桶と柄杓  後





「は…ぁっ、んんッ、ん…。も、いい加減、や…め…。く…ふ、ぁ…っ」

 咥えたままで、ゆっくりと顔を上げて、化野はギンコを見た。その口に自分の性器が咥えられているのを、ギンコはまともに見てしまい、反射的に目を閉じる。

 羞恥の思いが身を焼いた。見た途端に、欲しがるように後ろが緩んで、それを化野に知られると思っただけで、全身が震えて、怖いほどの快楽に襲われる。

「か、勘弁…してくれ…。頼むから…っ。ひ…!」

 吸い付くようにしたままで、一度口を外すやり方も、ギンコにとってはあまりに酷い仕打ちだ。ちゅ、と小さく音が鳴り、かすれた悲鳴が上がった。 

「悪いが、聞こえんな」

 無情にそんな返事をして、彼はさらに、ひくついているギンコのそこに顔を埋め、そうしながら後ろへと指を滑らせる。閉じた蕾に指が届いて、強引に指先を沈ませた途端、がくりと体を震わせて、ギンコは二度目の精を迸らせる。

 白い液を飛ばしながら仰け反り、その絶頂が過ぎた途端に、ギンコは布団の上を這いずって逃げようとした。まだ、多分、許しては貰えない。そう思っていた通りに、片腕で後ろから抱かれて、そこに灼熱が押し当てられる。

「ぁあ…あ、ま、待ってくれ。少しで…い…。は…ぁ、うぅ…っ」

 体を繋げられる時、ギンコは声も息も引き攣らせ、全身で震えて竦みあがった。見開いた瞳に、辛い涙が滲む。

 こんなのは、ただの、体と体で行う行為に過ぎないのに…。別に、殺されるわけじゃない。酷い傷を負わされるわけでもない。痛みも、恐怖するほどじゃないのに、どうしてこんなに、怖いと思うのだろう。

 関係が深くなればなるほど、心が溶けるように一つに癒着し合い、離れるときには、死ぬほどの苦痛に襲われると、そう思うのかもしれない。

 非道い男だ。嫌だと、やめてくれと、そう何度も言っているのに。昨夜だって夜通し、散々、揺さぶっておいて彼を疲れさせて、その上まだ、こんな事をしてギンコを泣き叫ばせるのだ。

 ギンコの腰をバラバラにさせそうなほど、突き上げ続けて、化野はやっと彼の中に精を放った。ギンコは心を何か温かいもので包まれるように、ゆっくりと意識を手放す。

 死んだように気を失った彼を、大事そうにそうっと抱かかえて、化野は丁寧に、彼の体に布団を掛けた。それから、急にがっくりと肩を落とす。

「はぁ……。また、やっちまった……」

 青ざめたギンコの顔を見ながら、化野はどこか愕然とした声で。ぽつりと呟いた。

 なんでこうなのだろう、俺は。どうするんだ、昨夜もギンコが気を失うまでやって、その上、たった数時間後の朝には、これだぞ。いい加減にしないと、嫌われちまうかもしれないのに。

 項垂れたままで、ギンコの傍を離れ、化野は朝餉の支度をしにいく。丁度食べごろの畑の野菜をとってきて、それから取っておきの漬物を出してくる。米を取りに裏へ行って、そこで思い立って、今朝獲れた生きのいい魚を分けて貰いに、少し歩いた先の隣家へ行った。

 その隣家で、ほんのちょっとつかまって、急いで家に戻ったら、もうギンコの姿は消えていたのだ。抱えていた米が、化野の足元に零れた。貰ったばかりの魚もそこらに放って、彼は外へ飛び出した。

「ギ、ギンコ…、ギンコ…っ! 」

 返事は家の中からも、外からも無い。

 怒らせた。それで、何も言わず、さっさとギンコは行ってしまったのだ。彼の顔も見たくないと思っただろうか。もしかすると、もう会いたくない、と。

「…ギンコ…ぉ…ッ!」

 叫んだ途端、彼の足元に何かが飛んできた。ガラリと音を立てたそれは、見慣れた木のひしゃく。びっくりして足元を見下ろし、それが飛んできた方向を見る。

 ギンコがいた…。そこにある井戸に片手を付いて、忌々しげな顔をして…。彼は何か言おうと口を開いたのに、結局、何も言わずに喉に手をやり、浅く投げ出すような溜息を吐く。

「お、お前、行っちまったんじゃないのか…? 俺を怒って…」
「…ぁ…ぁぁ…ぅ…」

 その態度と、かすれた息遣いで、ギンコは声が出ないのだと判った。やっと立っているような感じの彼に、化野は駆け寄って、両腕で支えてやろうとする。ギンコは身を強張らせて、首を微かに左右に振った。触るな、と言いたいのだと判る。

 それでも、ずっと近付いたから、かすれた声でも、ギンコのいう事がなんとか聞き取れた。

「何処にも行ってやしないから、人の名前をやたらと叫ぶな。みっともないだろうが…。行っちまいたくても、こっちは井戸まで出るのが精一杯だよ。誰かのせいで」

 それから井戸のつるべに手を掛けて、懸命に水をくみ上げようとするが、桶は一向に上がってこない。ギンコの喉も足も腕も、昨夜と今朝のせいで、酷い状態なのだ。

「水かっ? 待て、汲んでやる」

 化野は井戸から軽々と桶を引き上げ、転がされたままだったひしゃくを拾って、それに水をすくった。ギンコに差し出してやるが、伸ばされたギンコの手はがくがくと震えていて、これでは飲む前に殆ど零してしまうだろう。

「俺が、飲ましてやるから」
「…いい…。さわるな。昨夜、今朝と続いて、さらに何かされたんじゃ、たまんねぇ」

 鋭く睨みつけて、かすれた酷い声で、ギンコは言った。化野はしょ気た顔をして、それでも恐る恐る呟く。

「そうだよな、すまん…。判った…。じゃあ、触らない。右手に桶を持って、左手にひしゃくを持ったままだ。これならいいだろう、ギンコ」

 何を言い出すのやら、と、ギンコは思わず化野をまじまじと眺めた。大真面目な顔をして、片手に桶、もう一方の手にひしゃく。さっきは庭で作物をとっていたから、いつもの着物にたすきがけ。

「…ぷ…っ」

 思わず笑ったギンコに、化野も少しはほっとしたのだろう。彼はひしゃくの水を口に含んで、少しばかりギンコの方に身を乗り出した。反省しているんだかしていないんだか、彼はギンコに口移しで水をくれるつもりらしい。

 いい加減にしろ。
 調子に乗るな。
 人を何だと思ってるんだ。
 しばらくはお前の顔を見に来ないからな。

 そのくらいの事は言うつもりだった、その口で、ギンコは化野の唇に触れる。水は冷えすぎても温くなりすぎてもいず、かすれたギンコの喉を潤した。

 片手に桶を持ち、もう一方の手にひしゃくを持ち、着物にはたすきがけ、しかも裸足。そんな奇妙な恰好の、この男の今朝の無体を、ギンコはもう許してしまっている。

 ギンコは井戸に寄りかかって、薄目を開けて、化野の顔を眺めていた。水を飲ませるだけにしては、何だか長い唇同士の触れ合いを、自分からやめる気もおこらない。
 
 ああ、こういうのを、惚れた弱みとか言うのだろう。
 腹立たしいが、悪くは無い。


 畳の上に零れた米の一部は雀が、放り出された魚は野良猫が、それぞれに喜んで、遅い朝餉にしたようだった。



                                   終








2006年11月の拍手お礼ノベル。ワリとすぐに引っ込めて、それからずっとしまってあったので、読んだことない方も多いかと思いまして、引っ張り出してきましたー。

初めて読んだ方、前に読んだ方にも、少しでも楽しんでもらえたら嬉しいです。

エロさ激しく、萌え注意! 笑。


07/08/05 再up