白いカナリヤ



** 5



「なぁ、ギンコ」

 シャワーを急いで浴びた後、化野はギンコに話しかける。ギンコはまるで自分の家にいるように寛いで、ソファに座って水を飲んでいる。ただの水だ。コーヒーや紅茶じゃなく。水。化野はそれをまじまじと眺めて、言い難そうにギンコに尋ねる。

「き、君が食べるのは、その…カ、カナリヤの時と同じものがいいのか? いつもの小鳥用の…」
「…別にそれでもいいが、ちょっと見た目衝撃的じゃないのか? ああいうのをこの姿で食べるってのは。レタスやキャベツでいいよ。あと、リンゴとかミカンとか、俺の好みはお前がよく知ってるだろ?」
「そ、そうか、分かった。じゃあその…帰りに買ってくるよ。今見たらどれも少し萎びてたから」

 言いながら、化野の視線がギンコの瞳に吸い寄せられる。朝の光のせいだろうか、夜よりも少しだけ透明感のあるエメラルドグリーンに思えた。綺麗な綺麗な色。無意識に化野はギンコに近付いて、彼の片目を隠している前髪に触れる。さら…と撫でながら退けようとすれば、ギンコは何故か嫌がるように身を引いた。

「あ、すまん、嫌か?」
「…煽るなって、言っただろ? それとも、夕べの続きをするか? 俺は構わないけどな。医院に顔を出すのは? 午後から?」 
「医院……。あっ! そうだっ、いかなきゃ…!」

 呑気にしている場合じゃないのを、化野はやっと思い出した。医療ミスの疑いは晴れたものの、それは自分に対してだけのこと。実際にミスをした医院長の息子と、患者や患者の家族の間で、どんな話し合いがあるのかも分からない。自分だって当事者なのだ。

 慌てて寝室に駆け込んで、スーツに着替えて眼鏡をかけて、支度をすっかり整えて、玄関へと向かい居間を通り抜ける。
 
「行って来るよ、ギンコ。休みなのにお前を一人にしてごめんな」
「…いや、気をつけてな」
  
 返事を返すギンコの目が笑っていた。出勤前のいつもの動作をしているうちに、日頃の感覚に戻っていたのだろう。早口で言った化野の言葉は、カナリヤのギンコへの言葉だった。君、じゃなく、お前。小さな子供に話しかけるような優しい声。それとも、甘えん坊の彼女を宥めるような声だろうか。

「い…いってくる…」

 かぁ、と顔を赤らめて、逃げるように化野は出かけていく。玄関のドアに指でも挟んだのか、妙なうめき声を残し、廊下を走っていく足音を響かせて。

 一人残されたギンコは、窓から外を眺める。人間の姿でいてくれ、と化野が彼へ懇願したが、本当はもう、カナリヤに戻る術などありはしない。彼は『引き換え』にこの姿を手に入れた。いや、手に入れたのではない『取り戻した』のだ。

 長い長い年月をカナリヤの姿でいたから、こうして人の姿に戻っても、すべて『昔のまま』に戻るのは、まだ月日が必要だった。

 ギンコは太陽の日差しを見上げた。日差しを受けて輝く木の葉を見た。部屋の中に視線を戻して、たった今、そこに化野がいるかのように、彼の残像を追いかけ、脳裏に焼き付ける。あとどれだけ時間が残っているのだろう。きっとほんの数日だ。そう思うと、酷く切ない。

 きり、と目が痛んで、ギンコはそっと瞳を閉じた。


* ** ***** ** *

 
 ガチャガチャと鍵を鳴らす音がドアの外から聞こえてくる。鍵穴を引っかく音も聞こえた。そんなに急がなくともいいのに、と、幾分呆れながらギンコは玄関へと迎えに出る。内側から鍵を開けて、ノブを回せば、恐る恐る覗き込むような表情の、化野の顔が見えた。

「よ…よかった」
「何が」
「いや、やっぱり本当は、いろんなことが夢だったとか、そうだったらどうしようかと」

 不安そうに言う化野の手には、近所のスーパーの買い物袋。リンゴが五つ、オレンジが五つ見える。さらにミネラルウォーターの大きなペットボトルが二つ。

「…買い過ぎだろ。どれだけ食わす気だよ」
「えっ? あっ? 多いのかな? いや、君がそんなに食べないなら俺も食べるよ」

 玄関から居間へと戻るとき、後ろから化野がそう言い訳している。ギンコは足を止めて振り向き、買い物袋を強引に受け取りながら
言った。

「今まで通り『お前』って呼んでくれよ。その方が好きだ」
「あ…。う、うん、分かったよ。追々で…いいかな、なんか呼び難くって」
「で? お前、自分の食べるものは買ってこなかったのか? 冷蔵庫は殆ど空だぜ?」

 忘れてたよ、と朗らかに言われ、ギンコはキッチンに果物を置いて戻ってくる。化野の上着を何処かから出して勝手に羽織って、ギンコは彼を買い物に誘った。

「この辺のことを覚えたいんだ。ちょっと出ようぜ?」
「あぁ、そうだな。いいよ、行こうか」

 そう言って外へと出たが、19時を回った夜のこと、当然のように外は随分と暗い。出よう、と安易に言ったのを内心で後悔していたら、化野が心配そうにギンコの顔を覗き込んだ。

「もしかして…鳥だから暗いとあまり見えないんじゃ…」
「…よく分かったな。そうらしい」
「コンビニならすぐ傍だけど、じゃあ、やっぱり俺一人で行ってくるよ。ギンコは部屋で待ってて」
「いや、行く。覚えたいんだ」

 妙に真摯な響きでギンコは言った。最低でもこの近所くらい、目を閉じてでも歩けるようになりたかった。そうじゃなきゃこれから先困る。もうあまり時間がないのも判っていた。昨日よりも今朝、今朝よりも今、ギンコの視野は段々と…。

「ギンコ。…君、左目、どうして」

 高層マンションの傍、風だけはいつも吹いている。その風にあおられて、ギンコの長い前髪はさらさらと揺れていた。そうして化野はしっかりと閉じたままの、彼の左の瞼に気付いてしまったのだった。

「…お前、って呼んでくれよ、化野。そう言っただろ?」

 ギンコは項垂れてそう言った。案外早くばれちまったな、と、心の奥に焦りが滲んだ。吹き続ける風に、また前髪が揺れる。化野には見えない程度、ほんの細く開いたその瞼の下は、深遠の闇があるのだった。














** 6



 恨めしい風。邪魔な風。ギンコの長い前髪をさらさらと揺らし、ずっと閉じたままの左の瞼を、化野に気付かせた。ギンコはうっすらと笑ったままで、少し、ゴミが入っただけだよ、と、何でもないような振りをした。

「……本当に…? 違うだろう? そうじゃない」
「いや…」

 何かを確信しているように化野は言ったが、分かっているのはギンコが何かを隠しているということだけだった。ゴミが入ったにしては、ちっとも痛そうじゃない。涙をにじませているわけでもなければ、入ってしまったゴミをなんとかしようとする素振りもないのだ。

「ギンコ、買い物はいい…。部屋へ戻ろう。目を診てやるから」
「別にいらない」
「駄目だ。お前の綺麗な目が、俺は好きなんだ」

 そう言い放たれて、ギンコの右目に悲しげな色が浮かぶ。軽く項垂れ、溜息を吐くと、彼は行こうとしていたコンビニの方へと一人で歩き出した。

「…わかった。見せるけど、買い物をしてからな。お前、ずっとろくなものを喰ってなかっただろう。買い物して、ちゃんと食べて、そのあとなら見せる」
「……ほんとに見せるか?」
「見せるよ。それよか、病院の方はどうだったんだ?」

 故意に話を変えようとしているみたいで気になったが、それでも化野は病院でのことを説明した。

 医療ミスの被害者になった患者と患者の家族は、病院との示談に応じてくれ、医院長の息子は当分謹慎。謹慎が解けたら遠い土地の病院にいかされて、そこで何年か性根を鍛えなおさせる、のだそうだ。

 だからもう何も心配はいらないぞ、と化野は言って、コンビニのレジに並びながら、ギンコを振り向いて微笑む。ギンコはそんな化野の姿を、瞬きの一度すらせずに見つめていた。

 今夜限りだろうか。そう、ギンコは思う。今ももう片方の目はまったく見えない。薄暗い場所では、残る一方も視野が霞む。化野の愛した濃い翡翠の瞳の色は、水で薄められたように淡くなって、それもまた悲しいほどに美しい。

「もっと笑えよ…」

 ぽつり、ギンコは言った。ここんとこずっと、悲しそうにしてる顔や、辛そうな顔ばかり見てきた。笑顔など見たのは久しぶりなのに、それがもう見られなくなってしまう。泣き顔を見たのは、殆ど初めてだったけれど、きっとそれが最初で最後になるのだ。

「え? 今、何か?」

 コンビニの外へ出ながら化野が言うと、ギンコは彼の肩を掴み、耳朶に唇を寄せながら囁いた。

「もっと、笑っててくれと言ったんだ、お前が好きだよ」
「ギ、ギンコ…っ」

 化野は盛大に顔を赤らめて、それを恥じるように項垂れながら言った。

「お前って、なんて言ったらいいか、す、凄く女の子にもてそうじゃないか? 昨日までカナリヤだった筈なのに、何でなんだ?」
「…昔……。いや、なんでもない。どうしてだろうな、何か理由があったかもしれないが、忘れたよ」

 コンビニで買ったのは、サラダとおでんとおにぎり。から揚げとかの入ったセットのおかずもあったのに、それを手に取ったギンコを、化野は青ざめた顔で見たりもした。
「そ、それは鳥だぞ、ギンコ。駄目だ…!」
 
 笑ってしまう。別にカナリヤのから揚げってわけじゃないのに、そんなことばかり気にしていたら、元々痩せてるくらいの化野が、もっと痩せてしまいそうだと思った。

 くるくると表情の変わる化野。もっと笑って見せてくれ。笑うだけじゃない。もっともっと、色んな表情が見たい。時間が今夜だけしかないのなら、少しくらい無茶をしてでも、今まで見たことのない姿も見たい。どうせ今、隠し通しても無意味だ。明日にはすべてが知れるだろう。

 そんなことを考えながら、おにぎりを齧る化野を見ていた。おでんの汁を零して、慌てて布巾を取りに立って、コケそうになる化野を見ていた。愛しい化野。お前が欲しいよ。

「化野」

 流しで洗い物をしている彼に、ギンコは静かに言うのだ。

「人間になるのは、自分じゃ出来なかったんだ」
「え? 何? ちょっと待っててくれ、ギンコ。今、片付け終わるからな。まずお前の目を診るからな。何、専門じゃないが学校では一通り習うから心配いらないぞ」

 がちゃがちゃと食器を鳴らしながら、棚に皿をしまう化野。その背中を眺めて、ギンコは言葉を続ける。

「人魚姫の物語と同じさ。声を代償にするかわりに、俺はこの目を差し出したんだ。人間になる為に…」
「…人魚…姫?」

 振り向いて、化野はそう呟いた。どんな話かは判っている。人魚が王子に恋をして、人間になる願いを叶えて貰う代わりに、魔女に声を差し出す物語。

「……何の、話…」
「あぁ、人魚姫よりは、俺はずっと幸せだけどな。俺は海の泡になんかならない。お前は隣国の王女に恋などせずに、俺の傍にいてくれるだろ? 例え、この目を失っ…」
「や、やめてくれ…っ!」

 化野は激しく言った。手を伸ばして、彼はギンコを捕まえ、白い前髪を掻き上げた。ずっと閉じたままだった左の瞼は、ほんの少しだけ、うっすらと開いていた。その奥の闇が見える。もう一方の右の瞳は、朝よりも、つい少し前よりも、さらに淡い色に見えた。

「何の話をしてるんだ? 代償? 失うって? ギンコ、まさか…っ。あ…」

 ギンコは化野に口付けをした。うっとりと見惚れるように、愛する相手の顔を見ながら、何度も何度も、ついばむようにキスをした。淡く開いた瞳の色が、見ている前でもっと薄れていく。

「やめ…。ギンコ…、ギ…」
「…ずっと傍にいるよ。だけど見られるのは今夜限りだから、抱かせてくれよ、化野。他の誰にも見せない姿を、俺にだけ見せてくれ。一度限り見られるその姿を、死ぬまで忘れず、俺は覚えておくから」
「なんで…そんな…」

 化野は泣いていた。悔しそうに顔を歪め、涙を零しながらギンコに口付けをさせていた。ギンコの指がシャツのボタンを外し、その愛撫が肌のあちこちに印をつけていくのを、じっと泣きながら感じていた。

 彼の唇が何かを呟いているように見えたが、声は一つも零れていず、その代わりに時折喘ぐ声が聞こえた。そうしてその唇は悲鳴をも上げた。初めてのことばかりでも、抵抗などする筈がない。それほどギンコの払った代償は大きくて、化野はそんな彼の為に、何でもしたいと思ったのだ。

 けれどそれは、けして償いなどではない。彼がギンコを、心から、愛しているからだった。















** 7


 
 ギンコは一晩中、ずっと眠らずに起きていた。眠ろうなどと思えるはずもない、枕もとに小さな灯りをつけて、同じベッドで眠っている化野の姿から、一瞬も目を離さずにギンコは見ている。もうあれから、何時間も…何時間も…。

 まだ目は見えた。窓の外から朝の光が少しずつ差してきて、そのせいだろうか、夜中よりもよく見える気がした。じわじわと見えなくなるものと思っていたけれど、一瞬で闇になるのかもしれないと、そう考え直してみる。

 ギンコが少しでも多く、絶望するように。
 ギンコがもっと、苦しい思いをするように。
 あいつは、きっと考えているのだ。

 目を欲しがられてもずっと応じず、姿まで変えられても言うなりにならず、どうとでも好きにすればいいと、居直りさえしてきた彼が、化野のことでギンコはとうう『目をやる』とそう言った。だから人間の姿に戻してくれ、と何度も何度も頼んだのだ。

 それなら願いを叶えてやろう、と、笑みを含んでそう言ったあの声が、耳の奥で今もこだましている。

 いっそ、針でも刺して自分から失明してやろうか。同じ見えなくなるのなら、じわじわとそうされるのも、散々時間がたってから、いきなり光を失うのも同じに思える。

 部屋に差し込む朝の光は、随分強く明るくなった。眠っていた化野が、少し疲れたような顔で目を開けて、首を向けてギンコを見た。

 青色が悪い。随分無茶をさせてしまったんだ。酷いほどに激しく抱かれながら、俺の目のことで、ずっと化野は泣いてた。喘ぎながら、小さな声でずっと何かを言っていた。俺の目を…と、そう聞こえた気がしたが、それはもうすぐ失われてしまうギンコの目のことだったのだろうか…。

「あ…ギ、ギンコ…っ。め、目はっ?」
「…まだ見えるよ、時間の問題だけどな」
「そう、か…」

 化野は体を起こし、眩暈でも感じたようなそぶりで左の目を片手で覆った。そうしながら、少し不思議な響きでこう聞いた。

「ギンコ…左目、昨日よりも、もっと見えなくなったのか?」
「…? さぁ、どうだろうな。明るいせいなのか、かえって夕べより見える気も…」
  
 化野は寝乱れたままの前髪を、手のひらで軽く掴んで引っ張って、ギンコがしているように、目でも隠したがるような仕草をした。そうできるほど化野の髪は長くなくて、ただの無意味な行動に見える。

 けれどその時、なんとなく、ギンコはぎくりとしたのだ。化野が、うっすらと笑っていたからだった。

「化野…?」
「ん?」
「お前…何、笑って…」

 振り返ろうとして化野はよろけた。伸ばしたギンコの腕の中に倒れこんで、互いの前髪が触れそうなほど近付いた。その一瞬、見開いた化野の目。

「あだし…」

 気のせいならばいい、と、ギンコは思ったのだ。けれどそうではなかった。見ている前で、化野の左の瞳が、はっきりと白く濁っていく。そう、ギンコの目の翡翠色が淡くなったのと同じに。

「や、やめろ…! やめてくれッ、どうしてだ。約束が違う! 俺の目を両方くれてやるのに、なんで化野の目を…!」
「…ギンコ、いいんだ」
「嫌だ…! 聞こえてるんだろうっ! 目玉二つで満足しないんなら、何でも俺から奪えよ…っ。なんでもくれてやる! なんでもだっ、手でも足でも! 欲しいってんならこの声もやる…ッ。それとも…命を」
「ギンコ…ッ!!」

 叫びと共に、胸を強く拳で殴られた。息を詰まらせ、項垂れたギンコの目から、ぼろぼろと涙が零れた。声が出なくなってしまうほど昂ぶって、それでもギンコはさらに叫ぼうとした。

「俺から、奪えよ! 俺から…っ! なんで…こんな、ことをするんだ…っ。こんな…」

 叫べども叫べども、返事は何も返ってこなかった。ギンコはやがて座り込み、項垂れて床に爪を立てた。そんな彼の傍に自分も膝をついて座り、化野がギンコの背中を覆うように抱き締める。

「…ギンコ。お前がそうしたように、俺も願ったんだ…。もう一方のギンコの目を取る代わりに、俺のこの目をやると」
「…な、なん…で…」
「多分、今のお前の思いと同じ思いを、俺もしたからだよ。大切な人が、自分のせいで目を失うなんて、ただ黙って受け入れられるはずがないだろう…?」

 あぁ、何故気付かなかったのだろう。何故、はっきりと聞かなかったのだろうか。化野はギンコに抱かれながら、気を失ってしまう寸前まで、何度も何度も言っていたのだ。

 俺の目をやる、俺の目をやる、俺の目を…。
 俺のこの目をくれてやるから…、
 残る片方のギンコの目を、どうか奪わないでくれ…。

 化野は子供をあやすかのように、ギンコの背中をそっと撫でて囁いていた。

「不思議だなぁ…。お前の涙は、翡翠色をしているんじゃないかと思ったてたのに、普通の透明な雫なんだな…。顔を上げてくれよ、ギンコ。俺の大切な、お前の瞳を見せてくれ…」

 ゆっくり、ゆっくりと呼吸をしながら、それでも時折息を詰まらせて、ギンコはやがては顔を上げる。

 化野はもう二度と、ギンコの右の目を見る事は出来ない。それはもう奪われて、失われてしまった。けれどももう一方の目は、淡くて不思議な宝石の色で、確かにそこにあった。

 そして怯えながらギンコが見た化野の左の目は、ついさっき白く濁っていった時と違って、ちゃんと黒い普通の色をしていた。

「あぁ…元のままの目だ…。でも」
「うん、少し、視力が悪くなった程度だ。大丈夫だよ…」

 そう言って、化野はもう一方の目を閉じて、異変の現れた左目だけで、部屋の中を見回してみた。

 …見えなかった。

 ほんの微かな明暗と、淡くぼやけた色が辛うじてわかるだけで、目としての機能は殆ど失っている。ギンコも化野の告げた嘘などすぐに見抜いて、また項垂れて嗚咽を零した。

 そんなギンコの顎を強引に掴むようにして上を向かせ、化野はギンコの左の瞼にキスをする。

「好きだよ、ギンコ。…あぁ、まるで誓いのキスだ。『健やかなる時も、病めるときも』愛してるよギンコ、例えお前が、カナリヤでも人間でも。もっと別のものだとしても、きっと」

 笑って言って、今度はギンコの唇に自分の唇を押し付けた。

「…化野……」

 震えたままの声で、ギンコは愛しいものの名前を呼ぶ。そうして化野の仕草をなぞるように、彼の左の瞼に口付けを落とした。

「『この命ある限り…』」
「…ほんとに、物知りなカナリヤだ」

 泣いたような笑いで、化野は言った。そうして二人は声に出さずに呟く。

 例えこの先、どんな困難があろうとも。

 

 永遠に、愛し続けることを
 誓います…。









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