.
… 桜花の性 8 …







 可憐に咲く菊を横目で眺め、化野は何かを決意したような、すっきりした顔をして歩き出し、まだ朝も早いうちの茶屋へと辿り着く。化野が声を掛ける前に、女将は目を輝かせて寄ってきた。

「あんたさん、昨日の! あの別嬪さんはどうしたんだい?」
「あー…。そ、その。御蔭さんで」
「御蔭さんて…。男らしく、はっきりお言いよっ」

 女将は随分とギンコを心配しているらしい、興味本位ではなさそうな様子に、化野はまず、手にしていた風呂敷を手渡して、それから照れたように横を向いて言った。

「『めおと』になる約束を…、したよ」
「あぁ! そうかいそうかい、そりゃあよかった。これ、あたしのあげた着物かい? 別に返さなくてよかったのに。で、娘さんは何処なんだね。お祝いを言わしてくんなくちゃあ…」
「それが実はな」

 と、ここからが作り話のような、本当のようなもので、化野は半ば正直に言ったのだ。あの娘には実は事情があって、ずっと旅を続けているから、俺の許婚になろうと、本当に『めおと』になろうと、俺の里で一緒には暮せないのだ、と。

 女将は黙って聞いていて、じっと化野の顔を見ていたが、そのあと一つ、ゆっくりと頷いてこう言った。

「…それでも、幸せなら、いいじゃないかね。好き合った二人が、これまでの人生で一番幸せな気持ちになったのなら、それ以上の願いなんか、罰当たりってもんだ。…まあいいやね、事情があるっていうんだし、この話はもう、あんたにも誰にも、しないでおくよ。それでいいんだろ」

 そう言って女将は、店を開ける準備へと戻っていった。化野は女将に感謝して、来た道を急ぎ足で引き返し、家へ着くと、今度は腰痛の膏薬を持って家を出る。昨夜、腰が痛いから、と、外で自分を呼んでいたものがいたのを、やっと思い出したのだ。

 その道の途中で、向こうからもう一つの「難題」が歩いてくるのに出くわした。

「あっ、先生っ、なあなあ、ギンコさんに似た、あの別嬪さんは」
「会えなかったよ」
「えぇっ?」
「俺が茶屋についた時には、もうそこを発ったあとだったようでね」
「あー、そう、だったんだ、そりゃあ…。先生、残念だったなぁ」

 ちょっと腑に落ちない顔をしたまま、それでも男はきっぱりとした化野の態度に、それ以上しつこくすることも出来ず、道を引き返していった。どうやらそのことを聞くためだけに、化野の家を目指していたらしい。はぁ、と溜息を一つつき、彼は道を急ぐ。腰痛の膏薬を届ける為に、一生懸命に彼は歩いているのだ。

 そうやって彼なりの日常に浸っていなければ、また頭の中がギンコだらけになってしまって、医家としても恥ずかしい間違いを仕出かしそうだと、彼は思っているのだった。

 

 そうして…

 その頃、ギンコはいつものように山道を歩いている。桜の香はまだ、彼の体から溢れるように零れていて、擦れ違うもの出会うものは皆、不思議そうに桜を探して回りを見回していた。

 この匂いは蟲の放つ匂いだ。香のそのものも、蟲も、どちらも妃桜香(ひおうか)という、美しい名を持っていた。妃桜香は本来、植物にだけ寄生する蟲で、憑いた植物に美しい花を咲かせ香を放つのだという。香がもっとも強くなった時、蟲がその力をもっとも発揮するのが判っている。

 つまり。つまり…だ。ギンコの体は本当は今が、一番…。

「参った。重たい…。暑い…」

 深く溜息をついて、ギンコは背中の木箱を下ろした。辺りを見回して、誰も居ないのを確かめると、手早く上着を縫いでしまう。暑くてたまらないから、今まで着ているのが辛かったのだ。上着を脱ぐと、桜の香は益々あたりに広がった。
 
 なんだか、ズボンの股のあたりが、すかすかする。理由は判っていた。今までそこにあったものが、小さくなるところではなく、今はすっかり跡形もなくなっているからだ。代わりに彼の体には今、女の…それが完全な形で備わっていた。触って確かめてはいないが、胸も、きっと脚も腕も、全部が。

 また女に戻ったせいだろうが、何だか力が抜けるようで、荷物は重いし坂道が随分ときつい。

「あんな言葉、聞かされたからだ」

 化野の口から、『めおと』にだなんて…。女が好きな相手に言われて、一番嬉しいことを。その上、それを聞いたギンコは、頭の中で化野の子を腕に抱いている女の自分を、妙にはっきりと想像してしまった。

 香がその一瞬に強くなり、一度は男に戻ったはずの、体のその部分がどんどん、それまで以上に女になっていくことに気付いて、ギンコは強引に化野の傍を離れてきたのだ。

 だけれど、あぁ、だけど…。

 もしもあのまま化野の傍にいたら。そうしてもう一度抱かれ、今度こそ女の自分と、男の化野として結ばれることがあったら、もしかして、子供が出来たり、することも有り得たのだろうか。

 くす

 と、ギンコは笑った。

 有り得るからって、そんなの、なぁ。

 傍らの大きな木に寄りかかって、ギンコは道の表から身を隠した。女になって、愛しい相手と満ち足りた時間をある程度は過ごし、それからこうして化野の傍を離れてきた自分が、こうして「女」の体と「女」の心を持っている時間も、きっとあと少しだ。

 もう、ほんの少しの時間しか残っていないなら、せめて今だけ、それへ浸ろうか。この長い長い髪も、その時が過ぎ去ってから、未練を断つよう、ばっさり切ろうか。

 あぁ…
 どんな子だろうか。もしも俺と化野の子ならば。
 女の子だろうか、男の子だろうか、どんな名をつけようか。

 きっと、化野は子供を可愛がるだろう。
 きっと、俺はそれを見て、少し嫉妬するだろう。
 それでも、きっと…
 きっと、ここへ「帰って」くるのが、
 今以上に、もっと嬉しくなるのだろう。


 ゆめまぼろし…だ、と、ギンコは笑う。小さく微笑み、空想の中で化野の腕に赤子を抱かせ、その傍らで、そっと愛する夫と子供に寄りそう。

 「『めおと』、なんだよね、化野と…わたしは…」

 ギンコは言った。細い女らしい声でそう言って、綺麗に笑って、目を閉じた。強い桜の花の香は、そろそろゆっくりと薄れていく。ギンコの瞳に溢れた涙が、たったひとつぶ、ほろりと零れた。
 

 













 はいー。打った打った。終わりましたー。きっとこの化野は、女の姿のギンコのことを、ずっとずっと忘れないでしょうね〜。いやいやいや、そりゃあ私も忘れないかもー。女体化ギンコ、なんていう変なお話に、お付き合いくださった皆様、ありがとうございますっ。大感謝〜。深くお辞儀ーっ。

 もしもまた、血迷って変なものを書いたらこのページに持ってきます。女体化に限らず! そのための「other」ページなのでしたぁ♪ 



09/04/27