Rajul Bila Wajah … 14
「スグロさん、向こうでは、色々」
「世話になった、ってかい? 確かにいろいろあったがなぁ」
問いたいことは多々あれど、まずは、と化野が礼を言う。煙草に火をつけようとしながら、返事をするものだから、スグロの口で、ひょこひょこと先端が動いてうまく火がつかない。ライターの点きも良くないようだ。
「はい、本当にお世話になりました。あの」
「何日経ったっけ? もう旅の疲れはとれたのかい? 時差ボケとかさ」
「あっ、はい、もう殆ど。それであの」
「ならよかった。ちっ、煙草、火ぃつかねぇな。なぁ、おいイサザ、店のライター貸してくれよ」
そう言って、スグロはライターを探そうとしてか、カウンターから離れてしまう。奥のテーブル席を探したり、ついでに椅子の上にあった雑誌を捲ったりしながら、持ったままのウォッカを飲んで。
「……ギンコの年って、スグロに聞いたんだろ? かんっぜんにその話題から逃げてるよねぇ、あれ」
カウンターに肘をつきながら、ぼそりと言ったのはイサザである。
「逃げて?」
「だってそうだろ? 俺と会った時のギンコがほんとに17とかだったんなら、スグロが会った時はもっとガキだったってことだよ? 俺よか一、二年は付き合いが長いって聞いてる。…ってことはさぁ。結局ギンコがいくつんとき食ったんだ、って話だよ」
「…あぁ…」
それを聞いた化野は、なんだかすうっ、と体の力が抜けた気がした。その脱力感の理由が、遅れて心に滲んでくる。
多分、スグロがろくでもない大人だったとかいう、そんな単純なことではないのだろう。モロッコでほんの数日一緒に居ただけだが、彼は悪い人間じゃない。少なくとも、ギンコを本当に大事に思っている。
「…ティフルシーイ…」
悪い子。過去のことは知らなくとも、想像することはできる。きっと、ギンコから誘った。あの、性を感じない口調で。
自分と会うより、イサザと会うより、スグロと会うよりもっと前から、たぶんギンコは「誰か」を探していたのだ。どうしたらいいのかもわからず、間違った方法でずっと、そんな大切なことを…。
化野は袖の布地越しに「それ」を弄った。あの日から、二つ重ねて其処にずっとつけている「運命」のしるし。
「…もっと、早く出会っていたら良かったのかな…」
ぽつりと言った言葉を、イサザが拾い上げてこう言うのだ。
「別に、遅かないと思うけどね。あんたギンコを大事にしてくれるんだろ? それにさ、俺だって、あのおっさんだって」
いつまでも往生際悪く、テーブルの下やソファの隙間に、ライターが無いかと探しているスグロ。間抜けなほどのわざとらしさに、イサザは呆れて、ライターを持った手を振りながら、スグロに声をかけた。
「どこ探してんだよ、ほら! ライターならこっちっ。煙草吸いたいんならこっちきて。灰皿もここだよ」
「あーーーー…」
スグロはすごすごと戻ってきて、スツールに座り背中を丸めると、残り少ないウォッカをちびりと舐めた。
「スグロさん、あの…彼のこと…」
「わかったっ、わかったよ。じゃあ聞けよ? いいか? 俺の人生も色々あってよ。正直、あいつを拾った時が一番荒んでた。白い髪に、きれーな石みてぇな目ぇしたあいつは、自分のことハタチってテキトーに言った。嘘なのは分かった。でも自己申告で『成人済』って言うんなら別にいーか、って、思ったさ」
そんでやっちまってから、後悔したんだけどな。そう言ってスグロは苦く笑うのだ。
「どう見たって十代半ばだった。けど…。わかるか、あんた? クズでゴミの自分なんかって思ってるときに、唯一あんただけ、って目ぇされる気持ち。父性と性欲の板挟みってのかい? やらしいこと散々されたあとだってのに、あいつ、ころっと俺の懐で寝やがって」
やっと火の点いた煙草を、スグロは美味くも無さそうに吸って、煙を吐いて、何かを懐かしむように笑った。
「三回抱いて、そういうのはやめた。あっちこっち、一緒に旅をしたのがきっかけだ。行きずりに毛が生えたみたいな、ほんのちょっとの関係で終わるのよりか、終わらない役の方を俺はとったんだ。俺が守ってやる、って思った。ガラにもねぇ? 悪かったな。けど」
じろり、とスグロは化野を睨む。
「だから俺はあいつの保護者で、あいつにゃ俺っていうコブがずっとくっ付いてるから、それ、覚えといてくれ」
そう言って、ひとつ大きな欠伸をして見せ、カウンターに突っ伏したスグロ。そんな彼の頭の横に肘を片方ついて、イサザがにっこりと笑っていた。
「それ言うんだったら、俺も。俺もギンコにくっついてるコブだから。よろしく頼むよ? 化野」
そこまで黙って聞いていた化野は、二人の方へ向かってぺこりと頭を下げる。
「……わかり、ました。こちらこそ、よろしくお願いします」
「ぶ…っ、なにそれ…っ」
イサザは腹を抱えて笑い、スグロは疲れているのか、なんだかそのまま寝てしまいそうだった。化野はイサザに言って、さっき見せてもらった雑誌を、別の号と合わせて何冊か借りて、その店を後にする。
店は地下一階。ドアを開け、地上へ登る階段を踏みながら、雑誌のページを捲るった。暗い灯りでよく見えなかった広告のページが、外出たらもう少しよく見えて、化野は足を止める。
ギリシア、エジプト、中国、イタリア。たぶん、それらの国なのだろう美しい風景。その中に居る『彼』の姿。どれも全部、顔が見えない。
「今、どこだい? ギンコ」
よもやその独り言に、返される言葉があるとは。
「ここ」
だよ、化野。
二音の先はかすれて、殆ど声にもなっていない。顔を上げた化野の視野に、驚いたように目を見開いているギンコの顔。
「ギ…。なんで…」
「夕方戻った。さっきまで寝てた、まだ眠いけど」
「そ、そう…なんだ…」
会いたくてたまらなかったのに、こうして会えてしまうと、何をどうしていいか分からなくて、化野は結局、スグロにはっきり問い質そうとしていたことを、彼本人に聞いてしまう。
「ギンコ。きみは本当は、いくつなんだい?」
寄りかかっていたガードレールから、ふっと離れてギンコは体ごと横を向く。彼はちらりとだけ化野を見て、薄く笑んだ。
「あんたは俺に、いくつって言ってほしい…? いくつの俺ならいいんだ?」
「…え…」
太陽の無い、暗い夜。様々なネオンや、街灯のせいで明るい夜。行きかう車のヘッドライトが、目の前を何度も横切って、そのたびに訪れる、短命な光と闇と。不思議だった。一瞬ごと、ほんの短い間に、ギンコの姿が違って見える気がした。
20歳ぐらい。
25、6。
18歳かそこら。
15よりもっと幼くも。
化野は思わず目を閉じた。なにも見ずに、言った。
「いくつでも。それが本当の君なら…」
数秒間、ギンコの声は聞こえず、そのあとで聞こえた彼の声は、どこか拗ねたような響きで、なんとも言えず可愛くて。
「じゅうはち。戸籍とか見る? いつだったか、証明できるもん見せろって言われて、写しをスグロに渡したから、まだ持ってるかもな」
「証明なんて、いらない、そんなの。俺は、二十六なんだよ。もうすぐ七。十八の君からしたら、もしかして、おじさ…」
せっかく言ったのに、年の話はギンコにきれいにスルーされ。
「来るかい? 今から、俺の部屋」
彼は言い、化野は首を横に振った。そして笑って、初めてはっきり自分から彼を誘った。今度、でも、次は、でもなく。
「此処からなら、俺の部屋の方が近いよ。眠いんだろう? 寝に来たら?」
意外そうにして、それからおかしそうにして、頷いたギンコに、化野は刺繍の飾りを手渡す。あれからずっと腕に、重ねて巻いていた、あの誓いのしるしの片方を。
「するべきことこれで合ってる? 教えてくれないか。俺からは、どう返事をしたら正しいのか」
ギンコは刺繍を指でそろりとなぞりながら、あまり化野の顔を見ない。
「受け取ってくれたことと、ずっとつけててくれたことで十分だけどな。それだったら、ここはモロッコじゃなくて日本だから、あんたの思うやり方でいいよ」
そう言われて、化野は暫し思案する。
「じゃあ…キスを。部屋に、行ってから」
キス程度、いつだって。と、言われるかもしれないと思った。でもギンコのそういう言葉は聞こえなかった。俯いて歩く彼の横顔を覗き込もうとしたら、逃げるように、ふい、とギンコは向こうを向く。
車だと近すぎて、歩くには少し距離があった。結局はタクシーを停めて、ものの五分で化野の部屋に着いた。
「なんだっけ? 病める時も…?」
ひとつしかないベッドに、ギンコは勝手に潜り込んで、肌触りのいい毛布を満足そうに鼻まで引き上げている。化野はそんな彼を見て苦笑して、ベッドに片膝を上げて、ギンコが引き上げて毛布を、ほんの数センチ下へずらした。
「健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか? …だよ?」
「…凄い、重くない?」
そんな全文、知らなかった、と驚いた顔をして。ギンコは、けれどそれに等しいか、それ以上の重く深いしるしを化野に既に渡している。
「君がそれを言うのかい?」
そう言って、化野は自身の手首のそれを解く。そうしてギンコのそれも解かせて、二つを互いの唇に乗せ、運命の輪を挟んだままでキスをした。唇が離れたあと、ギンコはどこか不満そうだった。
「ハタチ過ぎるまで、もしかして、キスもしないのか?」
そう問われた化野は、自信なさげに微笑むのだ。
「一応、努力するつもり。だから、煽らないで貰えるかい?」
「くっくっ。さぁな。俺はティフルシーイだから」
言い終えるなり、ギンコは眠ってしまった。その寝顔をほんの少しの間眺めて、化野はリビングのソファに眠りに行く。なんて幼い寝顔だろうか、とそう思って、たまらなくて。
寝にくいソファに横になり、目を閉じると、脳裏に満点の星空が広がる。その下に暮らす、深く青いアマーズィーク達の衣の色。聞こえているのは砂と風の、永遠に途切れない音。さらさらと細かな砂を、ラクダたちの、ぼってりと大きな足が、踏んで。
夜空の真ん中を上から下へと、銀色の流れ星がひとすじ。時の流れが今にも止まりそうに、ゆっくりと、ゆっくりと。
終
終わって…しまった…っ(> <)。
それにしても不思議なお話だった。何が不思議って、やっぱり一番は「ギンコ」の存在、でしょうな。小さな超常現象が、彼の身にはおそらく起こっていて、だから彼は幼少期から普通ではなく、普通に暮らす、こともしばしばできなかったのではないだろうか。
ってあとがきもどき書いてたら、随分長くなりそうなんで、この続きは同日のブログへ。長い話を書くと、やっぱりそれなり思い入れがあるのでっ。ではでは、読んでくださる方はブログへどぞー。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。こういうの、なかなか手掛けられないので、本当に、とっても楽しかったです。
2019.01.27