落 命 の 淵 8
「ん、んぅ…っ、は…ぁ」
襖の向こうへ押しやったワタヒコは…。と、ギンコは実は気にしている。気にしつつも流されたくて、きっと見える位置ではないだろうと考えてみた。でも物音や声は、きっと聞こえる。このまま流されたら…ワタヒコが、ここから先の声とか、全部を、聞い…て。
「ギンコ…、ギンコ…」
覆い被さってくる化野のぬくもり。それでも重みをかけないようにと、酷く気遣っていると判る。片手と片肘で、自分の体重を支えながら、もどかしげに、ギンコの着ている着物の襟を割って、中へと手を入れて。
あぁ、嬉しい。温もりが、化野の指の感触が、肌に落ちる息が嬉しい。
と、そう思いながらも、ギンコは喉を逸らして、襖の方を確かめるように見たのだ。きっと向こうからは見えないだろう。ちゃんと襖の向こうに隠れるように押しやった筈で。
が、確かめるためだけにやった視線は、まともにワタヒコの目と合ってしまった。見られている。ぎくり、として、思わず逃げるようにもがく。化野の唇が、逸れるようにしてギンコの乳首の上に乗って、舌先でそこを転がされ、堪らずギンコは仰け反った。
「ひ、ぁ…、ま…待っ…あだしッ」
「嫌がるな。焦れるくらい、優しく、してやるから」
体が辛いのは判っているが、それでも欲しい。抱かせてくれ、と化野の声が切なく震える。ギンコが何を気にしているか知らない。家の中に蟲でも集まってきたか、それともやはり、あの角瓶が何か。
どうでもいい。蟲は気になるが、ギンコが好きだ。自分より大切だと言えるほど、心底好きだ。…好きだ好きだ。失うなんて、考えたくもないものを、現実にそれを突き付けられた、あの痛み、憤り。
彼のその深い想いが、じかに愛撫に現れる。胸を吸う唇が、ただ単調に吸うだけではなく、小刻みに、ギンコの反応を感じ取りながら、より感じるよう、攻め立てるように、舌を使い、歯を当てて。片方で飽き足らず、もう片方を指先で。
「ふ、…ぁぁーっ、くぅ、ぁあ…。か、加減してくれ…ッ…たの、む…」
「…すまんな……出来そうに、ない…」
優しいなどと、嘘だろう。こんなに、いつもよりも辛い。それが視線を感じているからだということに、ギンコは気付かない。人の、ではない。そこから誰かに伝わるわけでもないけれど、興味深げに見る二つの目は、確かに向こうから注がれている。
「やめ…、ぁ…ッ、あぁぁ」
緩く結ばれていた帯が解かれる、着物の前に化野の指が掛かり、下肢を隠していたそれを、一気に大きく広げられ、脚の間に手が触れてくる。いつからだか知らないが、下着はつけていなかった。滑り込んだ手が、じかにそこを包み、上下に扱き出し、絶頂までほんの一瞬。
「あ、あだし…の、ぉ…ッ」
びくびく、と、ギンコの性器は化野の手の中で震えた。先端の窪みが収縮して、白く濁った液が弾け飛ぶ。飛沫は肌に零れ、捲られた布団に掛かり、そこを過ぎた向こうの畳にまで飛んだ。
ぐったりと身を投げ出し、虚ろに揺れる視線で、ギンコは化野を見、それから襖の向こうに見えるワタヒコを見た。激しい快楽に理性など溶けて消え、まともに考える余裕などない。
化野はギンコの髪を撫でながら、彼の視線が行く方向を見た。手のひら一枚分しか開いていない襖の隙間に、角瓶。中身は砂…の筈が、今は緑の液体に見えた。
「………」
暫し目をやり、その目を細めて不審そうな顔をし、けれどもギンコが、ん…と呻いたのを聞いて、彼は全ての意識を恋しい相手へと戻した。
「きつかったか…。すまん。でもまだ、一度イかせただけだけどな」
「…ひど…いな、おまえ」
掠れた声が恨み言を言う。でもギンコはまだ、夢か幻の中のようだ。
「酷いか。……ギンコほどじゃないぞ」
「……」
それこそ反論もできやしない、化野のその恨み言。ギンコは抱き起こされ、まだ体に残っている着物と、足元に絡んでいる帯を、すっかり取り払われて、もう一度布団に寝かされる。
「やめ…てくれ」
「…無理だ、止まらん」
「うらむぞ…」
「好きに恨め。だが、少しは俺の気持ちも判れ。お前、まだ隠し事してるんだろう。…あそこの角瓶」
「…なん…の、話」
「いいさ。お前が危ないことにならないならな。その代わり今夜は嫌がるな。したいようにさせろ。うんと…言え」
実際、ギンコに選択の余地はない。返事など待たずに化野はギンコの脚を抱え上げて広げ、肌に飛んだ飛沫を舐め取り、好きなようにその肌を吸った。雪原に赤の花弁が落ちるように、あざやかな跡が印される。
唇も舌も指も、やがて奥底を穿つ化野の性の象徴も、終りを知らぬようにギンコを攻め立てた。ギンコは理性を削り取られながら、それでも時折、開いた襖と襖の間を見た。都度、視線とあって、く、ぅ…と嗚咽して目を閉じる。
羞恥心は、快楽を倍増しさせる媚薬だ。今までの中で、酷く辛い夜の一つだった。けれども幸せな一夜でもある。ワタヒコの眼差しに狼狽しながらも、ギンコは化野のくれる熱さに、酔い続けているのだった。
*** *** ***
ギンコは山道を歩いている。山すそに沿って、里の歩きいい道を行きたかったが、今回それはとても無理だ。
ふかかいだ
あれは どういう意味ダ?
布団のナカで あんなナガい時間 ふたり
イタイことか? 苦しいのか
イヤがることを 朝マデ ずっト
紐をつけて首に下げた、その角瓶の中、ワタヒコは飽きもせずに問いを繰り返している。返事の一つもしないのが悪いのだろう。問いは堂々巡りで、いつまでも同じことを聞かれ続ける。
ほんとうに ふかかいダ
にんげん は 判ラん
あんなイヤがるのを それでもずっト
あいつ、悪イやつだろう
ギンコはいきなり歩みを止めて、前を見たままで言ったのだ。瓶の中でたぷり、とワタヒコの顔が揺れて歪んで、また元の顔に戻る。
「化野は悪かない」
そうか ソレで お前も悪クなくて
あいつの方が強いカラ おまえ
「俺が悪い。みんな、俺が悪かったんだ」
ワタヒコは何を思ったものか、しばしじっと黙っていて。ギンコはほっとしてまた歩き始めた。この分だとそろそろ、里を通る道を歩いても、平気なんじゃないかと思った途端、また新しい問いかけが。
悪イのは 蟲師のほう
なら あれは つまりオシオキとかいう
あんな声デ 叫ぶほど 辛いオシオキ
ギンコはいきなり走り出して、彼の首に下がった角瓶の中のワタヒコは、揺さぶられて喋るどころじゃない。そうしてギンコは道の端にしゃがんで、木箱の中から布の塊を出し、それで角瓶をぐるぐる巻きに。
それから木箱の一番大きな箱に押し込んで、何事もなかったような顔で歩き始めた。まだ顔は随分と赤いが。布にくるまれたワタヒコの声は聞こえなくなって、この手しかない、とギンコはしきりに一人頷くのだった。
*** *** ***
「あだしのせんせぇーっ」
それはギンコが旅に発った翌日のこと。名前を呼ばれて顔を上げると、坂を上ってくる三つの人影。手に手を取った三人の、まだまだ小さい子供らだ。あの日、ギンコの手を握っていてくれた子たちと、角瓶を持っててくれた子供。
「せんせいっ。うちでも見たよっ」
「おー、お前ら転ぶなよ? 母さん様子どうだ? ん、何を見たって?」
何気なく聞いたその顔が、見事に強張るのはすぐ後の事。
「まだお布団にいる母ちゃんと父ちゃんも、こないだの先生たちと同じに、お口くっつけ」
「わぁっっっ…!」
化野のいきなりの奇声に、子供らは三人とも目を丸くする。
「先生、どうしたの?」
「い、いや…なんでもないっ。あ、あああのな、その…口をくっつけてるのはな、ま、まじないなんだぞ」
苦し紛れに化野は、こういう小さな子供でなくば信じないような、妙な作り話をしてしまう。
「そうだ、まじないだっ。だ、大事な人が幸せでいますように、っていう…。それでな、あんまりそのこと人に話すと、効き目がなくなるかもしれないから、な? だからもう、そのこと誰にもいうな。な?」
子供らは判ったのかどうなのか。三人三様に頷いて、また手を引き合いながら坂を下りていった。
化野の目の届かない旅の空の下、ギンコは一体無事でいるのか。無事でまたここにくるのか、と。思い悩んでいた気持ちが、子供らのせいで、ほんの一時だけれども吹っ飛んだ。
あんな小さな子供らのことだ。きっとすぐに忘れるだろう。そうだきっと忘れる、忘れてくれ、頼むから忘れろよ、と、ひとり悶々とする化野なのだった。
終
落命の淵、ラストですー。最初暗くて終り間際ほかほか。ラストはちょっとお間抜けで。
こんなに長くなりましたが、読んでくださった皆様、ありがとうございます。そして難しくも素敵なリク、ぽけ様、ありがとうございます。差し上げるのが遅くなりまして、申し訳ありませんっしたーーーっ。
08/04/06