「地の花、天空の月」





 次の里まではまだ遠い。手前の里からは随分と遠ざかってしまった。小高い原に一人居て、ギンコは一人、天を見上げて溜息ついた。

 なぁ、お前…。お前たちよ。
 お前たちは何だか、あの月に焦がれて、
 精一杯背伸びしていて、けれども届く筈はなく、
 諦め切れず伸び上がって、
 そうしてゆらゆら、揺れているのか。

 まるで詩人のように、ギンコはがらにもなく思っている。足元を埋め尽くす花たちが、美しい薄い紅やら、淡い桃色やら、白やらで、その花を彼は見たことも無くて、それゆえ、そんなことを思ったのかも知れぬ。

 ずっとここにいると、見上げ見る月は、時に近く思え、それでも本当は月と花とは遥かに遠く離れていて、それが自分とあの男のようだ、などと、ギンコは苦笑しながら思うのだ。
 
 だって、そうだろう? 俺とあいつは違うものなぁ。
 こんなに流れて流れて、いつ、ふと、消えてしまうか知れん俺。
 あの里のものらに頼りにされて、きっとずうっと、あそこで暮すあいつ。

 ギンコは足元をふと見下ろし、吹く風に、音も鳴らさず揺れる花々を見渡した。膝のあたりに花は触れ、柔らかく優しく揺れているから、なるべく踏み潰さないように、掻き分け掻き分けして、膝小僧抱えてそこに座る。

 膝に触れるこの花々のように、化野はいつも優しくて、だからついつい、いらぬだけ心惹かれてしまうのだ。

 ばか、だよなぁ。
 知っているだろ。あいつは誰にも優しいのさ。
 子供等に飴をやるのを見たろ。
 年寄りの背に、肩掛けかけてやるのを見たろ。

 だけれどそうして優しくして欲しくて、ギンコは今夜もまた、もう少し、もう少し、化野の里に近付いてゆこうとしている。細い、細い、細かな葉が、花と共に揺れて、膝を抱えたギンコの手をくすぐった。

 そう、だよなぁ。

 ギンコは花に教えられたように思って、ゆるり立ち上がる。

 届かないほど遠いと判ってたって、ほんの少しでも近付きたくて、花たちは背伸びをしているのだ。化野と自分との暮らしが、重なり合うことなどないと、判っていても、少しだけでも近付きたい。

 そうすりゃただの知り人が、友と呼ばれるほどになれ、
 もしかしたら、唯一無二の友なんだ、とか、
 言って貰えるように、いつしかなるかもしれんだろう。
 ただの挨拶ではなくて、本心から嬉しい気持ちで、
 よく来たな、と、いつか言わせてやるのだ。

 ギンコは立ち上がり、花をまた掻き分け掻き分けして、原の斜面を下ってゆく。ふと、何かに呼ばれたように思って、彼は振り向き、そこで少しだけ、目を見開いた。

 花で埋め尽くされた桃色の原は、空にある月に届いている。花の中に半分埋もれ、月がそこへ下りてきたように、ギンコには見えたのだ。勿論、それはギンコが斜面を下りたので、ただそう見えただけに過ぎないのだが。

 だけれど、花は喜んでいるように見えた。
 そうして月も、嬉しそうに輝いて見えた。

 よし、とギンコは思う。

 今度は三日、あいつのところに居てみよう。
 そうして出来そうなら、その間に俺を、友と、呼ばせてやろう。

 背中の木箱を揺すり上げ、ギンコは化野のいる里へと、長く長く続いている道を歩き出すのだった。










10/03/15再UP
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