『虹みやげ』
これ、ここらに置いとけ。
と、ギンコは来るなり言う。何も持っていない手を差し出して、だ。ちょっと驚き、俺はそれでも何も無いところを掴む仕草をし、言われた場所にそれを置く仕草。
なんなのか、教えてくれんのか?
と、俺は言い、ギンコはその答えを、閨の中、明け方前にぽつりと言った。
虹、だよ。空に本物の虹がかかったらな、思い出してここを見てみりゃいい。小さな虹が現れて、そのまま空の虹の方へと、吸い寄せられて消えるんだ。綺麗な蟲だぜ。楽しみにな。
あぁ、ありがとうな。
と、俺は言って、眠そうなギンコの体を抱き寄せる。
んー、まだ飽きねぇのか。
と、ギンコ。それでも嫌がらない、逃げ出そうとしない。抱き寄せられるままにお前は俺の腕の中。お前がお前である限り、飽きるなんてことは起こらないんだよ、お前こそ、まだ判らないのか、俺の気持ちが。
虹を土産にくれた男を、俺は朝まで抱いていた。
終
080807
『美しい骨のような』
美しい骨のような、その鳥の白。目映い白の体。
生き物の肉が醜いなどと、そんな話ではないが、
様々なものを、ざくり、と削ぎ落としたような、
その美麗な白に、形に、刹那、見惚れたのだったよ。
そういえば、いつか見た白い小さな花にも、
その鳥の名が使われていたように思うのだ。
ひっそりと山の奥、草の中、日の当たらぬ影に
低い空を飛ぶようなその花の形も、やはり美しく。
それを足元に見た時から、この想いは始まったのだろう。
鳥よ
白き鳥よ
あの遠き空に飛びゆき、
その遥かな田畑に、お前は舞い降りて、
自分では知らずに人を魅了する
それをお前に教えたいと、会えぬ朝に昼に夜に
ずっと願っているのだ。
終
080807
『濃欲…コイヨク…』
ん、と喉の奥で、微かな音立てて寝返りを打つ。
わだかまった敷き布が、腰の下に邪魔くさい。
炉の端に置き忘れられた杯が二つ、少し遠く彼の視野に見える。
冷酒は美味かったなぁ。だけれど体が少し冷えたと言って
瑠璃の色の着物の襟を、化野はギンコの前でくつろげた。
理由が可笑しいだろ。それ。暑くて襟を開くのなら判るが。
裸身を目の前に曝されれば、それもどうでもよくなる。
よくまぁ、そんなにあからさまに誘うもんだな。
緩めた帯。足袋から零れるようなその白い足首に、
病み付きの快楽を思い出す。まぁな、だいたい、来るたびの事だよ。
もしもここで、なんとか抱くのを我慢したとして、
目を閉じて寝入る振りをする唇を、舐め上げられて理性が破れる。
無駄な努力はしないが良かろう。
三日か四日だけの短い逢瀬。
真夜中の間だけ、こうして快楽にどっぷり浸かっても、
ほんの少しの満足。五日目にはまた別れ別れの日々なのだ。
平野をゆく、山を登る、川を渡る。沼の端、湖の岸、泉の傍…
不意に潮の香りを思い出し、お前の肌を思い出しても遠く、遠く。
一人きりだよ、もしも、他の誰かが傍にいてもな。
果ての無い旅の時折を、だから罪深いほど濃厚に過ごすのだ。
伸べた手を、その指を取って、指に指を絡め。舌に舌を絡め、
寝たままの恰好で、互いの脚を、黙って付け根から絡み合わせた。
ぬめる感触は、ついさっきの残滓。既に少し冷えてる。
二度目の快楽で、早く熱を取り戻して、二人、風邪を引かぬよう。
なぁ?
と、化野がかすれた声で囁く、
手のひらが首筋を這い、肩を過ぎて背に絡む。
強い力で背中に爪を刺してくるのは、
小さな甘えと強い快楽の故だろ? 癖が可愛い。
ただ、黙って舌を甘噛みして、判ってるよと伝えてやった。
それから体を反転させてやる。
背中で刺さった爪が滑って痛かったが、そんなことには構わない。
すぐに指の力なんか抜けてしまうんだからな。
しっとりと濡れた指で、差し出された後穴をほぐしながら思う。
さてさて、
今度はどうやってしてやろうか?
けだるいような快楽漬けの顔は見れないが、このまま後ろから?
苦しがるに似たお前の嗚咽が聞けるように、泣かせてやるよ。
綺麗なうなじに黒髪が絡むのが、きっと色っぽいだろう。
絡みつく快楽に、震えるのは想うゆえ。悲鳴こそが愛する証。
折れそうに細い指が、指先を白くして敷き布を乱す。
襟をくつろげた最初の仕草からして、
美しくて色っぽくて誰より甘え上手でな。お前、もしや俺が
居ない間に時々、他の奴で試してないか?
あぁ、そんなことまで疑うほどに、俺はお前に溺れているのだ。
終
090803
『ひとりじゃない』
… お前と、旅がしたい。
… いいぜ。
答えたのは俺だ。あの頃、化野には出会っていなかった。彼女が好きだったのは事実なのだ。それでもその思いは、恋ではなかったと、言える。あの時も、今も。
そっと顔を横へと向けると、枕からずり落ちた化野の顔が見える。疲れているのだろう、する事が済むと、ことんと落ちるように眠りに入って、静かで安らかな寝息が続く。この息遣いが愛しい。寝乱れた髪も、ついさっき汗が伝った首筋も、その汗の雫さえ愛しいのだ。
人を恋うるというのは、こういう事だと、この家で初めて知った。
… これから、お前と旅をするぞ。
と、もしも治った足を見せて淡幽が言ったら、俺はきっと言うのだ。
… いいぜ。
まずは会わせたいヤツがいる。
少し遠いが海の傍の里に住んでいるんだ。
そう言った途端に、聡い淡幽はきっと理解するだろう。それが俺の特別な相手なのだと。そうして寂しく笑うだろう。会わせて貰えるのが、とても嬉しいとそう言って。それから、海が見られるのも嬉しいと、そう言うだろう。今度は底の底まで明るい、柔らかな笑みを見せて。
ギンコ。
化野が目を覚まして俺を呼ぶ。覚めるなり手を伸ばして俺の髪をなぜる。愛しさを込め、大切そうに柔らかく。
何か考えてたのか?
あぁ、なに、ある場所に住む、一人の女の事をな。
言うと化野はちょっと呆然とし、何かを言いかけ、それから少し怒った顔をして寝返りをうった。向けられた背に手を触れて、ギンコは言い訳などせずに目を閉じた。やがては体がぬくもりに包まれる。
化野の肌の温みに、ふと、涙が滲みそうな想いがした。
… ひとりじゃないんだよ。
彼女の言葉がまた聞こえた。あぁ、そうだな。と、俺は心の中だけでそう言った。
終
070720
『我慢 3』
我慢にも限度があるんだ。
薄暗い洞窟の中、俺は心でぽつり、そうと思った。夕方前、外は雨だが夏の盛りの事で、じっとりと背中に胸に汗が滲む。その汗が、額を、つう…と流れそうだ、とそう思ってイサザは、少し離れて岩壁の傍に座しているクマドを見た。
暑そうな顔一つしていない、その姿を見ると、小さな苛立ちが胸で騒ぐのだ。
会うたびずっと、こんな想いをしているのは俺だけかよ。ああ、そうだろうさ。何があろうと、まるで動じないようにも思えるその横顔。表情の無さをこうして見ていても、俺がここに居るなぞ忘れているように思える。どうせ大勢いるワタリの一人、としか思っていないのだろ。
なら、我慢の出来るうちに、今は傍から離れちまうが得策。
と、その時、横目で見ていたクマドの首筋を、つ、とひと粒の雫が流れた。汗?だろうか。そう思った途端、ごくりと喉がなって、イサザは知らずに彼の傍へと近付いた。
だが、汗と思った雫は、彼の傍らの岩壁から染みて落ちた水滴に過ぎなかった。それが首筋に落ち、肩を通って鎖骨の窪みに垂れ、きちりと合わされた着物の襟の内へと流れていく。胸の真ん中へと、その雫は落ちたろうか。
「あんたは…」
と、イサザは言った。零れかけた言葉は自身で押し留めようとしても、かなわなかった。
「あんたは、その一種のみの蟲にしか興味が無いだろうが、俺は色々と思うことがあるよ」
「………」
「あんたは、夏の暑い温度を感じるんだろうかってな。それとか、他人の肌の温度を、感じるんだろうかとか。それに、あんたには性の欲は、あるのか…とか。なぁ、クマド。俺がもし、ここで誘ったら、どうする…?」
止まらなかったイサザの言葉を聞いても、クマドは動かなかった。表情の一つも変えずにいた。けれどもう、イサザの指が、彼のうなじを這っている。イサザの唇が、舌が、クマドの首筋を、喉を、鎖骨の窪みを辿っている。
それを止めようともせず、応じようともせずに、ただクマドは僅かに顎を上げ、開いていた目を閉じた。イサザにはそれで充分だった。
暑い夏の夜は、ただじっとしていても暑いのだ。
それならば、いっそ。
いっそ、もっと、熱く、熱くなればいい。
終
080717
『我慢 2』
我慢にも限度があるんだ。
眠ったふりをして、俺は化野の気配を感じていた。なんとまぁ、判りやすい気配なことだ。今、枕元に膝をついた。床に左の手をついて、俺の方へと身を屈め、ちゃんと俺が眠っているかどうか、確かめているのだ、こいつは。
もう何度目だ? きつく咎めないのをいいことに、毎度毎度とは舐めてくれたもんだ、と内心で苦笑する。いや? この苦笑は自分へだ。舐められている自分自身へ。
あぁ。もう。いい年をして可愛いこいつが、悪戯っ子のようにまたもまたも木箱の抽斗に指を引っ掛けて、すー、と開いている音がする。笑えるのだが、いつもいつも、真ん中あたりの抽斗から開ける化野。
バチ…っ。
「うぉっ、いてぇ…ッッ」
「…ほぉら、かかった。悪い鼠め」
にやりと笑って身を起こし、俺は化野の顔を覗き込む。化野は挟まれた指をなんとか自由にしようとして、抽斗にもう一方の手を掛けて、必死になっているじゃないか。焦った顔もえらく可愛くて堪らんのだが、この木箱には危険なものも入れているから触るな、と何度言ったら判るのか。
「お前、いつまでも俺が、笑って許容してると思って、ふざけるなよ」
そう告げてやると、化野は見るからに怯んだ。俺を映していた目を伏せ、それでもガタガタと木箱を揺らしながら、指を外そうと躍起になる。化野の右手の人差し指は、俺が抽斗の中に仕込んだ、とある蟲取り用の罠に挟まれているのだ。
「…ゆ、ゆ…許してくれ…っ」
いきなり飛び出した懇願に、俺は少し怒りを解いた。半端な姿勢で身を縮こめて、怯えたような顔をしている化野に、なんだかそそられちまって、怒りはその分だけ目減りしたのだ。
「そう、なあ…許さんでもないが」
言いながら、俺は化野の指を掴み、指先から罠を外してやると、その指をそのまま口へと運んだ。ぺろり、と舐め、そのまま指の間へ舌を這わせ、逃げようとする彼を布団に組み敷く。
「まぁ、そんなに許して欲しいんなら、せいぜいいい声で鳴いてもらうとするさ、化野」
「ギ…。や、め…っ。ふ、ぁ…ぁ」
なんだ、こんなとこまで"イイ"のか、こいつは。するたびに、びくりと震え上がる肌。指の間を一つずつ、試すように舐め回す行為が、心の底から楽しくて、俺は笑いながらそれを続けた。好奇心も程ほどにしとかない駄目なんだって、これで覚えりゃ安いもんだろ。
だけれど、すっぽり悦楽に酔い続けた翌朝、また俺は抽斗に指を掛ける化野の気配を感じる。
余程の珍品好きか。余程の馬鹿か。それとも余程、昨日の愛撫がよかったか。それのどれでもどうせは同じだ、寝たふりで薄目を開けて、化野の様子を眺めながら、俺は笑い出さないように、しばし苦労し続けたのだった。
終
080712
…ちょいと一言…
前ページから引き続きで「我慢には限度があるんだ」という冒頭セリフでスタートするものを書いてますが、こういうのも面白いですよね。またまた昔のものをこうして読んで、書くってのは…妄想するってのは、楽しいんだよなぁと思うのでした。
それにしても二年前も沢山書いていますねー。ふふふ。今はこうは行かないな、とちょっとガッカリ。
100711