陰 桔 梗   5







「まだ夕だ…。いいのか?」
「……ん、うん…」

 後ろから抱かれて、着物越しに前を弄られながら化野は頷いた。ギンコは彼を立たせたままで、床の間の柱に縋りつかせ、耳朶に唇を寄せて何度も問いを放っていた。

「前々から、だったんだな? 珍品を手にしてすぐ、お前が欲情しちまうのは」
「…そうだよ」
「何人ぐらいと?」

 かり、と耳に歯を立てられる。痛いくらいに強く齧ると、手の中の「化野」がびくりと跳ねた。後ろからでは見えないが、問い掛けられるたびに、化野が顔を歪めるのが分かる。聞かれたくないだろうことを、ギンコはわざと聞くのだ。
 化野が隠していたことは全部、ギンコが知りたくないことばかりだというのに。

「なん…にん…。あ…ぁ、もう、覚えてな…」
「忘れるぐらいってことだな。…何でだ?」
「……何、で…?」

 愛撫されて、まともな思考が働かなくなりそうな中、それでも化野は考えようとした。いつからだっただろう。どうしてだっただろう。そこまで珍品が欲しかったのか。それとも男が欲しかったのか。里人に見せる表の顔と、隠れて淫らを尽す顔と、二つを持ちながら生きるのが、楽しいはずもないのに。

 昔、この里に初めて住み始めた頃、孤独に耐えるのが辛かった。中々受け入れてくれない里人、挨拶に返事も返らない日々で、来るたび気楽に話しかけてくれるのは、何かを売りに来る商人だけだった。
 寂しさは、想像以上に人を蝕む。愛想のいい商人に、また来て欲しいと願う余り、薦められた品を断って帰すのが怖くなった。金が足りないときにどうすればいいのか、暗に教えたのがどの男だったか、もう覚えていないけれど。
 快楽と金と、そんなもので繋ぎとめるのが、どんなに虚しい関係なのか考えるのは嫌だった。自分が手に入れられるのが、それっぽっちの「しあわせ」なのだと、気付きたくなくて。

「…う……」
「化野…」

 柱に縋り、項垂れて呻くと、ギンコの愛撫の手が止まる。ぽろぽろと涙を零して、化野は震えていた。数年かけて、やっと里人の信頼を掴み、愛想のよい表の顔を作るのにも慣れたが、それを教えたのは商人たちだ。世慣れた彼らが、若い化野の師だったのかも知れぬ。
 欲しいものを与え、代価を得るだけでも、それを毎日人の良い顔ですれば、そのうち誰でも「いい人」だと言ってくれるようになる。そうなれば物売りも、医家の仕事も楽に出来るだろう。人付き合いも商いなのだと。それが「生きる」ということなのだと…。

「偽りばかりだ…俺は…。里人にも、お前にも…」
「…偽らねぇで生きてける世の中じゃ、ねぇよ」

 全部を告げてそう言えば、ギンコは化野の首筋に吸い付き、笑いを含んだ声音で囁いた。優しい声だった。ギンコもまた、たった一人でこの世を生きぬきながら、子供から大人になった人間だ。優しく真っ直ぐでばかりいたら、楽に生き抜けないのをわかってる。

「お前…嘘なんか、そんな上手じゃねぇのになぁ。なのに気付けなかった俺も間抜けだ。自分はとうに垢まみれ、泥まみれな癖して、一つの穢れもねぇお前が、真っ直ぐに俺を好いてくれてるとか思って、酔ってた…」

 でもな、とギンコは言って、自分自身に苦笑する。そんなことを思うなんて、まだまだ俺も甘い証拠だ。でもその言葉が欲しい、どうしても「うん」と言って欲しい。偽りじゃない部分で、化野と繋がったのだと、思っていたい。

「でもな、化野。お前がさ、誰彼ともなく脚ぃ広げなくなったのは、俺と出会ったからだと、そう思っててもいいんだろ?」
「………ギン…」

 続く言葉が出なくなって、化野はその代わりに何度も頷いた。布団も敷かない畳の上で、化野は着物を左右に広げられる。自分がつけた以外の後を、するすると撫でながらギンコは満足そうに笑った。

「一晩で」

 ギンコは大袈裟な嘘を言う。あんまりかと思ったが、いじめたくて仕方がなかった。

「一晩で、お前と四回ヤったって、俺が会ったヤツが言ってたぞ。凄いな、俺とだって三回くらいしたら、もう嫌だって泣く癖に。そいつ以上にヤりてぇって言ったらどうする、お前?」
「え、そ…んな…」
「無理だとか? そいつとはヤれて、俺とは駄目だって? だったら…」

 ギンコの手が自分の服の隠しを探る。赤い紐のついている物を、手の中に握りこんで、紐だけ見せてそれの本体を見せずに、彼は言った。

「この品の代金ってことでどうだ? こいつは自分用に買ったんだけどな。対の品を壊しちまって、もう手放そうかと思ってたんだ」

 ギンコは指を開いて、赤い紐だけを指で摘まんで、それを化野の目の前にぶら下げた。桔梗の藍の、小さな根付。化野はそれを目の中に映して、声を詰まらせる。

「そ、れ…、って…」
「明日晴れたら、よく日の当たる縁側で、白い紙の上にこいつを転がして見りゃあいい。内側に細かく掘られた花の姿が、藍に染まって、小さく紙に映るんだぜ?」
「…ギンコ……」

 揃いで買って一つを化野へ、もう一つを自分が。何も言わずにこっそり持って、番う印にしたかった。そんな女々しい戯言でも、化野とならしてみたかった。
 洋籠に照らして、根付の石を化野が覗き見るとき、そういう心を覗かれているようで、くすぐったかったのを思い出す。蔵でばらばらにあれを割った時は、自分の心がばらばらにされたみたいで、それだから息も鼓動も苦しかったのだろう。

 凍りついたようなあの時の化野の目、震えて座り込んだその背中は、まるで自分の中身を見るようだったのだ。壊した瞬間、失った途端に、どれだけ大事か知るなんて、そんな生き方は不器用過ぎて、愚かで馬鹿で。
 だけど、もう一度やり直そうとしているこの刹那、それが泣きたいほどにしあわせで。

「じゃ、五回な」
「こ…腰が立たなくなるよ」
「いいだろ、なれよ」
「駄目だ、明日、往診がある」
「そんなもん」
「負ぶってもらってでも往診は行くぞ、ギンコ」

 そんなことを言う化野の頭の中は、風邪気味だった子供だとか、持病持ちの爺さんだとか、臨月の女のことが、いっぱいに詰まっているのに違いない。
 ギンコがそうだったように、里人だって、化野の表の顔に騙されて彼を好いてるわけじゃない。信頼するのに見合う誠実さが、確かに彼にあるからだ。一人占めにゃあ程遠いな、と密かにギンコは思っている。

「負ぶうかどうかはさておき、鞄持ってついてくくらい、ちゃんとしてやるさ」

 脚を開かせて、最初に舌を這わせるのは左の大腿。自分じゃない男が、化野につけた跡。痛いくらい強く吸い付いてやると、化野はその意味に気付いて、自分から出来得る限り脚を開いた。
 好きでさせたわけじゃない、無理やりだったのだとわかって、ここを吸われている瞬間も、化野は自分を思っていたと知っても、それでも嫉妬はおさまらないものだ。吸って、噛んで、そこに血が滲むほどのことをして、跡をすっかり消してしまうと、満足げに指で撫でる。

「消えた」
「…うん…」
「他は無いな?」
「無いよ。もう、二度と他のヤツに付けさせない…」
「当たり前だ…って言いたいけどな」

 指で化野の性器を握り込みながら、ギンコは言った。

「抗って殺されたりすることもあるぜ? どうしてもなら言うなりになれ。そんで俺が跡に気付く前に、あった事実を俺に言え」
「…わかったよ」
「そしたら、その相手のこと心ん中で八つ裂きにして、それからお前の声が枯れるくらい一晩中攻めて泣かせて、それで忘れるようにするからな」
「…えぇ…?」

 思わず化野が聞き返すのを、握った性器を弄くることで黙らせ、悪いかよ、とギンコは言うのだ。

「お前に関する限り、俺は嫉妬深ぇんだよ、しょうがないだろう」

 何しろ「尋常でなく」好いているのだ。これ以上の譲歩は無理だ。そう思いながらギンコは化野のものを口に咥える。淫らな愛撫のその最中も、ギンコの片目が化野をずっと見ていた。

 そんな彼の視線の先で、根付を握っていた化野の手の、その指がいつの間にか開いて、ぽろりとそれを落としてしまう。大事な大事な根付より、ギンコは大事な存在だから、彼だけを感じるために、指を開き、体を開くのだ。



 根付の細工の中に、細工の桔梗が咲いている。
 朝日を浴びる縁側で、白い紙の上にそれを置いて、
 化野は、そこに映る花の美しさを愛でるのだろう。

 ギンコが見たかった、嬉しそうな顔をして。

   

 

 終











 うーんと、昨夜は無理を致しまして、十一時まで寝てましたねぇ。でもまぁとっても有意義だったんです。ふっふっふ。書くぞぉ、ギン化冒頭っ! 丁度?よく、この連載も終わりましたので、タイミングもばっちりですねー。

 陰桔梗、タイトルの意味ってなんだ? と思ったのですが、どうもこの話の桔梗は、日陰に咲いてる桔梗ってイメージで、隠してる化野先生の別の顔みたいな感じですかね? あれ? 違う? いや、今無理くり言ってみただけです、ゴメンナサイ!

 ともあれ、読んでくださった方、ありがとうございました。身勝手なギンコをこっそり罵るのは御自由に。←え?



11/09/19