生 青 花 - sei sei ka -  6





 トモリが去って行ったあと、ギンコは化野に問うた。

「よかったのか? あれはお前が買った絵だったんだろ。いつぞやのように『これは俺の絵だぞ!』って、言うかと思ってたんだがな」

 幾分からかうような響きで投げられた言葉に、化野は憮然として答えた。

「そうだとしても、元々は盗まれた品だったんだ。それにあれは、あのヒトの形見でもあるじゃないか。それを分かっていて我を張るほど、身勝手じゃないつもりだが?」

 ギンコと並んで縁側に腰掛けていた化野は、どさりと背を投げ出して、そこへ仰向けになった。口はへの字で目元は両手の甲で隠していて、それでも、本当は随分惜しがっているのがわかる。無理してんなぁ、と小声で呟いてやり、ギンコは化野の横に身を倒した。

 暫しの沈黙のあと、はたり、と首だけをギンコへ向けて化野は言う。

「なぁ…あのヒトは、満足して逝ったんだよな?」
「さぁな、それは知り様がないだろ」

 そう言いながら、ギンコは小さく笑んでいる。

 少しずつでもギンコに語り掛けられてここまできて、化野には怪我をあんなにも気遣われ、彼女の在り様は明らかに変化した。あの世とこの世の間の見えない境。もしくは蟲と人との際があるとするのなら、森に一人でいる時よりは、少し、ほんの少しだけでも、彼女の居場所はこちらがわに動いていたのではないだろうか。

 もう見えなくなるほど擦り切れて、閉ざされかけていたヒトの心は、そうやって何とか保たれて、彼女は最後に「トモリ」に「会えた」のだと、そう思うのは都合が良すぎるか?

「知り様がないなら、俺はそう思っておくよ。少なくともトモリさんはお前に頼んでよかったと言ってたし、大事なヒトの最期の時に、傍に居られて救われたと、そう言ってたじゃないか」
「…いい男だねぇ、化野センセイ」
「なんだ、いきなり。おだてるな! 欲がないわけじゃないぞ、代わりの絵もこうして書いて貰ったし」

 起き上がった化野が手に取ったのは、紙にさらりと水彩で描かれた絵。化野が彼女に返した古い絵と、そっくり同じに描いてもらった絵だ。それへは、青くちらちらと揺れる小さな火のような沢山の花と、青い女の姿が描かれていた。

 どこか淋しい絵に思えるのは、この絵の経緯を知った今だからだろうか。表情までは描かれていないが、きっと悲しい顔だろうと、そう思う。けれど化野が言うように、彼女はきっと満足して逝った。今頃は、彼岸の国に先に行っていた子供と、再会していることだろう。

 と、化野は絵の下隅に書かれた名前に、その時初めて気付いた。淡く控えめに書かれた名前は二文字、「渡森」…と。それはこの絵を描いてくれた彼女の名であり、化野が彼女に返した絵を描いた、最初の子供の名でもある。

 虚を突かれたように暫しの間、化野はその名を見つめていた。いい名だと思った。森を渡る、子供。人を喰うのだと言い伝えられた森に、もしも迷いそうになったとて、捕らわれずにその「森」を「渡」れ、と、きっとそう言う意味だったのだろう。親の、愛情の詰まった名だ。

「なぁ、ギンコ」
「ん?」
「…お前の本当の名は、なんだろうかな」
「なんだよ、いきなり」

 ぶっきらぼうな返答には、雄弁な戸惑いが溢れるほど。

「あ、いや、すまん。何でもないんだけどな」
「何でもなくて聞くことか? どのみち覚えてねぇよ、そんなのは」
「あぁ、そうか。そうだなぁ」

 俺ならお前に、なんと名を付けるだろう。会いに来たのと同じ数だけ、また行ってしまうお前。不安な思いを抱きながら、ずっと待ち続ける怖さが少しでも薄れるように。 いいや、傍に居られない分、その名がお前を守ってくれるようにと。



 
 ひと月も経った後だろうか。化野の家に届け物があった。トモリからだった。

 短い手紙が一通と、美しい森の絵が一枚。急いで開いたその絵に描かれていたのは、深い森の姿。そしてそこにいるのは、何処にでも居そうな女。女は、小さな男の子の手を引いていた。表情までは描かれていないが、きっと幸せな笑顔だろう。化野は信じたいと思う通りに、真っ直ぐにそう信じた。

 手紙に書かれいたのは、あの時の礼の言葉と、持って帰ったあの絵が、家に帰った時には、新たに送ったその絵そっくりに変わっていたということを伝える言葉だったのだ。

「…そうか。そうか、よかったなぁ…。おや? そうするとあの商人の口上は嘘じゃなかったことになるぞ? ギンコ。お前が俺に売ったあの羽織は、いったいいつ煙を立ち上らせるんだろうなぁ」

 でもそんなことよりも、無事にまた来てくれたならそれでいいんだけどな。それが何よりの土産だよ、いつでも、ずっと。






 
 

 
 ラストを迎えましたー。なんか急に終わった気もしますが、たまにはこんな終わり方も…。え? いや、すいません、化野先生の持っていた絵をトモリが初めて見るシーンとか、いろいろ書くべきだったかもしれないんですが、全体を通してだら、っとしている気がして、ラストはすっきりいきたかったんです。

 この終わり方で、トモリの気持ちがすとんと分かるかどうかは、読む方にお任せになっちゃいましたですよ。やっぱ私らしくなかったかもですね! 精進精進…。

 次に書く話は前から言ってた雷の話ですが、その以外に近々もうひとつ始めたいと思いますよー。どんな話にしようかなっと。


12/10/08