銀花降る…  4





「俺はここだよ、化野。お前、『花』になったくせして、俺の姿が見えてるんだろ? 声も聞こえているんだろ? 少しばかり口もきけるようじゃないか。…凄いな…」

 そう言ってギンコは、花の枝に手を伸ばす。両腕を、できる限り伸ばして、それでもまだまだ届かない花たちに、一生懸命言葉を伝える。だって、これは『化野』なのだ。花に姿を変えていても、これは化野。そうして家の中に横たわっているのは、今は化野の姿を奪った『銀灯花』。

「ここだ。ここ。ここへ花弁を落とせ、それで『俺の体のあるじは俺だ』と、そう強く思え。そうしてそれを言葉にしろ、早く!」

 お… お れ         の…   か
          から   だ…    の    あ…
 
 花弁がいっぺんに、とお、落ちた。それが全部、ギンコの髪と肩に下りている。そうしてさらに六枚落ちてきて。

 お れ   おま  え           と

「あぁ、そうじゃねえって。だから『俺の体のあるじは俺だ』と…」

 ぎ …   こ     ぎん こ…

 六枚の花弁は、一枚がギンコの唇に触れて落ち、二枚が胸をかすめ、二枚手のひらに落ち、残り一枚が地に落ちた。ふう、とギンコは息を付き、額にうっすら汗を滲ませて震える。

 実は、時間があまり無い。化野を元に戻せるのは今だけで、今を過ぎれば彼の体は蟲に完全に奪われてしまうだろう。花弁の数には限りがある。振り向いて家の中を見れば、横たわる化野の肌の色が、ますます死人染みて蒼く…いいや、ほんのり蒼銀色にまで見えていた。

 ギンコは目を閉じ、暫しじっと考え、それから賭けをするような気持ちで言い放つ。以前読んだ文献と同じじゃなくていい、条件が揃えばきっと、あの言葉でなくともいいはずだ。だから。

「化野」

 ギンコは薄く微笑む。花を見上げ、少しばかり泣きたいような思いで、心を込めて彼は言ったのだ。

「化野、お前、俺についてきたくて蟲に返事したのか? そうだろう、ついていけるものになりたいか、と、そう言われて」

      そう    だ よ      だっ   て…

 七枚の花弁が降る。見上げれば、枝に残る花は、残り少ない。花弁の数で言っても、三十…か、もう少し少ないか。だから時間もまた、残り少ない。

「なら、いい事を教えるから、よく聞くといい。一度しか言わない。今しか言わない。そうしてそれが聞こえたら、一番強く思ったことを言葉にしろ。余計なことは言わなくていいから」

 わ    かっ た

 ごくりと息を飲んで、目を閉じて、ギンコは一瞬、告げようとする言葉を考えた。こんな時だというのに、頬が赤らみそうだった。それでも迷っている場合じゃないから、ギンコは言う。

「花びらになって、俺について来たって、抱けねぇんだぞ、化野! お前がちゃんと体を…温かい肌を持っていて、俺をここで待っててくれなきゃ、俺は誰に抱かれにここへ帰ればいいんだ…ッ! なぁ、体が欲しいだろう? 自分の体を取り戻したいだろう…っ」

  あぁ      ほ  しい   とりもどし   たい… 
     おれ    の  からだ…     を
         ぎ   ん こ      す


 立て続けに花弁が散り落ちた、ギンコは必死に目を見開いて、それらを腕で、顔で髪で、肩で受け止めた。実際、彼が必死に手を振り回さなくとも、白銀の花弁はすべて、彼の体へ向かって舞い落ちてくる。

 す…? あぁ「すき」とかなんとか、言いたかったのか? 
 ったく、余計なことは言わなくていいと言ったのに。
 「すき」と言うんだったら、残りの一文字はどうした?
 そうか…。もう、花弁が一枚もなくなったか。
 
 つまりは間一髪、だったと。

 多分、これで成功しただろう。そう信じながらもギンコは恐る恐る家の方を見た。化野が横たわったまま、顔をギンコの方に向けていて、その目は確かに彼を見ている。

「あだしの…? も、戻ったのか…」
「そ、そう、らしい…。うぅ、全身だるいぞ」 

 くたりと、その場に座り込んでしまい、ギンコは地に敷き詰められている、散った花弁に手を触れた。そんなギンコの姿を見て、化野は酷く心配になり、動かない体を無理に動かして、裸足のままで縁側を下りてくる。

「ギ、ギンコ…。だ、だ、大丈夫か。わっ…うわ…ッ!」

 大丈夫かと言いながら、自分の足がもつれて転びかけていては世話はない。転びかけてまでもそのまま数歩進み、彼は見事にギンコの目の前、手の届くところまで近付いて、そこで転んだ。地の上の花弁が、ぱ…っ、と舞う。

「お前の…言う通りだ。傍についていけたって、花びらになんかに、なってちゃなぁ。でも、お前、ギンコ。一つだけ俺に約束してくれ」
「…あぁ、何だよ。言ってみてくれ。ま、今回のは、どっちかってぇと、俺の抜かりがデカいしな」

 両腕伸ばして抱き締めて、化野は切なく言った。

「これから何年経ったって、何度でもここへ戻ると。俺の待つこの里へ戻ると、誓って…」

 ギンコは抱き締められながら、その言葉にちょいと息を飲み、心の奥でこっそりと苦笑した。

 そんな、破っちまいそうな約束。
 嘘になると、判ってるような言葉。
 俺に誓えと、そう言うのか…?

「俺のとこへ戻らずに、お前はどっかでのたれ死んだりとか、しそうでな。だから、実は俺は、もうずっと…」

 化野の声は震えている。だけれど、ついさっきまで死人のように冷たかった彼の肌には、あたたかい熱があり、ちゃんとぬくい血が通っていて、それが嬉しいと、ギンコは思う。そう思っているギンコの耳に、唇をつけて化野は言った。

「…それが、何より怖いんだ。怖くて、堪らないんだよ」

 声を立てないギンコに、化野は強く言った。

「なぁ、誓えよ、ギンコ。そしたらもう、今度こういう事があっても、蟲の言葉なぞ聞かないでお前をいつでも抱ける体で、ずっとここで待つと誓うから」

 なんてことだろう。そうでなくばこいつは、いつでも蟲の声に、耳を貸すってのか? そんなのはごめんだ。不安で堪らない。傍に居られるものになりたくはないか、と、そう囁く蟲の声を、俺こそが聞きたくなるだろうが。

「判ったよ、化野…。ちか…」

「ギンコっ、ギンコさぁん…っ」

 その時、青左の大声が坂の下の方から聞こえた。抱き締められたままだった体を、化野の胸突き飛ばして引き離し、ギンコは目を見開いて声の方向を見る。

「先生は無事かいッ」
「あ、あ…青左か。あぁ、まぁ、無事だよ、この通り」
「青左、余計なとこへ…っ」

 突き飛ばされて転がった化野は、あまりのことに、つい青左へ悪態ついた。ギンコも逆方向に尻もちついたままで、化野だけに、やっと聞こえるくらいの声で囁く。

「……誓うよ」
「…よし…」

 化野はちらりとギンコを見て、それから嬉々として青左を追い払おうとする。

「あー、青左、心配してくれてありがとうな。里人らへも、もう大丈夫だと伝えてくれるか?」
「…いいけど。でも、みんなここへもう来るけどさ。ほら」
「え?」

 確かに、坂を駆け上ってくる足音が多数。そうして無事なのかどうなのか、と心配している声までも、いくつも聞こえてきたようだ。化野は頭をくしゃりと掻き、残念そうにしかめ面をしている。ギンコはそれを見てくすり、と笑って言う。

「俺なら…四、五日はいるから、急かないでもいい。そんなしかめ面、するもんじゃないぞ、化野」
「そうかっ、じゃあ、夜は今度こそ二人でゆっくり」
「馬鹿、聞こえるだろ…っ」

 その夜は、もう風邪の治った里人らが、化野の家に沢山集まった。里に一人の大事な医家先生が無事だったから、ギンコへの感謝の宴だそうだ。宴は明け方まで続き、皆に祝われたギンコと化野は、何故か微妙に機嫌が悪かったという。





















五つのキーワード使用ノベル。

「蔵の二階」
「散る花」
「小雨」
『それがなにより怖くてな』
『目が離せないぞ』

 なんとかコンプリート致しましたです。結構、大変だった。笑。いつまでも若くないということか。え? 違う?

 さて、銀灯花は花に憑く蟲です。そしてまず花をのっとると、目を付けた人間に囁きます。

「願いを叶えてやるよ? ○○したくはないかい?」とね。化野先生の場合「愛しい相手の傍に、ついていけるようになりたいだろ?」という内容で、先生は「なりたい」とうっかり思ってしまったのです。

 銀灯花に肉体を奪われても、しばらくは意識がありますが、段々と花に、つまりは植物になってしまうので、思考することも喋ることも出来なくなります。

 でも先生は、意志の力が強いのか、花になって暫くたっても、ギンコに対してだけは、まだ口がきけたし、声が聞こえたし、花びらの散り落ちる場所も、操れたのですねー。ギンコさんも「凄い」と感心しきり。笑。

 そうでなきゃ助けられなかったので、よかったよかった。ヘタレ文字書きの、補足説明終了です! 読んでくださりありがとうございましたー。




08/10/22