恋喰らう花   3 






「そこまですんのか、化野」
「…するさ、多けりゃ多いほどいいって言ったのはお前だぞ。海へ出てる男らを呼び戻さにゃ、大した数にならないしな。何、この煙の上げ方だと、のんびりせんで早めに戻れ、くらいの意味にしかならんそうだから」

 なるほど、さすがは海里だ。狼煙の上げたにも種類があるらしい。ゆるゆると立ち上る煙を見ながら、ギンコはついさっき不思議に思ったことを化野に聞いてみた。

「それにしても、追ってくるのがあの女の恋人だと、どうしてわかった? 気付いたんだろ、お前も」
「んー、なんだろうな、恋する男の勘ってやつかな」
「……馬鹿…」

 力なくそう言いながら、ギンコの頬がほんのり赤い。「恋」と言われて、それが化野から自分への想いだと、すぐに了解してしまったあたりが、我ながら恥ずかしい。そのくせ万が一にも化野があの娘の姿を見ないように、さっきは目隠しまでさせて、いったいどれだけ不安なのやら。

 やがて、里の男らがやや急いで、浜や沖から戻ってきた。一人一人に声を掛けて、里長の家の一番大きな部屋に集まってもらう。人助けのために手を貸してくれ、とだけ言って、男らにも、その騒ぎを聞きつけた集まってきた女達にも、詳しくは説明しない。

 ほどなくして里長の家の広間と、そこから戸を開け放った庭までも、里中の男たちで埋め尽くされる。そのまわりをさらに取り巻くようにして、女たちと子供らが興味津々に取り囲んでいた。ギンコの言った年齢の男たちだけ数えると、ざっと三十人と言ったところか。

「よし! じゃあ、連れてきてくれ!」

 里長のところの娘が、奥から一人の女の手を引いて連れてくる。勿論、あの娘だ。布を深く顔に被ったまま、不安そうな様子で、挫いた脚を少し引きずりながら。

「誰だい、ありゃあ?」
「里のもんじゃぁないよな、見たことないけど」

 ざわざわと彼方此方から声が聞こえる。

「せんせ、あれ誰なの?」

 化野の傍に居た里の子供がそう聞いた。

「うん? ええと、人探し…。そうそう、あの人は人探しにきたんだとさ」

 そんな適当なことを言って誤魔化して、化野はすぐ隣にいるギンコの方を窺った。ギンコがどうするつもりなのかは化野も聞いていない。何かを見極めようとしていたギンコは、彼だけに見える蟲の姿をじっと見つめて。

「いいぞ、今だ。布を外して…!」

 そう言われた女は、怯えたように逡巡しながらも、ゆっくりと布を取り払い…。

「うっわぁ…こりゃ…」
「べ、別嬪さんだぁ」
「随分、綺麗な娘っこじゃないか」
「いいぃ女だなあ」

 あちらこちらから声が上がる。男たちは全員が全員、瞬きもせずに娘に見入っていた。娘は何十人もの里人達に囲まれ、ほんの少し頬を赤らめ、随分と不安そうにしていたが、それでもじっとそこに立っている。
 そしてギンコは、一人でじっと天井のあたりを見ていたのだが、やがては我が意を得たりとばかりに、にんまりと笑った。

 布が取り払われた途端、彼女に憑いている蟲たちは、娘の姿に見惚れた男に一斉に群がろうとして、一度は娘から離れたのだ。だけれど今回ばかりは今までと違う。蟲どもは、そこにいるあまりに沢山の男たちの、どれを目指したらいいか迷いに迷い、ひとつを選ぶことも出来ず、それぞれがそれぞれに右往左往し始めた。
 それで十匹かそこらの蟲が、目まぐるしく天井付近を動き回っていたが、次第に一つが二つへ、その一つがまた二つへと分裂し、分かれるたびに小さくなって、しまいには指先より小さな何十もの蟲になってしまったのだ。

 そうして三十人もの男たちの額にそれぞれ一つずつくっ付いて、すぅ、と吸い込まれるように消えていった。入っていった蟲は、いつもならば男の胸にたまった恋心を残さず喰らって、また娘のところへ戻るはずだが、それがただの一匹も出てくる様子が無い。

「…どうやら、うまくいったようだ」

 ぽつん、と呟いたギンコの顔を、化野はまじまじと見て、蟲の見えない自分を残念がりながらも、そりゃあよかった、と笑ったのだった。





 そのすぐあとの帰り道、化野はにこにこと笑ってギンコに言った。

「あの娘さん、これで恋人に会えるな!」
「うん、もう大丈……。…っ!」

 ぎくん、とギンコは何かを宙に見て目を見開いた。そうして片手に持っていた燃えさしの蟲煙草を、思いっきり吸い込んで、化野の顔にいきなり煙を吹きかけた。

「うぐっ、ごほ、ごほ…っ、な、何す…っ」
「…げほげほげほッ、ごほごほッ」

 文句を言い掛けた化野の傍で、ギンコも派手に咽ている。焦って煙を飲んでしまったらしい。苦しくて涙を滲ませながら、それでも必死で見回すと、一匹だけ、まだどの男にも憑いていなかったさっきの蟲が、化野の傍から煙で追い立てられ、すぐ目の前にいた漁師の親父の額にくっ付き、吸い込まれて消えた。

「はぁ……。焦った」
「焦った、じゃないだろうっ! 何をするんだ、いきなり!」
「や、悪い…。すまん、なんでもないんだ。なんでも」

 分裂してあんなに小さくなって、力もなにも弱まっちまった蟲だとしたって。娘んとこへ戻ることも出来ず、入り込んだ男の頭ん中で、大した影響力もなく、そのまんまそこにいるしかない蟲になってたって、それだって不安だからだ。
 たった今は、自分だけを思ってくれてる化野が、万が一にも、余所へ目移りするだとか、そんなことは嫌だから。

 近くを歩いていたさっきの漁師が、くるりと化野の方を向いて言った。

「いやぁ、綺麗な娘だったが、うちのこいつだってほれ、これでまだ中々、腰つきとか色っぽかったり」
「えっ、えぇ? なんだい、おべんちゃら言ったって、夕餉が豪華になるわけじゃないんだよっ? でもまぁ、たまには酒でも飲むかい、あんた」

 男の妻が困ったように、それでも照れ隠しに手ぬぐいで顔を半分隠し、自分のだんなの腕をつねった。

「あいたた! こっ、こら、痛いじゃないかよ!」
「おや随分と仲がいい。人前だぞ、ほどほどにしなって」
 はは、と化野が軽く笑って取り成している。あの娘は自分を追ってくる許婚をここで待って、それから一緒に里に戻るつもりだそうだ。そうして祝言をあげるのだとか。どっちもこっちも熱いことだ。

「ところでな? そもそも今度の蟲はどんな蟲だったんだ?」

 二人でいつもの坂を登りつつ、化野が興味津々でギンコに聞いてきた。

「ん? あー。えーとな、宿主となった娘に誰かが見惚れるとするだろ。そうするとあの蟲はそいつの心の中に入って、その気持ちに取り憑くんだ。そして、もう身も世も無いほどに強烈な恋心を抱かせるらしい。恋心が頂点に達すると、蟲はそれを餌にして、跡形もなく喰っちまう。と、まぁ、そういう蟲だよ。そうやって喰われた恋心は、二度と取り戻せないそうだ」
「ほぅ。それで解決したってのはどういう?」
「ま、その…。蟲どもは細かく分かれて、それほど悪さしないようになった…っていう感じかね。男なんてもんは、多少惚れっぽくて普通だし」
「へぇー」

 蟲に入られたさっきの漁師と、その嫁さん。あの夫婦を思い出しながらの、極々簡単な説明に、化野はうんうんなるほど、と頷いていたのだが。

「うーん…。もし…。もしもだぞ? 自分が好いた相手だけを狙って、確実に恋に落とせるんだったら、そういう蟲に取り憑かれたい気もするが、な」
「…化野、お前…誰を狙う気だよ」
「えっ? い、いや」

 お前以外にありえんだろう、と、化野は目に力を込めてギンコを見つめた。ギンコはその視線を受け止めて、ふい、っと横を向いてしまうと、ぼそりと小さく呟いた。

「いらんだろ。もう、とっくに落とされてるし」

 ギンコがそう言ったとき、ここらじゃ見かけない若い男が、息を切らして二人の方へ走ってきた。中々の美男で、こりゃまたあの娘と似合いだと思いながら、ギンコは里長の家の屋根を指差して教えてやった。

「あんたの許婚なら、あそこんちで待ち侘びてるよ。そう急がんでも、もう逃げやしないとさ」
「え…っ。あ、ありがとうございますっ! わぁ…ッ」

 木の根っこに蹴躓いて叫び声を上げながら、男は今まで以上の勢いで走り出した。もう少し先では本当に転んで、美男な顔を埃だらけにしながら、なりふり構わず飛び起きて駆けて行く。

「結末、見に行くか?」

 ギンコは化野にそう聞いた。

「なんでだ、やっと二人きりになれるのに! さっ、帰るぞ、ギンコ」

 化野は本気の本音でそう言って、さらに一言付け加えた。

「やっぱり人の恋路より、自分の恋路だろう?」

 余所見なんかしてる時間も惜しいほど、本気の恋をしているのだから。二人が傍にいられる時間は、あまり多くは無くて、大事にしなきゃ勿体無い。

 その後しばらくの間、化野の里の夫婦もの、恋人同士、若い男女たち、はては初老のものたちまで、春の陽気も手伝ってか、妙に仲がよくて、大変結構な賑わいだったという。
 
















 なんだかギャグになった気がする。気がするじゃなくて、ギャグですね。しかも不発のギャグ。ギャグセンスはからっきしだと分かってたんですが…。はははー。た、たまにはこんな話もいいさっ。
 さて、次の新作は、某様よりリクエストを無理に頂いた内容となりますっ。頑張りまーすッ。張り切るぜ!



12/03/31