ゆめまぼろしうつつ
夕暮れ時、その部屋には薄紫の光が広がっている。
薄い着物一枚でいたから、知らないうちに彼の体は冷えてしまっていた。冷たい畳の上に、投げ出されていた手を緩く滑らせて、化野は溜息を吐く。
季節の変わり目だからか、急に呼び出される事が多い。幼い子供が高熱を出して、それに付きっ切りで看病もした。峠下の老夫婦は、揃って腰を痛めちまって、そこにも毎日通ってやり、やっと二人とも動けるようになったばかり。
疲れた…。
あいつは今頃、何処にいるんだろう。
ふと現実から意識を離して、こんなことを彼はいつも思う。気がつけば同じように、また考えている。いつまでも旅を続ける、掴みどころのないあの男のこと…。考えても判りはしないのに。
怪我はしてないのか? 何か患ってはいないか? お前、いったい、いつ来るんだ…?
彼の頭の中にぼんやりと、ギンコの姿が見えてくる。こんなところで寝ていたら、それこそ風邪をひく。判ってはいるが、見えている「彼」を、そのまま見ていたくて、化野は目を閉じていた。
ギンコ。お前、たまには俺を思い出してくれているのか? いや、忘れてるかもな。それで、怪我でもした時に、やっと思い出すってとこだ。どうせ、そんなもんなんだろ。
はぁ…。と短く溜息をついて、化野は頭の中の彼を、頭の中で睨みつける。少し、頭痛がした。先日、看病した子供に、風邪を移されたかな、とぼんやり思った。
眠っている化野の顔に、ふと影が差した。誰かが自分を呼びに来たのだ。また怪我人か。それとも風邪ひきの子供の熱が、高くなったのかと、そんなことを朧ろに思いながら、化野は目を開いた。
縁側から長い長い影が伸びて、その影が自分の居場所にまで届いている。その影を作っているものの姿に、化野は思っていた。
なんだ、まだ夢の続きか。
そうだ、夢に違いあるまい。
夢は願望を映すのだと、よく、そう聞いた…。
「ギンコ」
身を起こしもせずに、ポツリと名を呼ぶと、ゆめまぼろしのギンコは、ふい…と微かに振り向いた。横顔を見せ、その口元の煙草の先から、淡紫の煙を揺らして、有るか無しかの笑みを見せる。
「…ギンコ」
もう一度呼んでみた。
例え夢の中の彼でも、ギンコであることに変わりは無く、居てくれて嬉しい。でも呼んでも返事のないのが淋しい気がしてくる。きっと瞬きでもしたら、消えてしまうんだろう。
「なあ…。ギン…」
「なんだ、寝ぼけてんのか? 医家先生」
不意にはっきりと、返事が返ってきて、化野はギョッとした。夢だと思っていたのに、ギンコはうつつの彼だった。はっきりとそこに存在して、本当に縁側に座っていたのだ。
彼は化野から、視線を離して呟いている。
「…実は、この山一つ向こうの村に用があってな。時間は無いが、ちょっと寄った。だからすぐに、…っ!」
「ギンコ」
「お、おい…ッ」
夢でも幻でもない。現実のギンコだ。
そのぬくもりを感じながら、化野はギンコを抱いた。後ろから強く抱いて、首筋に顔を埋めた。縁側は開け放ってあって、誰が顔をみせるかも判らないのに、そんな事は頭から飛んでいる。
「人の話、聞いてんのかっ。すぐに経つと、言っ…。ん、んッ」
顎を捕らえて上を向かせて、化野は抗議しているギンコの口を塞いだ。冷えた縁側で、化野は片膝立ち、ギンコは庭に足を下したまま、そこに座った恰好で、半ば仰向けに倒れ掛かって化野に抱かれている。
そんな中途半端な恰好で、満足に抵抗しきれるものじゃなかった。…それに…けして、嫌な訳じゃない。
「ぅん…ッ。は、離せ…っ、こ…の…あだし…っ」
「泊まってけ」
「なに…。ん、ふ…ぅ…」
喰いついては、瞬間、離れ、また深く塞ぎ、貪る。夕暮れにやっと差し掛かる、こんな時間には似合わない、色の濃い繋がり。たかが接吻であろうとも。
靴をはいたまま、コートも着たまま、何より低い垣根に囲まれただけの、庭に面した縁側で。
「わ、判った。んん…っ。化、野…わか…った、から…」
「何が」
「…お前…っ…」
仕方なく承諾したのに、逆に聞き返されて、ギンコは恨みがましい顔で化野を睨む。
「お前が言ったんだろうっ。泊まってけって! あ…」
ほんの一瞬見えた、化野の嬉しそうな顔。こんなことを仕掛けていながら、まるで少年のような目。でも、繰り返される濃厚な口づけと、強引に服を剥ごうとする手は止まらない。
頼むから、靴くらい脱がせてくれ。土足で構わないなら、せめて部屋に上がらせて、それで障子を閉めるくらい、させてくれ。このまま、ってのは、あまりに…。あまりに……。
待ちくたびれて、焦れて焦れた化野には、節度も待ったも無いのだということを、ギンコは初めて知った。曝された素肌に、直に吹き付ける外の風を感じると共に…。
終
殆ど片手で打ったも同然ですよー。指の脱臼で、左手がミイラ男状態の惑い星っすー。打つのしんどいから、短い話でもね、とか思ったのに、たいして短くないじゃんよ!
マジで暴走化野先生と、押されまくって泣きそう(ってのは大袈裟か)なギンコさんです。「異なるもの16話」ほどではないですが、かなりイっちゃってるよ、センセ!
こんないつもと違う二人ですし、殆どキスだけだけど、ラブラブ度高いので、美味しく召し上がっていただけたら嬉しいです。眠る先生、私も書きたかったんだが、寝てたんだかどうだかな。
もうマジ、腕が重いんで、コメントは本当に短く! 明日元気が出たら、日記に筆後コメント書きまーすっ。
06/10/25