静かなる痛み
「前に来たのは、春先…だったな…?」
薄い布団の上に、仰向けの格好で、片腕ずつ強く押さえつけられ、ギンコは胸を反らしている。耳元に唇を付けた化野が、耳の中に直接注ぐように、また一つ聞いてきた。
「今はいつだ…? もう、冬になる」
恨み言が、耳朶をかすめて首筋を辿り、化野の熱い息とともに鎖骨の窪みを撫でていくのだ。
「あ…だし…っ。ぅう…」
耳の後ろの白い髪の生え際に、化野の唇が届く。びくりと喉を反らし、ギンコは自由の無い腕を揺らした。重なった胸に、互いの鼓動が響きあっている。
「ちょくちょく寄ると、言ってた癖に。ギンコ…」
「ふ…、んんっ…」
深く唇を貪り、化野は片手でギンコの服の前を開ける。直に胸に触れられ、休む間もなくズボンの前にまで指が掛かった。動揺をあらわに、ギンコは急いで言い訳をする。
こんな言葉は、化野を相手に何度言えども、意味などないと判りかけていたが。
「俺は、一つところには、長く居られない体質だと言っただろ。別にお前を避けてる訳でもねぇし…っ」
「判ってても…腹の立つのに変わりはない」
「…化野ッ」
憎たらしいほどの手際で、来ている服が奪われていく。胸元に舌が這い、脚の間を直接指でなぞられる。眩暈のするような快楽に、隠した思いまで曝されそうで、ギンコは無理に体をうつ伏せにした。
待ち構えていたように、化野はギンコの体を後ろから抱いて、前に指を這わせてくるのだ。捕らえられ、化野の器用な指で散々に弄られて、喉からは擦れた喘ぎが幾度も零れた。
「ぁあ…、は…ぁ…っ」
ギンコの息遣いを聞きながら、化野は言うのだ。身勝手な言葉が、髪に触れる彼の指先と共に、顎の線を撫で、耳を撫でていく。
「…もっと、傍にいられねぇのか、ギンコ。なんか方法がありそうなもんだろ。なぁ?」
人の気も知らねぇで。と、ギンコの喉の奥で怒りが揺れる。その怒りも苛立ちも、気付かれたくない思いの形も、化野に出会ってから知ったことばかりだ。一人でいるのが気楽だと、自分を騙していられた頃が懐かしくすらある。
会えば離れたくなくなるから、会いにこれなくなるものを…。
こうして肌を重ねて、体を繋げて、息遣いも鼓動も、痛いほど生々しく感じてしまえば、また離れるのが辛くなる。
そうして離れている間には、求める思いが強くなってしまう。
自分で自分を追い詰めるのは、どこにも逃げ場がないからだ。化野に会う前に、戻る術などないのだから。
もう、ギンコは化野の愛撫から逃げようとするのをやめていた。脚を広げられて、そこに熱いものを沿えられ、深く繋がり合う。体の奥を突き上げられ、獣のように這った体を反らして…声を上げる。
そうして、彼が緑の瞳を細めて見た視界に、音も無く徘徊する無数の生き物たち。畳の上を横切るもの、空を行くもの、体にまといつくもの。化野には見えない、別の命の群れ…。
静かに涙を零すような、そんな思いで、ギンコは強く目蓋を閉じた。
*** *** *** ***
「あ、化…野…」
荒い息遣いの合間に、切れ切れの声を聞いて、化野はギンコの体を抱き起こした。散々酷く揺さぶって、力を無くした彼の姿を、済まなそうな目で見て、枕元にある湯のみの水を飲ませてやる。
「すまん」
「…何がだよ」
「聞き返すか、お前」
本気で済まながる化野の顔を、ギンコはちらりと見やって、薄く笑った。白い髪は乱れ、疲れた顔は青ざめているけれど、彼の笑う顔は静かだった。
「謝るな。別に嫌だとか、言ってねぇだろ」
開いた緑の瞳に映る蟲達は、ここに来た瞬間よりも、さらに数を増している。今だけ現実から目を逸らしたくて、ギンコは再び目を閉じた。
06/05/26