雷 の 棘 5
呼んでやれ。
お前に出来る精一杯で、声でない声を上げて叫んでやれ。
白と銀色と乳白を混ぜたような、淡い甘いあの光は、
きっと きっと お前だけを探して求めて、
喘ぎながら、ああして遠き空を渡っていたのだろう。
お前の呼び声は、だって、その為のものだから、
そぅら、あの空、あの遥かな夜空より、
どれだけ離れていようと、お前だけを探して求めて、
あれはやってくるのだろうさ。
「化野」
もう意識を手放しているだろう、と、判っていながらギンコは化野の名前を呼んだ。縁側に足を下ろして、咥えていた蟲煙草は消してしまって、彼は静かに空を眺めている。
白くとろりとそこで何かが溶けているように、暗い夜空に光が滲んできた。白く輝いていた星々は消えている。そう、いつの間にか見えなくなり、その大きくて柔らかな光が、星を掻き消し空を包んでいた。
「…きたぞ。なぁ? なんとかいう、御伽噺みてぇじゃねぇか…」
月から迎えがやってきて、空から落っこちて捕らえられてた伴侶を連れて行く。
くす、とギンコは小さく笑い、あ?違ったっけか、と一人で首を傾げる。空の光はだんだんと大きくなり、誰も気付かなきゃいいけどな、と、またギンコは思っていた。
銀の光に焼かれて作物が全て枯れたり、稲光が落ちてここらの山が焼かれたり、そんなことにはならないことくらいは判るから、ただただぼんやりとギンコは見上げている。
けれど、空の光は何かに戸惑うように震えて、今度はその光をどんどん小さく儚く消していった。このまま、消えてしまうのだろうか…。
長いこと化野の手の中に閉じ込められ、握りこまれていた雷棘は、いまや小さな小さな、ほんのちょっと珍しいくらいの石っころだ。ギンコが振り向いて見れば、それは石の中で、ちかちかと金色の糸を絡めつつ、中に線香花火でも閉じ込めたように、地味に騒いでいた。
空の月癒は穏やかだけれど、あまりに大きくて、大きくて、石っころになってしまった雷棘とはもうそぐわない。大きさが違いすぎて、お互いがそこにいることを、ちゃんと判れないのかもしれなかった。
「なんだよ…呼べよ。もっと」
ギンコは言葉なんか通じないと判っていて、知らずにそんな言葉を呟いていた。
「ここにいるのが、判らねぇのか…」
勿論、そんなギンコの言葉に雷棘は反応しない。ただ、僅かばかり畳を焦がして、小さく煌いているだけだった。苛立ったようにギンコは唇を噛み、彼はその黒い石へと手を伸ばす。
熱い、と判っていた。化野が最初に握りこんだ時とは比べるべくもなかったが、今だってこの石は、ギンコの皮膚を焦がし、肌に穴をあけるほどの熱を放つだろう。
指先で触れて、ぎくん、とギンコの体が震えた。やっぱり熱い。こんなにも熱くて…。こんなものを、何日も何日も握り締めていたのか、化野は。そうしてそれは何のためのことなのか、ギンコは判っている。
「…正気の沙汰じゃ、ねぇな」
が…ッ、とギンコは勢いつけてそれを握った。握るとその蟲は怒ったように、途端に光を迸らせる。部屋の壁にも襖にも、まばゆい火花を散らして、化野の眠る顔を光に照らして、蟲は最後の…そう、おそらくは最後の力を振り絞っている。
「ここ…だ、そら、見えるだろう」
空で、月の色をした明かりがまた、ぼう、と灯った。その光は一度は空へ広がったのに、そのあとでどうしてか、小さく小さく、小さくなって、いってしまう。そうしてギンコの見ている前で、ほんの一つまみほどの欠片になって、しまったのだ。
そうして、ひゅう、と飛んで、ぽとん、と畳の上に転がって、転がって、化野の寝ている布団にぶつかって、そこで止まった。止まって、柔らかく優しい光を、仄かに放っている。
なんだか、月の欠片、みてぇだな。
そう思うと、ギンコは握っていた雷棘をそこへ差し出して、ぽろりとその隣へ転がしてやった。
ころころ、と転がった二つの石ころは、黒と白、錦糸の煌きと、とろりと白が溶けるような光で、それぞれに不思議な色を湛え、彼の見ている前で、あとほんの少しの距離を、すう…と引き寄せ合って寄り添う。
寄り添うために、姿かたちも、ありようも変えて、
生きてることさえ捨てた、のか…。
朝までの間に、その黒い石も、白い石も、ただの石ころになってしまった。ギンコはぼんやりとそれを眺めたままで、どうしてか悔しそうに、一度強く唇を噛んだのだ。
「…生憎な、そんな器用じゃ、ねぇんだよ」
化野は余程疲れ切っているのか、こんな一幕の間も一度も目を覚ますことがなく、やつれた寝顔を曝していて、朝日の光が部屋に差すころ、やっと小さくうめいて目を開いた。
目を開いて最初に見たのは、まさに今、旅に戻っていこうとしているギンコの背中。
「…っ、ギンコ、待ってくれ! ひ、一晩くらい…っ」
「そりゃ無理だな…。今回ばっかりは、これ以上一緒にいたら、いろいろ、ぶっ壊したくなっちまう」
「え…」
「…判らねぇでいいぞ。また来るから」
縁側で靴を履いて、木箱を背負って立ち上がり、ギンコは最後にもう一度化野を振り向いた。化野の怪我をした片手にはきっちりと包帯が巻かれていて、着崩れてはいるが、ちゃんと寝間の着物も着ていて。一晩よく眠ったせいか、少しは顔色が戻ったように見える。
「化野…来い…」
「あ、ああ」
「来い、ここへ」
怪我をした方の手を床に付いてしまい、ぎゅ、と痛そうに顔を顰める化野。抱かれた時の激しさのせいで、足も腰もがくがくして、立ち上がるのも大変で、なかなかギンコの傍にたどり着けない。
ギンコはそれでも黙ったまま、手を貸そうとするでもなく彼を見ていて、やっと目の前にやってきた化野の、寝乱れた着物の襟を乱暴に掴んで引き寄せる。
ぶっ壊したくなるのは、お前のことじゃあねぇ。
寧ろ、俺自身のこと。今まで続けてきた俺の生き方。
何かを変えて傍にいられるのなら、
いっそ、そうしたいと思うのを、
今日ばっかりは、止められねぇんだ。
「ギ…ン…、んん…ッ」
「…目ぇ閉じろ、見るんじゃねぇよ」
何を?と、問うことは出来なかった。あまりに口付けが濃厚で暴力的で、ギンコが何かに堪えているのか、化野には判る気がした。
「…っ……」
唇が離れると、もうギンコの背中しか見えない。彼は急ぐでもないいつもどおりの足取りで、淡々と坂を下っていく。気付けば化野の手の中には、小さな小さな爪の先ほどの、不思議な石が二つ握らされていた。
…いつの間にか、すっかり忘れてたよ。
迸る雷みたいに棘のあるお前に、そうと判ってて惚れた俺だった。
だけど俺はお前の強い光に、見惚れるばかりじゃぁなくて、
月明かりのように、いつも優しく、お前の心や体を癒したい。
見るな…って? どんな顔してたんだ、ギンコ、お前は。
化野は小さく苦笑して、手の中の美しい石を見つめた。ずっと添おうとする二種の蟲は、今は、ずっと寄り添わせていたい二つの石。俺とギンコは、どうしたってこんなふうに、なれやしないが、憧れるくらい、いいだろう?
ちかちか、と、雷の色に石が光った。
ゆらゆら、と、月明かりのように、石が光った。
笑っているように、見えた。
終
なんかギンコがラストシーンで、やたらと丸くなってしまいました。や、何ででしょうかね。攻ギンコは難しいってことか。あーあ、ちょっとがっくり。だけどラストのシーンは、雰囲気こそ失敗しているものの、書きたかったことが書けたので、いいことに…しといてくださぃぃいいいいいいっ。
だだだだだだーーーーっ。←逃。
10/03/25
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