贖い傷   - aganai kizu -  10







 ニ昼夜が過ぎた。

 ギンコと化野は交替で寝たが、男はおそらく、僅かも途切れずに作業をしている。怖いほどの眼差しで、刀とだけ向き合い、刀師はずっと刀を研ぎ続けた。

 何一つ喋ることもなく、ただただ作業だけをしていた男が、唐突に話しかけてきたのは、化野が部屋の隅で眠りに落ちている間のことだった。

「男同士で、恋仲…というやつか…?」
「ば…っ。…べ、別に…いいだろう」

 一瞬、馬鹿を言うなと言いかけて、ギンコは言葉を変えた。どうせ見られたのだ。今更隠してもしょうがない。そんなギンコの態度に、刀師は何の感慨も持たぬふうで、眠りこけている化野の方をちらりと見た。

「殺したい、と言われたぞ」

 その言葉に、心臓が締め上げられたような心地がする。ギンコは少し項垂れ、眠っている化野の息遣いを聞きながら、起こさぬように小さな声で言う。 

「……あぁ…。でも、あいつには、そんなことは出来ねぇだろうけどな」
「…本気の目には見えたがな。自分の好いた相手が、見も知らぬ誰かのために、その身を犠牲にして苦しんでいたら、誰だって正気を失うだろう」

 刀師は愛しそうに刀の背を指で撫でて、ほんの僅かの引っかかりもない滑らかさに、目を細めている。

「まだ聞いていなかった。あんたはどうして、俺の痛みを引き受けた。どうしてそんなにしてまで、俺の望みに付き合う? 好いた相手を悲しませてまで、何故…」
「……知ってどうすんだか」

 顔を歪めるようにして、ギンコは少し笑った。化野もこの男も、同じことを聞きたがる。ギンコの目はずっと刀師の手元を見ていた。仕上がり間近の刀には、色とりどりの美しい蟲が纏わりついて、さざめいていた。早くみえりゃぁいいのにな。そう思いながら、ギンコは気まぐれに言ったのだ。

 簡単に言葉に出来たのが、少し不思議だった。

「…昔、俺があったある研ぎ師は、蟲に憑かれたせいで幼い娘と妻を突然失った。そうしてその男を救えるのは俺くらいのもんだったが、俺はしくじっちまったんだ。そいつも、もうこの世にいないから、俺はあんたを身代わりに助けたかったんだよ。…身勝手な理由だろ…?」

 ギンコは癖で、ポケットから蟲煙草を取り出そうとし、今ここで吸う訳にいかないと思い出して、それをもう一度しまい込む。そんな彼の動作を眺めながら、刀師は呟く。

「…もうじき刀は出来る。そうしたら、あんたもそっちの医家先生も、俺にとっては恩人になる。それで…あんたが少しは救われるんなら…」
「だったら生きろよ? 俺のことはどうでもいいが、あんたが生きなきゃ、あいつに恩は返せないぜ?」

 言われた途端、男はびくり、と震えて、ギンコから視線を逸らした。ギンコの問いには返事は返らなかった。

 刀師は言葉を交わすのをやめて、再び作業に戻る。化野もやがては目を覚まし、熱い熱い炎の傍で汗を滴らせながら、文句も言わずに手伝った。そして暫くあと、男は突然動きを止めて、化野とギンコのいる前で、小さくぽつりと言ったのだ。

「…見えるぞ」
「見える? 何がだ?」
「刀が研ぎ上がったんだ、そうしたら突然…」

 不思議なことが起こっていた。無論、ギンコにも見えている。刀の完成を寿ぐように、蟲たちが光を増している。喜んでいるようにさえ見える。

「…それがあんたの刀に惹かれてきた蟲だよ。前にもそれを見ていたんだろ? やっぱり少しは見える質なんだな。酒はいらなかったらしい」 
「あぁ、そうだ。見覚えがあるよ。この光だ…」
「あんたは本当の名工だよ。俺もこんなのは初めて見る。まるで蟲たちが……」

 焦れて、とうとう化野が大声を出した。

「だからっ、何が見えるんだ? 俺にも教えてくれ!」
「あー、わかったわかった。わかったからこれを飲め!」

ギンコは化野の額に手を置いて押しのけ、腰に吊るしていたひょうたん酒を、化野の胸に突きつけた。

「ほら! ちょっとずつ飲めよ。あるにはあるが残り少ないんだからな。元々見え易い蟲なんだし、さほど酔わずとも見られるかもしれん」

 ひょうたんを受け取ると、化野はまるで少女のように嬉しげに頬を染め、蓋を取って口を付けた。言いつけも聞かずにゴクゴク飲むかと思えば、意外にも慎重にちびりちびりと飲み、一口ごとにきょろきょろしている。

 やがては待望のものが見えてきたらしく、おおお、と一言言って黙ってしまった。目は輝いたままで、その様はまるで子供だ。あまりに無邪気で、見ていて恥ずかしくなるほど。うっとりと、言葉もなく見惚れ続けて、その後に化野は言った。

「その腕、使わずにいるのはあまりに罪だぞ…」

 それを聞くと、刀師は少しばかり皮肉に顔を歪めた。

「腕? 手首から先のないこの腕か…?」

 男の視線が刀と蟲たちへと戻る。たった今の皮肉な顔も影をひそめ、彼は満足そうに刀を撫でて頷いている。ギンコはほんの少し不安になった。この男は「生きろ」と告げた言葉に、返事をしなかった。だからその不安は、ギンコの心の奥に残ってしまう。

「俺にもあんたの刀を作ってくれ。言い値を払うぞ!」

 化野の言葉は朗らかだ。

「そうだな。あんたには…できるもんなら、そのうちに」

 と、刀師は言った。

 穏やかで、なんの願いも抱かぬ声だった。





 お終いに見た男の姿は、庭の大石の前に花を供える背中。それを見届けたあと、歩き始めたギンコの足は速い。化野はそのあとをついて歩きながら、少し心配そうにギンコの後ろ姿を眺めている。駆けるようにして追いつき、隣から顔を覗きこんで聞いた。

「あいつがまだ心配か…?」
「…お前は、何の心配もいらないと思っているのか? 心に傷持つものを、一人きりで置いておくのが、正直、俺は怖いよ」

 その暮らしは、まるであの研ぎ師と同じだ。人の気配のない場所で、後悔にばかり迫られて生きていけるほど、人間という生き物は強くはない。せめて誰かが傍にいられれば。

「…あぁ、そうだな…。正直、俺も少し不安だ。だがあいつはそれこそ『名工』なのだろう。客に刀を約束したら、違えんだろうと思ったのだが」

 少し厳しい顔をして、化野はそう言った。何も考えていないわけではなかったのだ。ギンコの顔を見つめながら、化野はさらに安心させようと続ける。

「お前もまたここへ寄ろうと思っているだろうが、お前がくる前に、俺も来て様子を見ておこう。何、ここならそう遠くはないからな。だから、そう案じるな、ギンコ」
「…すまん」

 そんな会話が途切れた時、草を踏み分けて歩む道の向こうから、三人の男達が歩いてくるのが見えた。三人とも重たげな荷を背負って、真剣な顔で話し合いしながら近付いてくる。

「本当にこの先だと聞いたのか。段々道が細くなるぞ」
「いや、こっちだと確かに聞いた」
「そら、毎日のように音を聞いたと言っていただろう。この麓の家の人間が」

 男らは荷物をガチャガチャと鳴らしている。その顔は火にあぶられたように一様に赤黒く焼けている。そして三人はギンコたちに気付くと、勢い込んで話しかけてくる。

「聞きたいのだが…っ、この先に、家はあるだろうか?」
「…あぁ、あるよ」

 そんな会話をするころには、ギンコたちと三人の男の距離は随分近い。男らがそれぞれに肩に担いでいるのが、鉄を打つ鎚や道具だと言うのが、はっきりとわかった。

「ほら、やっぱりこっちでいいんだ。早く行こう! おやっさんがどうしてるか心配だ」
「聞いていいだろうか…? あんたらが探してるのは…」

 そう聞いたのはギンコだった。化野はもう、聞かずともわかったと言いたげに、ギンコの腕を嬉しそうに叩いていた。

「あんたらはこの先の、刀師の家に行くのかい?」
「あぁ、そうだよ。ずっと噂を辿っていて、やっとここまで来たんだ。俺らはおやっさんの弟子だからな。また刀打つようになったんなら、傍に置いて貰おうって、三人で話し合って来たんだよ」

「そうか、そんなら、早く行ってやってくれ」

 化野はそう言って、刀師の家のある方向を指差して教えた。三人は連れ立って、走るような勢いで行ってしまい、すぐに姿が見えなくなった。

「よかったなぁ、ギンコ」
「あぁ…」
「本当によかった」
「あぁ」
「弟子が三人もいるんじゃ、すぐにも俺の刀をこさえてくれそうだ」
「…そっちかよ」

 ぷ、と、ギンコは小さく吹き出す。やっと笑った横顔を見て、今度は化野が泣きたい気持ちになった。脳裏によぎるのは、ずっと辛そうだったあの刀師の顔だけじゃなく、ヒトの痛みを腕に受けて、苦しんでいたギンコの姿…。

「さあ家へ帰るぞ! やりたいことがいっぱいある」
「へぇ、そんなにあるのか? 例えば何を?」
「そりゃあ、こんな昼間に言うことじゃないだろう」
「…呆れるな」

 そう言ってから、今度は本当に明るく、ギンコは笑った。暫くぶりに心の底から笑った顔だった。心に刺さっていた棘が、するりと簡単に抜けた落ちるのを感じた。これでまた、顔を上げて彼は歩いてゆけるだろう。

 化野の隣で、見上げた空は眩しいほどに青かった。










 
 


 

 一話を書き上げるときは、なるべく時間が掛からずに一気がいいようです。ちなみにこの一話は三日掛かりましたよ。惑い星のヘタレめ! 

 ギンコの過去からくる彼の心の傷を癒すこと。それと同時に、不幸な一人の男を救うこと。それを目の当たりにして、人間的な感情を剥き出しにしてみせる化野。そんなテーマだったようです。んーん、もっとちゃんと書きたかったけど。しゃーない…っ。

さぁ、気を取り直して今日はもう一本書くぜ!
 


 


11/06/05