一年ほど前に拍手においてた桜のお話です。
実は「その淡い紅色と花の香に」の続きとなってますので、
よろしかったらそれを読んだ後にどうぞ♪
『 花 宴 彼 酔 』
花びらが頬を滑るのが判った。
それがそのまま襟の中に落ちて、首筋に触れている。ほんのわずか、くすぐったいような感触に、ギンコは目を開けようとしていたのだ。
もとより、眠ってしまおうなどと思っていたわけではない。滅多に会えない化野が、この見事な桜を二人で見たいと、ずっと願っていてくれた。その事が酷く嬉しいから、少し肌寒かろうとも、このまま夜半になろうとも、なるべく長い時間、二人でここにいたいと思って…。
そう、その目を開こうと思った瞬間。襟のボタンを幾つか外された。化野がしているのだと判る。多分、滑り込んできた桜の花びらを、取ろうとしてくれているのだろう。
それは判る、それは判るが、じゃあ、この口付けは。
首筋を愛撫してくる、情熱的な唇は。
「…ん…っ」
「あ…。お、起こしたか、すまん」
そりゃあそうだ。眠ってたって起きる。起きないと思う方がどうかと思うが、どうなんだ? 酷く間近で目が合って、急に頬が火照ってきて、思わずギンコも曖昧な返事をしてしまった。
「…いいや」
見ると化野は、どうにも切ない顔をしていて…。酷く辛そうで…。
ああ、この顔は。この眼差しは。
俺が旅に発つ朝、ほんの一瞬見せて、必死で隠す悲しげな目。
思わず逸らした視線を、ゆっくりと化野に戻すと、彼は低くかすれた声で聞いてくる。
「何を…見て…?」
ああ、ほら、やっぱり…。
そんな目をしないでくれ。今はこうして傍にいるだろう。
消えたりしない。見えなくなったりしない。旅に発つのはまだ数日後なのに、今にも置き去りにされるようなその目。離れる時のことなんか、俺は考えないようにしてるのに、どうして思い出させるのか…。
「花。……お前と…お前の見せてくれたこの花だけ、見てるよ、化野」
そう言って、ギンコは化野に手を差し伸べる。唇を触れ合わせて、その不安が紛れるのなら、もう少ししててもいいぞ、と許すような顔で、彼の頭を引き寄せた。
嬉しげな顔をして化野はまた口付けをしてくる。今度は長い…長い接吻。元々酒が入っているし、薄く目を開いて見る視野は、夢と見違えるばかりの薄紅の世界。
自分と化野だけを中に隠して、幾重も、幾重もの薄絹が降りてくるかのように、花びらが風に舞い落ちる。細かい花をつけた枝垂れの枝が、不思議な帳のように揺れている。
「ん…ん…、ギンコ…」
「あ、あだ…し…。…んん、ふ…っ」
意味など無い呼び合いが、もっともっと、深く酔うための特別な言葉のようだ。だから思い出してはまた呼んで、呼ばれれば返事の代わりにまた呼び返す。
やがて唇だけでは足りなくなって、化野はギンコのシャツを捲り上げてくる。胸を殆ど曝け出すような姿にされ、そこに唇を落とされて、ギンコは少し狼狽した。
けれど、柔らかく甘い愛撫が、肌を滑る花びらの感触と間違えそうに静かだったから、落ちてくる花びらを咎める気にならないように、化野のことも何故か咎められない。
酒を飲んだからかもしれないし、花に包まれていたからなのかもしれない。化野とは別の意味で、確かにギンコも酔っていた。
ギンコはされるままにシャツを脱がされ、そのシャツは悪戯のように、ぽーんと遠くへ放り投げられてしまう。
「あ、おい…俺のシャツ」
抗議の声を荒立てる暇もないくらいの手早さで、さらに靴まで脱がされて、それも向こうに放られる。どうやら化野の方が少し酔っているらしく、している事が一々子供のようだ。
ズボンに手を掛けられ、その手をとめようとしたその時、人の話し声を聞いた気がして、ギンコはぎくりと目を見開く。誰か、ここにくる…のか?
「あ、化野…、待てっ。今、声が…っ? 誰か来…っ」
「…んん? 来るだろうな、そりゃ」
あまりに化野が平気そうに言うので、思わず抗う手が鈍る。その瞬間にズボンを剥ぎ取られて、それも放り投げられた。怯えたような顔になったギンコに、屈託のない笑いを見せて化野は言葉を接いだ。
「あっち側にも、これと同じ大きな枝垂桜が二本あって、今時期は桜が見事だから、皆、誘い合って集まってくるんだ。雨は止んだし、もう散っちまうから、村人総出でくるんじゃないか?」
それなら、急いで服を着なければ、隠れなければとギンコはもがく。下着一枚きりの、殆ど裸の恰好にさせられ、さらに化野の体の下にいるこの状況を、もしも人に見られでもしたら。
「は、離…っ…」
「大丈夫だ。そんな顔しなくても、この場所は俺しかしらない筈だし、見つかりゃしないよ」
「…ぁあ…ッ」
前に回した化野の手が、唐突にそこを握り込んでくる。ギンコの体はもう逃げかかっていたのに、それだけで膝の力が砕けて、彼は薄淡い散り花の上に、胸で這って喘いだ。
下着越しの愛撫でも、感じ過ぎる体には酷なのに、化野の指先はすぐに隙間から忍び込んで、じかに熱源を求めてくる。乱暴なくらいの勢いで扱きあげられ、抵抗の意思が一気に挫かれて…。
「そ、んな…っ、あだし…の…。やめ…、は、ぅ…ッ」
「こっちにゃ来ないとは思うが、声だけ、少し堪えろよ、ギンコ。聞こえちまうからな…?」
「…む、無理、だ…っ。やめてく…、ぅあ、あ…」
うつ伏せだったギンコの体を、強引に仰向けに戻すと、その汗ばんだ胸には、桜の花弁が幾つも纏わりついていた。
羞恥に染まった肌の上で、その花びらは殆ど白に見え、強く風が吹けども、彼の胸から離れずに震えている。舞い落ちる花びらが、化野の見ている前で、さらにギンコの肌に落ち、するりと滑って、一際紅い胸の飾りの上に止まった。
つと、手を伸ばして、化野がその花弁を摘みあげようとするも、花びらだけではなく、ギンコの乳首まで一緒に摘んでしまって…。
「ひぁ…ぁッ! ふぅ…っ」
びくり、と体を跳ね上げて、ギンコは堪らずに悲鳴を上げた。敏感な箇所を無造作に摘まれ、その一瞬に、まだはいたままだった下着の中が、熱い迸りで濡れていく。
化野はさすがに焦って、ギンコの頭を抱き寄せて、自分の肩に口を押し付けさせ、絶頂の喘ぎがおさまるまで、じっとそうして抱いていた。
「…大丈夫か? ギンコ」
「………あだしの…っ」
顔中真っ赤にして、目には涙までためて、ギンコは化野を睨みつけてくる。そんな顔まで可愛く見えて、そのまま近付いて口づけしようとしたら、寄せた唇に噛み付かれた。
「…ってぇ! 噛むことはないだろうっ」
声をひそめて文句を言うと、ギンコはそんな化野から視線を逸らして、なんとか逃げようともがき出す。シャツもズボンも靴も、謀ったように遠くて、組み敷かれたまま手を伸ばしたとて、どれにも手が届かない。
そうこうするうち、残った最後の下着を強引に剥ぎ取られ、すっかり裸にされてしまった。下着の中に隠れていた場所は、どこよりも一番濡れていて、もがけばもがくほど、薄紅の桜の花弁が纏いついていく。
「凄い恰好だな、ギンコ。本気で嫌がってんだろうけど、もがくほど色気が増してるぞ」
「う、うるさい。この…酔っ払いっ」
両腕を地面に押さえつけられて、暴れようとするその耳に、遠くから村人の声が聞こえた。ギンコの名も、化野の名も聞こえてくる。無意識に二人して耳をそばだて、切れ切れの言葉の意味を掴む。
…先生は来ないのかねぇ? 今、ギンコさんが来てたろ、確か。
…なら、きっと二人で、どっかの桜を見てるよ。だって、桜のたびに「見せたい、見せたい」…って、先生、あんなに。
…そうそう、言ってたもんねぇ。妬けるくらいにさぁ。
そのまま村人は、他愛のない会話を続けている。風向きが変わったのか、それ以上は聞き取れなかったが…。ふと化野を見ると、彼は今更のように顔を赤らめてそっぽを向いていた。
「あ、その…な、もうちょっと、ゆっくり、桜、見るか…?」
「…人のこと、こんなにしといて、今更」
恨みがましく言いはしたものの、もうギンコは抵抗をやめていた。花びらを纏いつかせた裸体を隠そうともせずに、染まった頬のままで、彼は化野の帯に挟まれている布を引き抜く。
元は酒の徳利を包んであったその布を、緩く縛って結び目を作りながら、ぼそぼそと言い難そうに彼は言った。
「…本当に、声さえ聞かれなきゃ、ばれないんだろうな? 誰もこっちにゃ来ないか?」
「え? ああ、来ない」
「…なら、いい」
「え…。って何が」
聞き返す化野を、じろりと睨みつけるギンコの顔。恥ずかしくて仕方ないと言いたげに、赤く染まった首筋が、さらにほんのり色を増す。ギンコは縛った布の結び目を噛んで、思いっきり横を向いたまま、化野へと手を差し伸べた。
化野の着物の肩の辺りを、しっかりと掴んで引き寄せ、自分の体の方へ引き寄せる。声を殺すために布を噛んだまま、ギンコは誘うように化野を見た。その時の、涙に潤んだ翡翠の瞳は、酷く綺麗で、色っぽくて…。
花びらに纏いつかれ、化野の舌に、指に、責められ続けて、くぐもったギンコのよがり声は、その後、暫くの間、途切れることなく続いていた。
終
07/03/07
08/03/27再UP