雪の夜の灯火






 白い

 白い世界が広がっている、果ても無く、果ても無く。行けど行けど変わらず、どこまでも白く白く白い風景だ。枝々は重みに折れそうにしなり、大地は白く丸く融けたように、何処も鋭角的な部分が無い。
 雪はすべてを覆い尽し、音すらもその下に埋め、この世にあるすべての、大小の命一つずつすら、見逃さずに隠してしまおうとするかのようだ。

 は…。

 と、ギンコは白い息を吐き出し、白の中に、ほんのりと灰色の闇を落とす穴を、足跡としてひとすじ穿ちながら、一歩、一歩と、白いばかりの森を歩いていた。寒さなど、もう何処にも感じない。寒いと感じるのは、最初のほんの少しの間で、その後は足や手の先に痛みを感じ、ついで痺れ、終いには、何も感じなくなってゆく。
 
 それも、いつもの冬の感覚で、珍しくも無いのだが。だが…この森は随分と深く広いらしい。いつになればこの「白」だけの世界に、小さくとも別の色が見えるのか、つまりは果てが何処にあるのか、ギンコには判らなかった。

 里は何処だ。
 せめて、小屋とかないのか。
 風を防ぐだけの木の洞でもいい。

 別にこんなこと、珍しくも無い。無いが、そろそろ膝が動かなくなりそうで、息も段々と苦しく、浅くなっていきそうで。実は今、何かで片足指の一つ二つ欠いていても、気付けないでいそうな、そんな気がする。それほど感覚が、体の何処にも無い。
 白く吐いていた息が、そろそろ透き通ってきて、もう体も、芯の芯から、冷え切っているらしい。

 ははぁ、そうか。そうだな。そうなのだ。そろそろこの身の体温も、生身よりも雪に近いか。指先はつららか何かのように、打てばぽきり、と折れそうか。

 森の果てはまだなのか。
 里は何処だ。
 灯りの一つも見えないか。

 今や氷のような、この身をほぐす、ぬくい灯火の一つもあるなら、何を差し出したって、それを欲しがっちまいそうだよ。


 あぁ、あぁ、あだしの

 もしも俺が、とうとう、ここで終いなら、な

 大事に隠してた心のひと粒、ひとかけら

 ひとつ、もっと、判りやすく

 見せておきゃあ、よかった のかな


 軒から、とうとう落ちてゆくつららのように、体を真っ直ぐしたまんま、ギンコは雪の褥の上に、ゆっくりゆっくり倒れてく。凍え過ぎてて、涙も出ない。けれど、その時、冷たい雪の中に顔うずめ、その半透明の結晶の、数えられない無数の重なりを透かし、ギンコは遠くに、確かに見たのだ。

 ほんのり淡い、蜜柑の色した、温かそうなひとつの灯り。


 あ、あかり、だ…。


 砕けて壊れたつららのような、すでに役にも立たなかった腕を、脚を、必死になって踏ん張って、ギンコはもう一度、雪の中に立ち上がる。あんまり酷い幻かと、思わず何度も目を凝らす。見間違いじゃない、幻じゃない、夢でもない。確かにあかりは、向こうに見える。

 やんでた筈の雪が、また降り始めていたが、泣き出したいほどのその雪のひとひらひとひらも、あかりを見つけた今ならば、ただ、視野を少し見えにくくするだけの、ちらちら揺れる白いとばり。

 里か。違う。家か。そうじゃない。なら小屋か。小屋でもないのか。

 ぽっ、と白に埋められた風景の中の一点。蝋燭のあかりのように揺れていて。とにかくそこへ、とにかくそこへ、ギンコは必死で歩いてゆく。近付けば、それは「かまくら」だった。地面に膝ついて、背を丸めなければ入れないくらいの、小さな小さな、本当に小さな。

 あかりがもれる、その傍へ、ギンコは声も無く這って行き、丸く開いた入口の中を、必死の思いで見たのだ。


 足が見えた。
 雪駄の足が片方。
 着ている着物は、色褪せた藍の色。
 その上に、薄茶の古びた綿入れ。
 ぽっ、と綿入れの裾に置かれる手。


 その足は、狭いかまくらの中に置かれた小さな火鉢を挟むようにしつつ、縮こまって膝折られて。その手は、火箸を持って、火鉢の中の燃える炭を、何だか無造作に、がさがさいじって。

 ははぁ… やっぱり こりゃ まぼろし

 ギンコは思って、それ以上這い進むのをやめた。きっと今以上近付けば、消えてしまうたぐいのものだろう。

 なんてぇ ひでぇ まぼろし だ

 今、一番焦がれてるもんを、わざわざ、ぽん、と出してみせるこたないだろう。触れないし声も聞けない。嘘偽りで幻で、どうせほろりと消えちまうんなら、ぬか喜びもいいとこだよ。

「この、やろう…」

 痺れた唇が、震える言葉をひとつ零した。

「…あいてぇ…よ」 

 冷え切った唇で、つめたい舌で、やっと言った言葉だけれど、その言葉は、どうしてか少し温かかった。

「あだしの…ぉ…」

 そうしてそれは、もっと温かい。幻聴だろうが、恋しい声も聞こえてきた。

『蔭膳じゃないが、このぬくもりも、なんとかお前に届きゃいいのにな。ギンコ、なぁ、もしどっか寒いとこにいるんなら、あたりに来い、来い。いつだって待ってるから、早くなぁ』
「気軽に、言ってんじゃ、ねぇよ…っ」

 そう悪態ついて、ギンコは小さなかまくらの、小さな入口から頭を入れた。まぼろしがいつ消えるか判らないから、なるべく消える瞬間を見ないように、目ぇ閉じて、狭い狭いかまくらの中、化野の真向かいに腰掛けた。

 火鉢を足で挟むように、両脚を前に出すと、化野の脚と、それぞれ交差するようになる。なんてぇ、狭いかまくらだ。それにしても、脚が触れるのが判るなんて、どんな凄いまぼろしだか。

 座って、手を火鉢にかざし、そうしてから、ゆっくり、そうっと、おそるおそる、ギンコは化野の姿を見た。触れてる脚、雪駄の。それから火箸を持ってる手、藍の着物に綿入れ、柔らかそうな、ちょっと傷んだ髪。

 耳、鼻、口、
  額、頬、顎、
   ギンコを見て、びっくりしている、目。

『……こりゃ、随分と、くっきりした幻だな!』
「え?!」

 ギンコが驚いて、そう一声上げた途端。化野の姿は消えた。火鉢も消えた。かまくらと、ギンコだけが残された。ギンコはぼんやりと、少しの間かまくらの中にいて、それから、もそもそとそこから這い出してくる。

 這い出して、歩き難い雪の中を、わりと元気にすたすた歩いた。雪も風もやんでいる。まだ歩ける、とそう思った。何より、このかまくら自体は幻じゃなく、よく見れば、子供の作ったらしい歪な形だ。つまり、子供がここまで遊びに来るほど、里が近いという事だろう。

 あぁ、そうだった。
 こんなことは、もう何度目だろうか。

 凍りつくような空気の中、雪の風になぶられ、雪の大地に埋められかけ。そんなふうに、もう、危うく違うとこへ逝きかけてても、生きるか死ぬか、結局、それを決めるのは、生きたいと願う心なのだと、ぎりぎり最後に、やっと判る。

 目を凝らせば、折り重なって立つ木々の向こうに、雪の積もった家々が、ぽつりぽつりと見えていた。ギンコは自分の頭や肩に積もっている雪を払い、その小さなかまくらを、もう一度だけ振り向いて、もうすぐ目の前の里に向かって歩き出す。

「なんとか、お前に、また会えそうだ」

 ギンコは自分でも無意識に、小さく笑ってそう呟いた。




 冬にだけ現れる蟲は少なく無い。
 その中には、こんな蟲もいる。

 真冬の、生き物の吐く白い息の中に住み、
 その息の温かみが、ずっと冷え切って消えた瞬間に
 幻を見せるのだとか、願いを叶えるのだとか。
 けれど、実際にはどんな蟲なのか、
 まだよく知られてはいないのだ。

 その現象を見たものが、
 そのまま凍え死んでしまうからだと言われる。

 蟲の名を「白吐」という。



 終














 かなり前、冬らしいノベルを書いてくださいー、とかとか、e様にリクを(無理やり)頂いていたのですけれど。そして「かまくら」の話を書きますね、と答えていたように思います。スイマセン、うろ覚え〜。こんな暗いリクじゃなかったような気も〜。汗。で、でも、それをやっと書きましたので、謹んでe様に捧げますー♪ 
 どうぞ、読んでやってくださ…。ってここにこう書いても、普通はここ、読んでから見るよね。笑。いやそのぅ。ど、どうぞっ。笑。

 で、ギンコの見たのが幻か否か。うん…。きっと本当に、先生と彼のいる空間が繋がったのだと思いますね。次に二人があった時、どんな話をするのやら。クスクス! あ、そうそうっ。蟲名は「お題De蟲名」より♪!




09/01/05