お 前 の 庭 で … 




 目覚めたのは、もう太陽が空の半ばを通り過ぎた頃。でも、寝入ったのは明け方だったから、化野はギンコを起こさなかったし、どれだけ寝ていても咎めるはずもない。

 いつもと同じに先に起きて、いつギンコが起きてもいいように、枕元に着替えの着物を置き、食べ物を用意し…。化野は今は、家の中のどこにいるのだろうか。薄っすらと目を開けて、気配を窺うが、どこからも物音はしない。

 身を起こして着物に腕を通し、不器用ながらもなんとかちゃんとそれを着てから、ギンコは縁側へと開ける障子に手を掛けた。細く開けると庭の隅に化野の背中が見える。

 畑から外れた端の方で、項垂れて屈み込んで、一体何をしているのだろう。

 踏み石の上に置いてある下駄を履き、ギンコは化野の背中に近付いた。足音も気配も判るだろうに、化野は何故か振り向かない。肩に置こうと手を伸ばして、その指先が届く寸前、やっと声が聞こえた。

「ついさっき気付いたんだ。怪我でもして他の獣か何かに追われたんだろうか。…かわいそうに」
 
 化野の手元を覗き込めば、彼の大きな手のひらの上には、小さな瑠璃色の小鳥がのせられていた。息はしていない。その鳥の小さな足の指は、枝を握るように丸められ、米粒よりも小さな瞼は、そっと閉じられている。

「埋めてやろうと、思ってな」

 ギンコはその、もう命の火の消えてしまった生き物を、静かな眼差しで見つめてぽつりと言った。

「野にあれば、死骸は、他の生き物の糧になる」

 化野は振り向きもせず、動作を止めたままでギンコの声を聞いていた。反論もしなければ、頷くでもない。ただ、淡々と、聞いているのだ。

「…ここが野の真ん中や山奥ならば、すぐにもっと大きな鳥か、他のけものに喰われただろう。でも、それがこの世を作り、永遠に周り続けている、命の鎖だ」

 長く黙り込んでいたあと、化野は自分の掘った小さな穴に小鳥を寝かせ、傍らで咲いている花を一輪摘んで投げ入れ、その上から手のひらで、そっと土を被せる。

 青灰色の綺麗な小鳥は、茶色の土の下になり、すぐに隠されて見えなくなった。墓標代わりの何かを立てるでもなく、置くでもなく、化野はただじっとその土の色を見つめ、それから暫し目を閉じる。

「まぁ、そうだけどな。それは判ってるが…俺の庭で眠りについたんなら、それも何かの縁だろう。埋めてやるくらいは俺はしたいんだよ」

 そうして覚えている間だけ、時々は思い出してやるのもいいだろう。忙しい日常に紛れて、いずれは忘れてしまうとしても、忘れるまでの間だけは覚えておく。それが供養かとも思うのだ。

 ギンコは化野の言葉には何も言わずにいたが、彼の心のうちまで判る気がして、背中だけでも優しく見える、彼の姿を眺めていた。

「……化野…」

 零れた名前に、続く声は無い。言ったら必ず怒るだろう。言える筈もなく、ただ心の中でギンコは思う。


 ああ…
 俺も死ぬなら
 その時はお前の庭で
 最後の息を
 つきたいよ…

 
 目の前に見える背中の、温かな温もりに、今すぐにでも触れたい。差し伸べられる腕の中に、包み込まれていたいと思う。けれども彼は、言葉に出して言えるはずのことまで、うまく言えずに口篭ってしまうのだ。

 あまりに不器用すぎて、言えた言葉まで途切れ途切れで、消えてしまいそうに震えている。

「そ、その…化野…。今日、は…」

「今夜も」と、言いたかったのに「今夜」とは言えず、なんとか「今日」と言えたけれど「今日も」とは言えずに。察して欲しいと無茶を思い、そうして為すすべもなくギンコは項垂れた。

 昨夜も、だったのに。

 しかも、もうよせ、やめてくれ、許してくれ、と散々、嫌がってもがきながら抱かれたものを、今夜も、また欲しいんだなどと、どの口で言えるのか。

 化野は手のひらを土色にしたままで立ち上がり、間近に立っているギンコを見ていた。化野の静かな視線の前で、ゆっくりとギンコの素肌が朱に染まっていく。

「ギンコ」

 抱き締めたいが、手が土まみれで今すぐはそう出来ない。

 代わりに化野は軽く身を屈めて、ギンコの首筋に口づけを、一つ、落とした。柔らかな肌を。あたたかい生きた温もりのある肌を、唇で啄ばむように小さく吸って、彼はすぐ目の前の薄桃色の耳朶へと囁く。

「お前に言われなくとも、そうするさ」

 言葉にしていない想いのどこまでを、化野は受けとめてくれたのだろう。聞かなければ判らないそのことを、聞いて質したいとは思わずに、ギンコはそろりと顔を上げた。

 見えた口元に、化野の唇が近付く。ギンコもそうと判っていて、黙って軽く目を伏せる。互いの唇から零れている、熱い息が嬉しかった。

「あぁ…、あだし…の…」

 低くて小さな垣根の傍で、どちらからともなく膝をついて、小さく小さく身を屈め、小鳥のような口づけを。それだけではとまらずに、絡む糸のように、中々ほどけない深い口づけ…。

 そんな二人の頭上を、涼やかに明るい鳴き声を響かせて、瑠璃灰色の鳥が飛び去っていくのだった。



                                     終











 先生とギンコさん、きっと命というものの捉え方は、少し違うと思うのです。人の命を救う仕事をしてきた先生。ギンコさんは…きっと、もっと淡々と、生き死にをみてきた様な気がします。

 だけれども自分の死を思うとき、やはり愛しい人の傍らで眠りたい、と、思うのではないかと思ってさ。

 野のケモノのように、野に死に、他の生き物の糧となることを、きっとギンコさんは厭わないと思うけど、それでも先生の知らない時に知らない場所で死に、いつまでも待ち続けられるのは、色んな意味で辛いかなとか。

 とにかく、色々考えさせられてしまうテーマでした。重たい話でごめんね。二人の「ちゅー」に免じて許したってくだされ。


07/09/20