一度ブログに載せてますものの転載ですが、死にネタです。ご注意あれ。
しかしこのお話は、螺旋シリーズの原点?ともいうべき設定がちらりと載ってもいまして、私にとっては大事なお話なのでした。

今まで二本連載を書いたあの化野先生とは、違う先生…だと思います。





… 刻 の 蝶 …


「いいのか…。もう…こんな、わたしに…」

 そう言うとギンコは、あまりにもいつも通りの顔で薄く笑った。カーテンの向こうで、まだ朝は夜の下に沈んでいるらしい。手を置いて、微かにベッドを軋ませて、ギンコは言う。
「わたしはよせ。俺って言えよ。お前らしいお前でいてくれ」
 手を伸ばし、わたし…いいや、俺の手に触れるギンコの手は、いつもよりも少し冷たい気がした。それとも俺の手は温度を感じる事すら、もう上手く出来ないのかもしれない。乾いた皮膚、年老いた手。
「…なぁ、こんな…こんな年寄りに」
「よせって。年の事をいうんなら、俺の方が余程。…判っているだろう。今年で確か、三百…二十、五、だか、六、だか…な」
 もう遥かに遠い遠い日に、時の止まったギンコは、そうして笑って俺の髪を撫でる。身を寄せながら、するりとシャツを肌から落とし、ずっと変わらない姿を、俺に見せた。
 ぬくもりと共に、胸を重ねられ背中をそっと抱かれて、俺は蝶を見る。

 黒い蝶
 白い蝶
 視界を覆いつくす黒く小さな影に
 ほんの時々ふと見える
 一つか二つの白

 閉じた目の奥でその蝶達が、無数の翅を閉じて開くたび、同じく無数の記憶の断片が、俺の中できらきらと輝いて、輝いては胸を打つ。どれがどの『俺』の記憶なのか、もう判らない。でもどれも掛け替えのない記憶。
「俺は…何人目の『あだしの』だ?」
「……前も言ったろ、六人目…だ」
「そ…か、じゃあ、七人目は早く見つかるように、俺も祈るよ」
 ギンコが言うに、転生は本当にすぐらしいから、見つかりさえすれば、それだけ次の『俺』はお前と長く生きられる。
「まだまだ早いさ」
 首を左右に振る俺。背中を抱いたギンコの手に、そっと力が篭り、そうしてその力が緩やかになって、静かに俺の背を撫でた。弱った体にきつい抱擁は辛いから。

 『来るな』  『化野』  『危険だ』 

 あの日、叫ばれた言葉が、今は脳裏に淡々と響く。飛び交う蝶に体を囚われて、さらわれそうだったギンコを、助けに飛び出した筈が、ただ、彼の口に一匹の白い蝶が入り込むのが見えて…。
 ギンコの時間は、その時に、すっかり止まってしまったのだ。

「どうした、震えてんのか?」
「…すまない」
「何がだ」
 ギンコを身を離し、乾いた俺の唇に唇を押し当て、深い深い緑の目でゆっくりと心に刻むように俺を見る。
「…謝るのは…本当は俺かもな。俺に会わなければお前は何も思い出さずに、普通に一生を終えるのに…。最初の『お前』を引いても、もう五人もの『お前』を、俺の運命に繋いじまった。俺の死後は当然、地獄だろうよ。死ねたとしての、話だが」

 もう、いいよ、充分だ。
 だからどうか…と願おうと、
 止まった彼の時間は動かない。

「あいして…いる。すまない…本当に」
「馬鹿、お前のしたことじゃねぇだろ…? もう…遠い昔のことだよ」

 愛の言葉を返さずに、ギンコはもう一度俺に口づけを落とした。


 
 そうしてギンコはきっと翌朝には、冷たい骸の俺を抱いて、涙を流してくれるのだろう。涙が枯れるまで泣いたら、きっと次の『俺』を探すのだ。旅をして旅をして、最初の『俺』が知ってるお前のままに、旅を続けて『俺』を探すのだ。

 ああ…
 願わくば 次の『俺』よ そのまたさらに次の『俺』よ
 ここで終いの俺の分まで 深く深く もっと深く
 飽くほど深く ギンコを愛してくれるように


 輪廻の糸を繋げ

 黒の蝶が天を覆う

 輪廻の糸を断ち切り

 白の蝶が天を刺す

 青の
 
 青の蝶は

 切られた糸を

 また結ぶ

 
 
 抱かれながら、ゆっくりと逝きながら、俺は何も知らない。ギンコの上着のポケットの蝶が、箱の中で綺麗な青の燐粉を、ずうっと前から散らしているのを。










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