「雪の東雲」という話と繋がっています。
 そちらもどうぞー♪ 異色ものってとこにあるヨ。







雨の化野  11





 あぁ、そうなのだ。あの笑みは。

 ギンコは自分の心臓が騒ぐ音を聞きながら、そう思っていたのだ。東雲が、ほんの時折見せるあの笑み。妖しい、とも取れるような、淡い不思議な微笑みは、諦めの思いの上に浮かび上がるもの…。何もかもを諦めて、諦めた中から、やっと掴んだ自分なりの喜びや、幸福を、大事に大事に抱き締めるように…。

 おぼえておくよ、とギンコが言った時も、東雲はその笑みをして、例え想いが叶わなかったとしても、何の痛みも残さぬよう、たった今が充分幸せだ、と笑ったのだ。

 殆ど走るような勢いで歩いていたから、あっと言う間にギンコは里へ戻って、そのままの足取りで化野の家へと戻って行く。雨が降ってはいたが、そんなことには気付いてもいない。

 なるほど、あいつは化野の弟だ。ただの世間知らずとは違っていた。突けばよろめくような風情でいても、無意識なまま見事なまでにこちらの心を揺さぶってくれる。さすがお前の弟だな、とでも、言ってやるつもりで庭へと近付いて…。

 そこでギンコは、見たものに胸をつかれた。
 
 風景に、紗をかけるような細かい霧雨の中に、化野はいた。手水鉢なんぞに腰を寄りかけて、何も気付いてやしないのだろうが、袖は鉢の水に触れている。そしてそこから染みた水が、彼の着物を随分と濡らして、右足のあたりの布地は裾まで色を変えていた。それゆえ着物はぴったりと化野の大腿に張り付き、下肢の形を浮き上がらせている。

 ふと、ギンコは縁側での東雲を思い出す。軒から滴る水滴を、足先に弾けさせていたあの姿と、今の化野の姿が重なって見えた。降る雨は化野の髪を濡らし、顔を濡らし、その髪の先や睫毛に、小さな雫が珠を結んで光っている。じっと項垂れて、体のどこにも力を入れられずいるような風情で…。

「俺は…馬鹿…だ…」

 ぽつりと零れた言葉が、そのままそこで途切れ、化野は袖の濡れた両手で、顔を覆って震えた。

 戻って、きて…くれ…、ギ…。

 息遣いだけの言葉が、本当にそう言ったかどうか分からなかったが、軽い言葉などかけられず、ギンコは化野と同じ雨に濡れながら、暫しそこに立ち尽くしていたのだ。東雲とはまた違った風情で、儚げで綺麗だとも思った。酷く見惚れて、目を逸らせなくなりながら、化野が辛そうにしている理由も、ギンコにはわかっていて。

「何してんだ」

 言った言葉はそれだった。化野は弾かれたように顔を上げて、夢でも見ているように、暫くギンコの顔を見つめている。

「あ…ギン…コ…?」
「…薬草の生える場所を教えてやりたくて、そこの山までついて行っただけだろが。何をこの世の終わりのような」
「一緒に行ったんじゃ、ないのか…?」
「だから、早合点するなよ。何で俺が…」

 化野は呆けたような顔をして、だって、とか、でも、とか、そんなような言葉を繰り返していたが、終いにはおずおずと聞いてきた。

「東雲を、選んだんじゃ…?」
「…選ぶも何も……」

 ギンコは低い垣根を跨ぎ越して、化野の目の前まで来てから言った。間近に来ると、髪を飾る水滴の一つずつがよく見える。

「東雲はお前の弟だから、機会があれば世話はしてやりたいが、それだけのことだ」
「……ほ、ほんとうに…?」
「疑うかよ、お前」

 ちら、と庭の外を見て誰もいないのを確認して、ギンコは化野へと顔を寄せる。軽くかすめるような口付けをして、じっと顔を見つめて言った。

「俺が好きなのは、お前だからな」
「…でも、あいつにも惹かれたりはするんだろう?」

 一瞬喜びかけたものの、化野はついつい聞いてしまう。ギンコは多少投げやりな気分でもあったし、自分自身に釘を刺す意味もあって、ついさっきのことを化野に告白した。

「まぁ…な、何しろ好みの顔だから…。けどな、東雲は大事な兄上から俺を取る気はないそうだが、お前が傍にいない時、お前の身代わりで抱かれるんでも構わないとまで言っていた」
「…し、東雲が、そんなことを?」
「頼りなく見えて、中々だと思っちまったよ。要するに、ふと魔が差して俺がよろめけば、自分に否やはないと」

 それを聞いて化野は暫し項垂れる。その時考えていたことを、少し前にはギンコも考えていたなどと知らず、彼はぽつりと言う。

「…なら、もしも魔が差したときは…、よろしく頼む」
「何、言ってんだ」
「だって、あいつはきっと、そういう経験なんかないんだ。あるのはまだ小さいガキの頃に、家の都合で…押さえつけられて無理に犯されたっていう、それだけで…。だから、ギンコなら、ちゃんとしてやってくれるかと」

 とんでもねぇことを言いやがる、と困り果てながら、もう一度盗むように化野に口付けした。

「…覚えとくよ」

 そして内心では思っている。魔が差して、実際にそうなった時は、自分は責められるのだろうか、それともありがとう、と感謝されるのだろうか。どちらにしても先のこと、そうなるかどうかも分からない。

 悩むのはその時にしよう、そう思ってギンコは霧雨に目を細める。半年前に雪の中で、東雲に初めて会った時のことが思い出され、それと比べた今日の東雲の姿に、思わず笑みが零れた。見ていた化野は不思議そうにしていたが、何故笑ったか教えてやると、彼もまた嬉しそうに笑うのだ。

 恋敵でもあるけれど、東雲はやはり化野にとって可愛い弟。いつまでも、守ってやらねばと思う大切な相手なのだろう。

「また会ったときは、その…旅の指導の方も頼むよ、ギンコ」
「あぁ、言われなくても分かってるさ」

 次に東雲に会うときは、この里の傍だろうか、それともずっと離れた場所だろうか。出来るなら雪の日でなければいい、とギンコは思っていた。冬の寂しさの中で化野を恋しがり、うっかり魔が差さないとも限らないから。


 まだ雨は降り続いている。音も無く降り続いている。化野の心の中では、故郷にずっと降り続く雨が、やっと上がりそうに思えた。

 













 すとーん、と終わった感じですが、やっぱちょっと蛇足だったかしら…と思いつつ。最後は雨に濡れた先生とギンコで終わりたかったんです。このあと二人で風邪を引いて、東雲の置いてった風邪薬を飲むといいですねv

 先生には東雲以外にも二人の兄弟がいますが、出て来るかどうかは判りませんね! でも日輪と露月がギンコと会う話は書いてみたいと思っております。まぁ、そのうちに。

 ここまで読んでくださいました方、ありがとうございましたーーーっ。


11/08/11