お題より「薄明」
見えているものすべてが、ぎりぎりやっとわかるくらいに、まるで、淡い靄の中。大気は何も変わっていずとも、不思議と風景は白く白く、薄い明かりをだけを灯してあるように…。
あぁ、薄明と、いうのだったな。
そういう夕の刻を、俺は嫌いじゃない。じっと山中で足を止め、癖のように煙草の煙を揺らして、木々の間から見える小さな里が、だんだんと白く褪せた姿になるのを、今日もまた眺める。
そこに霞んで見えるのは、片側に海を沿わせるささやかな里。
あぁ、違うよ、違う。ここはあいつのいた里じゃないんだ。それでもこうして夜へと傾く薄明の時は、少しでも似た場所なぞ、みんなみぃんなお前の里に見えてくる。
そうだ。あそこあたりに坂がある。田畑の間を縫う小道を抜け、緩やかに始まった斜面は、やがて少しずつ急に。通り抜ける脇をみれば、咲いているハマナスの花。季節が変わればそこにはアジサイ。花がなくとも田んぼに波打つ稲の緑。
そういや、並んで見たっけ。初めて庭に咲いたリンドウ。
藍紫の美しさに見惚れ、青はお前の色だと、声に出さずに思ってた。そうだよ。海と空、どちらにもある青の色に、お前を重ねて覚えていれば、どんな遠い旅の先だって、寂しくないさとそんな愚か。
見なよ、そら。夕の紅はとうとう消え去り、今は薄暮とも呼ばれる宵の前の時。靄を溶かして広げたような、柔らかな白がすべてを覆って、まるでこの里自身、幻のようだよ。
「幻なら…」
お前がいてもいいさ、なぁ? そうだろ、出て来いよ。
馬鹿を言いつつ歩き出せば、不意に視野が霞んで滲む。ほろりほろり、零れる涙を、袖で拭って空を見上げた。光っているのは一番星か。それとも二番だろうか。お前が居れば、判りもせぬのに、きっと「あれが一番だ」と決めつけて指差す。
本当にそこにいると、思えるほどの幻に、胸が鳴る。喪失の痛みも、ほんの一瞬遠ざかるほど、嬉しそうに、とくり、と。小さく微笑んだ唇にまで、零れた涙が届いて濡らした。
判っている。
幻さ。
それでも嬉しい。
嬉しくて嬉しくて、悲しくて泣くんだ。
お前は死んだ。つい半年ほど前のこと。だからこの世のどこかにお前がいても、まだ生れ落ちたばかりの小さな魂。出会えるまでに、あとどれだけ、この薄明の時に、お前の幻と出会うだろう。
白く靄いだ風景には、そろそろと宵の色が降りてくる。あぁ、宵も好きだよ。この藍色は青、お前の色さ。
そうだな、あれが本当に一番星だったよ。
あんなに、きらきら、と輝いている。
涙でろくに、見えやせんがな。
終
探して出会ってもう一度、彼を愛し愛されるギンコは、不老不死で生涯、化野を探し続け、出会っては失い、また探すのです。永遠に続く命は、まるで螺旋を描く一本の道。ぐるぐると星たちに取り巻かれ、四季を、日々を、一日を、巡り続けるこの星も、別の螺旋を描いているのかもしれません。
二重、三重の螺旋には、涙が沢山隠れています。
薄命ではない、痛みを…。
06/23/2010
2013/03/10転載