… まもりがみ 4 …





「おう、狸。ようやっと起きたのかい?」
 
 声をかけられ、布団に寝たままそちらを向くと、泣きはらしたような顔をした化野が、身を乗り出してギンコを見ていた。

「……俺が狸だったら、お前さんは白兎かい。目が赤いぜ」

 言ってやるなり化野は、困ったように横を向いて顔を隠したが、すぐにその顔を戻して言った。

「あのな、お前のせいで祠の中はぐちゃぐちゃだし、なんであんなとこに入ってたのか知らないが、俺が代わりに詫びたんだぞ…っ」
「……悪かった…」
「え」
「なんでも、ねぇよ」

 ギンコは寝返り打って、化野へは背中を向けた。その首にも方にも、薄く包帯。

「あぁ、そんな雑に動くな。あっちこっち膏薬を塗って、包帯巻いてあるんだ。お前打ち身だらけじゃないか。何があったんだ?」
「……何がって…。まぁ、いろいろあったさ。説明すんのは、面倒くせぇ。…聞くが、この里の海はいつも通りなんだろ、そんならいいんだ、別に」

 急に問われて、化野はいぶかしむ。

「いつも通りどころか、凪の海過ぎて漁が出来なくてな、祠の神様への供え物に、新年からみんなで頭を捻ったよ」
「へぇ、そうかい」

 ギンコは深く息を吐く。疲れているのか、あちこち痛くて辛いのかと思ったが、本当はそういうことではないと、化野は気付いてしまった。

「ギンコ…」
「…ん?」
「こっちを向け」
「…」
「ギンコ」

 黙っていたら、いきなり肩に手をかけられて、強引に体の向きを変えられた。肩も首も腕も、ぎしりと軋むように痛くて呻いたが、文句を言う前に、化野の剣幕にギンコは驚いた。

「お前ッ、何かしたんだろう!? 凪の海もそのせいなんだろう…っ」
「ば、馬鹿か。幾ら祠から出てきたんだって、俺は里の守り神なんかじゃねぇぞ。そんな力あるもんかッ」
「でも、何かしたはずだ。だからあんなところに居たんだろう、そんな怪我ばっかりしてッ」
「うるせぇな、わけのわからん言いがかりっ」

 目を剥いて、怒鳴り返したその視界で、化野は赤い目を更に赤くして泣いていた。子供のようなその泣き顔に、ギンコはすっかり呆れてしまって、ぐったりと布団に仰臥する。
  
「…ガキか、お前」
「ガキでも何でも、どうとでも呼んでいい…。でも、勝手に守ろうとして、勝手にそんな怪我をするのを、やめてくれ。取り返しのつかないことになったら、どうする…」
 
 守ろうとなどしていない。そう嘘を吐こうと思ったが、出来なかった。目の前で、膝の上につかれて震えている化野の手が、指が、どうにも愛しくてたまらなかった。
 
 怪我なんてもんじゃない。
 俺はこの里のために、
 つまりはお前のために、
 命を捨てようとしたのさ。
 驚いた話だろ…?

 そんなことを思いながら、ギンコは布団から手を出して、化野の右の手首を捕らえた。そしてその手の甲や手のひらや、指の一本一本を確かめ、体温を感じて、またひとつ、深い息を吐いたのだ。

「な、なに、なにを…」
「…いや、夢じゃないのかな、と思ってな」
「夢なものかっ、や、その…っ。は…っ離して、くれ」
「別に、嫌じゃないだろ、お前。あんな目ぇしていつもいつも、俺を見ていた癖に」
「…っ」

 今度は化野の目ばかりじゃなくて、頬も、耳すら赤くなる。 
「里人みんなの見てる前でさ、あんなふうに俺に抱き着いて、どう思われたんだかなぁ、どうするよ、化野せんせ」
「あっ、いや、あれは…っ」
「なんならもう言っちまえば? その方が、ムシがつかなくていい。俺も安心して、旅に戻れるってもんだ」

 旅に戻る、その言葉を聞いて、化野は息を詰めた。そして、その息がぎりぎりもつ間だけ黙っていて、それから言った。言った、のだ。

「……す、すきだ、ギンコ…。だからっ」
「うん、知ってたさ」

 化野の後ろ頭に痛む片腕をまわし、しかめ面になりながら、ギンコは彼の顔を自分へと引き寄せた。せんせぇギンコさん大丈夫なのかい、なんて、里人の誰かの声が庭でしたが、化野は抗わなかった。

 知られたら知られたまでだ、そう思うぐらいには、とっくに溺れているのだから。

「あれまぁ、せんせぇ赤い顔だ。熱かい? 風邪かい? もしかしてうちの一家から、移ったんかねぇ」

 表へ顔を見せるなりそんなことを言われて、大丈夫さ、これはまた別の理由だ、と言って化野は笑っていた。

「いいことがあったんだよ。ん? 聞かそうか?」

 


 ギンコは丸一日すら休まず、対岸のあの浜に戻っていた。砂の上に放置した筈の木箱が見当たらず、波にとられたか、それとも狸か何かに持って行かれたかと一瞬焦ったが、そんな彼の目の前を、とある男が通り過ぎる。

 元々は漁師なのだろう、日に焼けた顔のその男の背中には、見覚えのある木箱。

 それは俺のものだと言い、なんとか取り返し、返してくれた礼にと、化野に持たされた正月の祝い酒をその男に振る舞った。上等の酒に気を良くして、男は話をし始める。

「なんでこんなとこにこんな荷がって思ったよ。もしかしてまた高波が来て、旅人が流されちまったのか、とかよ。そこの舟の覆い蓋も、変にきっちり閉まってたが、中に人がいるでもなしなぁ」
「開けて見たのかい?」
「あぁ、元々ここは俺らの浜だし、あの舟は俺んだしな? いい舟だろ? 頑丈で、ほったらかしてても、ずっと無事であそこにある。きっと俺らが居ない間も、あの舟が此処を守ってくれてんのさ」

 それでか、とギンコは思う。彼の作った密室を外から開けて、虚が逃げ出すきっかけを作ったのは、この男だったのだ。

「それにしても、よかったなぁあんた。俺は今からこの荷や中味を、どっかに売っぱらいに行こうとしてたよ。そろそろみんなで此処に戻ろうかってんで、わずかでも金が欲しい時だからな。けど持ち主が死んでねぇなら、そりゃ泥棒だもんなぁ」

 ギンコは付き合うように少し笑ったあとで、残りの酒をそいつと分けてあおって、最後にこう言った。

「もうこの浜に高波は来ないと思うぜ、少なくともそんなにしょっちゅうは来ない」
「ほんとうか? でもなんで旅人のあんたに分かる?」
「…そうさな、ちょっとの間あの舟に乗ったのは俺だが、その時、舟がこう言ってたんだ。禍いはすっかり居なくなった。だから此処はもう、大丈夫だ、ってな」

 漁師はギンコに礼を言う。それは酒の礼ではなく、舟の言葉を教えた礼でさえない気がした。何故だか神様を見るような目で、男はギンコのことを見て、顔を輝かせているのだった。

 冗談じゃねぇな。

 と、ギンコは思う。俺が守りたかったのはあいつで、あいつの里で、あいつのいる海と浜だけだ。この浜を守る気なんかなかったよ。それに、その為に沢山の蟲が死んだのも変わらない。身勝手なことにも変わりがないのだ。

 空のとっくりをぶら下げたまま、ギンコは潮の香を嗅いで歩き出す。何気なくその手のひらを見たら、黒い毛の玉のような蟲が二匹、そこで絡まり合っているのが見えた気がした。勿論そんなものは錯覚だ。

 錯覚と知りながら見ていたら、今度は二匹の蚕がそこで寄り添い丸まっていた。本当はいないのに、とてもあたたかなぬくもりがあった。ついつい握ったあの手のような、あの指のようなぬくもり。

 そして、初めて吸ったあの唇の。随分、震えてやがったな、と、ギンコは笑った。

 あんなんで震えていちゃぁ、
 このあとが怖いぜ、化野。

 鼻孔に感じる潮の香が強い。波の音も耳にうるさい程だ。だが、これはこの浜のそれらではないのだ。今すぐにも踵を返し、急ぎ足で戻りたいと願う、あいつのいる海の香で、音で、慕わしさだった。









 全4話となってしまいましたぁぁぁ。来年こそは一話完結で新年ノベルが書けるといいなぁ。って今から思ったり。今回珍しくギン化で新年祝いとなりましたが、おひとりにでも楽しんで頂ければ、筆者はうれいく思います。

 ギン化が好きな方も、化ギンがよりお好みという方も、本年もLEAVESをよろしくお願いします。と、切に切にーっ。



2022.01.04