「もう平気だ。それ、返してくれ」
「いいや、駄目だ。まだふらふらしてるじゃないか」
「…それはお前だってだろ」

 ギンコの斜め前を、化野は歩いている。ギンコの木箱の肩紐を、左の肩で二つ一まとめにして、慣れない様子で、彼は一歩、一歩と歩いて、里へと戻っていくところだ。

「……そんな、心配しねぇでも、すぐ発ったりしねぇよ」
「そ、そうか? でも、まぁ、荷物持ちは任せとけ」

 わざと歩みを遅くして、ギンコは化野の隣には並ばない。化野がそれを気にして歩調を緩めれば、さらにギンコはゆっくりと歩く。

「なぁ、一つ、聞かしてくれ」
「ん…? なんだよ」
「お前、死んでもいい、なんて、思ってやせんだろう?」

 あまりに普通の調子で放たれた問いに、ギンコは一瞬足を止めて、化野の背中を見つめた。化野はすぐに気付いて、自分も前を向いたままで立ち止まる。

 ギンコは長いこと黙っていて、それから言った。

「思ってたよ」
「………」

 化野は振り向きかけて、振り向かずに項垂れた。木箱の肩紐を掴む手が震えている。そんな化野の後姿を見つめたまま、ギンコはうっすらと笑って、少し幸せそうに、こう言った。

「でも、今は少し、違う」
「少しか!?」

 とうとう振り向いて、化野はギンコの目の前まで近付いてくる。ギンコは思わず後退り掛けて、間に合わずに捕まった。

「少しってことはないだろう。だって、俺といるお前は」
「………」
「いや、すまん…」

 はた、と我に返って、化野はギンコの体を離した。そうして二歩ほど離れて、別の方を向いて呟く。赤くなった顔を想像できるような声だ。

「自惚れだと思うんなら、笑ってくれていい。でも…俺といるお前は、いつも、幸せそうに見える」

 ギンコは何も言わなかった。何の返事も無いので、化野が恐る恐る振り向くと、ギンコの姿がどこにも見えない。酷い衝撃を受けて、大声で呼ぼうと息を吸い込んだら、すぐそばの竹林の中から、ひょい、とギンコの姿が現れる。

 その手に、真っ赤な彼岸花の一輪を持っていた。

「ギンコ…!?」

 駆け寄って、その手から花を払い落とそうとする化野。それへ静かな眼差しを見せて、ギンコは教えた。

「これは、ただの花だ、化野」
「…そ、そうか。脅かすなよ」
「でも、ここの花芯にあの蟲の子がついている」

 ギンコは静かに化野に教えた。

「あれほどの幻を里に広げ、無数の花を咲かせて、人の記憶を喰い、そうして最後に、人一人の命を喰って、この蟲はやっと、こうして一粒の卵を作る。俺はお前のおかげで、命まで取られなかったから、この蟲の子は弱いよ」
「だが、そもそも、別の命を喰って生まれるなんてことは」

 言い掛けた化野の目を、ギンコが少し強い目で見据えた。

「命ってのは、もともと、他の命を糧に生まれ、他の命を喰って永らえるもんだろ? 俺も、化野も、他の人間も動物も同じだ」

 その通りだと判っていて、それでもここでそう言いたかった化野の気持ちも、ギンコは知っている。ギンコは目を優しくして言葉を続けた。

「きっと、こいつは蟲としてちゃんと生まれてくることは出来ない。それでも、この子を守ってなんとか生かそうとして、まだここらから霧が消えない。花の数を減らしながらも、蟲たちはまだ、こうして咲いてる」
「話は、わかる。でも、俺は許さんぞ。だからってお前がなんで」
「……」

 化野は言いながら、その目元では微笑んでいた。蟲を庇うようなことを言っていても、ギンコが自分の意思で、この世に戻ったことを判っていたからだ。

常世花檻  とこよ の はなおり 六

「さっきの答えを、ちゃんと教えてくれ、ギンコ」
「…さっき? さっきって?」
「はぐらかすな」
「いや、ほんとに。何の話か、覚えてないよ」

 化野は口をへの字に曲げて、ギンコを顔を睨もうとするのだが、その途端に呆けてしまった。ギンコの顔には、酷く柔らかな笑みが浮かんで、それが酷く綺麗だったのだ。

 彼は花の一輪を握っていた手を開く。ほろり、と零れた花は、地面へと落ちていき、土の上で、細く捻れた花びらを、血の飛沫のように、ぱっ…と四方に散らせる。

 ちかり、と何か白いものが光った気がした。その光はすぐに消えて、それと同時に辺りに沢山咲いていた真っ赤な色の花々が、霧の中に溶けるように消えてしまう。

 あとには、もう終わりかけの彼岸花が、ほんの数本ばかり、竹の林のその隅に咲いているのだった。






  もっと …   生きていたい …


 風が吹いて、どこからともなく聞こえた言葉は、蟲の声だったろうか。それとも、別の誰かの声だっただろうか。人も、獣も、草も、蟲も、誰もがそう思って、生きている。

 懸命に、生きているのだ。日々を、他の命までも糧として。
 それが例え罪だとしても、生を手放すこともまた、別の罪となる。

 「命」とは、なんと難しい。なんと難儀なものなのだろう。けれど、



「…ああ、幸せだ。だから生きていたい」

 砂利道に差し掛かったとき、ギンコは言った。化野は気付かずに、家への坂道を上っている。その背中を眺めて、頬笑んで、ギンコは少し足を速め、やっと化野の隣へと追いつくのだった。

























 人も動物も花も蟲も、生まれたからには生きたいと願う。逆を言えば、生きたいと思えずに、他者に命を与えて、自分を終わりにしたいなんて、とても悲しい不幸なことです。

 でも生き物の中でも、きっと人間は特に弱い生き物だから、幸せな人生でなければ、辛いだけの命ならば、いっそ何も感じないようになりたいと、思うこともあるんだな。ただ生きるだけじゃなくて、幸せに生きていきたいと願うのもまた、生きた心の動きかと思うのでした。

 堅苦しくてすみません。このストーリーの冒頭を書いてくださった、JINさまに感謝を、そして挿絵を書いてくださいました影様へ感謝を。お二人の力なくしては、このストーリーは出来ませんでしたですよ!

 ありがとうございました! 惑い星カラーになっちゃってごめんー。


10/04/24