても続いている急坂に、だんだん口数が少なくなる。

「ま、まだ先か…っ?」
「あぁ、まだあるな。雲喰みの時ほどは登らねぇけど」
「…ぅ…わっ」

 化野が不意に驚いたように声を上げた。顔の前で、何かを避けるように手を振っているから、行灯の火に寄せられた虫が目の前を過ったのだろうと分かる。目を逸らしたまま歩こうとするものだから、折り悪くそこに在った根っこに足を引っ掛けて…。

「あぶね…っ」
「あ、あぁ、すまん」

 がしり、とギンコに腕を掴まれて、転ぶまではしないで済んだ。化野は浅く息を吐いて、この先も続いている細い道の先を眺める。

「お前ひとりだったら、もう着いているんだろうなぁ」
「ひとりで行ってどうすんだよ。見たいのはお前だろ?」

 ギンコはそう言うと、化野の手にある行灯を取り、あっと言う間にその火を吹き消した。ギンコはもともと灯かりなど手にしていない。彼にとっては、星明りで充分だからだろう。

「目的地はまだ先だけどな、ほら、見てみろよ」

 頭上を指差す仕草に、化野はその場で真っ直ぐ、上を向いた。そして重なり合う枝々、生い茂る広葉樹の葉の向こう、沢山の星を見たのだ。

「……これは、凄い…」
「だろ?」
「…でも、どうしてなんだ? 里に居たって夜遅くに灯かりを消せば、此処までではなくとも辺りは暗い。なのにこんなふうには見えない」

 ギンコは化野の横で、彼と同じように星を見上げ、枝や葉に区切られた狭い隙間の星たちを眺めている。

「さぁなぁ、木々の影が真っ黒だからじゃないか? それと、此処らへんまで来たら、ここはお前さんが守る里の、範疇じゃないから」
「里の範疇じゃ、ない、から?」
「…見えるものの限られる、来たことの無い、知らない場所。転ばないよう、迷わないよう、意識を払って道を進む。そのことさえこうしてやめてしまえば、星を見る以外、ここには何も無いから」
「なるほどな。不思議なようで、分かる気がするよ」

 すっかり上がっていた息も静かになり、辺りの暗がりにも少し目が慣れてきた頃、木の幹を背に座って、上を見ていた化野がぽつんと言った。

「流れ星、ってのはなんなんだろうな」
「塵だって話だな」
「……塵…?」

 化野はてっきり、さぁな、などと返されると思っていた。だからいつの間にか下草の上に仰向けになって、じっと空を見上げているギンコを見つめてしまった。

「あぁ、そうだって話。本当かどうかはわからんがな」
「で、でも、俺はまだ見たことが無いが、綺麗なものだって聞くぞ? それが塵だなんて」

 何処か怒ったような問い掛けに、今度はギンコが答える。組んだ両腕を枕に、のせていた頭を横にして、笑んだ顔で彼は化野を見つめ返していた。

「芥だとか塵だとか、結局それは、ヒトがそう言ってるだけのことだからな。要らなくなったものだの、不要な何かの切れ端だの、そのまま捨てて気にならないものを総じてそう呼ぶんだ。…流れ星が燃え尽きて、そのまま消えちまっても、誰も困りゃしないだろ?」
「そう…だが…」

 化野の言葉は、もやもやと彼の口の中で消えてしまった。ギンコの言うのは分る。分かるが、何も今、そんなふうに言わなくとも。

「…帰るか?」
「え…?」
「塵なんぞ見たって、どうなるもんでもないし、まだしばらく歩かなきゃならんぜ?」
「いいや、行く。見てもどうなるもんでもない、なんてのは、最初っからだろう? 幾ら俺でも星を取ってきてくれ、とかお前に頼む気はないよ」
「そうかい? なら、そろそろ行かねぇと」

 勢い付けて斜面に置き上がり、そのまま身軽く立ったギンコは、座っている化野へと向けて手を差し出した。捕まれと言う意味だろうが、ついぞそんなギンコの所作は見たことが無かった。




「案外、頑張るな」

 先を歩きながらそう言ったギンコの呼吸は、平素と殆ど変わらずに平らかに聞こえる。だから、はぁ、はぁ、とひっきりなしに喘いでいる自分が情けなかったけれど、もうとうに、平気の振りなどできる段階ではない。

「み、水、貰って…いいか…?」
「ほれ」

 差し出された竹筒の中身は、もうからに近く、この先まだ登りが続くことを化野は案じた。顔を上げて、その事をギンコに言おうとしたら、目の前にいる彼の頭上に、何も遮るもののない星空が広がっていたのだ。

「ここ、か…?」
「あぁそうだ、なんもない野っ原だけどな。あちら側へ向けて斜面になってるから、お前さんの里からは見えない空が見える」

 なんもないから、
 あとは見たいだけ見る。
 そんだけだよ。

 ギンコはそう言って、変わらぬ足取りで歩いて行く。途中で振り向いて、手にした竹筒を振ってみせたから、多分、どこかで水を汲んでくるという意味だろう。

 だだっ広い原を斜めに横切って、橋の方から木々の立ち並ぶ中に入り、ギンコの姿は見えなくなった。置いて行かれた化野は、ふらふらとしながら少し進み、腰を下ろす岩か何かを探そうとしたが、途中でやめて寝転がる。

 仰向けになると、視野は一面星だけだ。山中で小休止した時よりも、明るいように思えたが、それは木々の黒い影に周りを覆われていない為と、あとは見える星の数の違いだろう。

 無数の、というのはこういうことだ、と化野は思った。まるで粉をまぶしたようだ。里でも星空は同じように見えている筈なのに、どうして違って見えるのか。しばらく眺めていると、草を踏む足音が近付いてきて、すぐ傍らにごろりと身を伸べる気配。

「なぁ、流れ星ってのは、まだ見えんのか?」
「いや、見えてるだろ? お前さん、気付いてないだけだ」
「ど、何処に…っ?」

 驚いて問えば、ギンコは幾分面倒臭そうに返事を返した。

「其処此処に、さ。ぼんやりとでいいから、なるべく広い範囲を見てな。小さな細い針を落したように、あっちこっちでチカリと走るのが見えてくる。視野を横切るような大きいのは、滅多にないんだ」

 教えられて、そう努めるようにすると、確かにギンコの言うように、視野の端の向こうやあっちで、ほんの一瞬何かが光って走るのが、殆ど錯覚のように見える。それらを幾つも幾つも見ていたら、なんだか物悲しいような気がしてきた。

「塵、の最期…か。本当に一瞬だ。淋しいもんだな…」

 そう呟けば、ふふん、と横でギンコが笑った。

「光って落ちる、それをあの星たちの一生と捕らえるから、そう思えるんだろう」
「じゃあ、違うのか?」
「…これも聞いた話で、本当かどうかは知らんが、少なくとも、俺は気に入ってる」

 そう言って、ギンコはその不思議な話をし始めた。


 流れ星ってのは、空の遥かを旅している、もっとずっと大きな別の星の一部だったものらしい。星の一部だったものが、何かの理由で一部で居ることが出来なくなって、それでもその星の傍にくっ付いて遥かな距離を、長い時間を、一緒に旅している。
 
 でもそうやっていられるのも、ずっとじゃぁなくてな。やがてはそこから引き離されて、とうとうひとりになって、光ながら燃え尽きてしまう。それが流れ星なんだそうだよ。

 そして元になった星もな、自分の一部だったものを、そうやって長い時間をかけて、どんどん、どんどん失って、最後には死んだ星になって、そのまま空を巡り続けるんだそうだ。


 そんな不思議なことを言い終えたギンコの眼差しは、酷く静かだった。首を横に倒して、じっと化野が彼の横顔を見ていると、ギンコは真っ直ぐに空を指差して呟く。

「俺の顔なんかより空を見てろよ、化野。見てやってくれ、燃え尽きる星を。いつかは死んでいく星の、一部だった流れ星の、最後の光をさ」
「そう、だな」

 そう言って、視線を真上へと戻した途端、さぁ、っと、銀色の大きな光が視野を横切った。白い長い尾を引いて、目の奥に淡い残像を残し、その星はあっという間に消えてしまう。

「見てたか、化野。大きかったな、今のは」
「ああ。あんな大きいのに離れられたら、淋しかっただろうなぁ、元の星は」
「かも、しれねぇな」

 くすり、と小さく笑う気配がした。真上から目を離すと、流れ星を見逃してしまうかもしれないので、化野は笑ったギンコの顔を見たいと思いながら、堪えて上を見ていた。



 やがて、流れる星は見えなくなり、空がうっすらと白み始めたから、二人はどちらともなく起き上がり、帰りの山道を下り始める。草露で滑る足元に、重々注意しながら、化野が先を行くギンコの背中に尋ねた。

「なぁ、あの星の話、誰から聞いたんだ?」
「んー? イサザだよ。まだガキの頃に聞いた」
「イサザ、ってあのワタリとかいう群の? へぇ、流石に珍しい話を知っているんだな」

 ギンコは歩きながら竹筒の水を一口飲み、それを化野へも差し出しながら言う。

「イサザはその時よりもっと、ずっと小さい頃に、どっかで行き会った旅の男から聞いたんだそうだぜ? 突拍子もない内容だし、きっと作り話なんだろうけどな」

 でも、イサザはその話を覚えていて、今日みたいに星が流れる空を見た時にギンコに話した。そしてギンコもこうして、星の流れる空の下で化野に。

「作り話かもしれなくとも、ギンコ、お前は好きなんだろう?」
 
 竹筒を返しながら化野が言うと、木々の葉の隙間の、遥か遠くに見える星を見つつ、ギンコは呟く。
 
「あぁ、まぁなぁ。殆どの人間には見えなくて、存在を知られていない蟲が、この世には本当に生きているだろう? だから、今は誰も信じなくて、事実を確かめること出来ない、そんな星の話だって本当かもしれない。いつか、それを確かめられる時が来た時に、やっと分かるんだ」
「くそぅ、なんだか、悔しくなってきたぞっ」

 しんみりとギンコが言い終えた後、本当に悔しげに、化野が文句を言い出した。

「その星の話をしたヤツ、なんでイサザじゃなくて俺に出会わないんだよ…! いったい今、どこに居るんだっ? 話し賃でもなんでも払うから、来てくれないもんかなぁ」

 まだ明け切らず薄暗い山中に、化野のそんな大声が響く。

「あっ、そうだギンコ、お前そいつを探して連れてきてくれんか? 探し賃は払うぞっ?」
「………そりゃ、断るね」

 幾分げんなりとして、やっぱりギンコはその願いを跳ね付けた。

「何でだ…っ!」
「何でって…。そんなほんとかどうかわからない」
「情報元はお前だぞ…っ」
「何年前の話だと思ってるんだっ、無駄足と分かってて、誰がこの暑い最中に探すかよ!」

 幅の狭い山道を前後して、互いに顔つき合せながらそんなことを言っている時、もうしらじらと開けていく空を、斜めに、すっ、と星が横切った。二人とも、言い合うのに夢中で、気付かなかったようだった。



 無数の流れ星は、
 本当は、もっと大きな星の一部。
 遥か遠くから来た、その星の欠片。
 欠片は、流れて、光って、
 ちりちりと燃えて、消えるのだ。

 ずっと、ずっと見てきた、
 長い旅の記憶と共に。

 覚えていておくれ。
 好きだと思った、
 綺麗だと思った、
 その想いの分だけで、
 充分だから。
 






 

 


 

 
 昨日、生まれ初めて流星群を見ました。今までも、見えるところに見に行こうって思いさえすれば見れたのですが、ずっとそこまではしたことが無かった。私の住む町は程よく田舎なので、ちょっと車を走らせれば、随分街灯の少ない、暗いところに行くことは出来るんですよ。

 と、言うわけで昨日は、夜の11時半頃「よしっ、行こう」って思って行ってきました。ちゃんと、見えましたよ。無数に降るような、までは見えませんでしたけど、ぼんやりと上を見上げていれば、視野の其処此処で、すっ、と…。それこそ作中に書いたような表現がぴったりの。

 凄いなぁ、って思いました。行く前に流星群ってどういうものか、簡単に調べて行ったので余計に、うわぁってなった。そしてうわぁ、流れた、あっ、見えた。おっ、今のもそうかなっ、また見えたっ、てやりながら、他のところできっと、星の下にいるだろう人のことを思ったり。

 良い経験が出来ました。そんなこんなで、思い浮かんだこのお話を一つ。遠くから戻って来る方が、無事にお帰りになりますように、と願いを込めて。

 そうそう、夕べは、流れている以外の星も、とても綺麗でした。


 
16/08/13