『我慢 1』


「我慢にも限度があるんだ…っ」

 とある里の医家の家で、そんな叫びが響いた。若い医家の目の前には、足やら腹やらを怪我した男が転がっている。その男は白い髪をして、片目だけの不思議な翡翠色の目をして、あー…と、ただ疲れたような溜息をついてその目を閉じた。

 眉間に皺。引き結んだ唇。顔は青ざめていて、畳に置いた指は震えている。痛むのだろう。無理も無い。

「…ったく、お前は…」

 医家の化野は、患者とも言えない怪我をした友人を怒った顔して受け止める。切り傷、熱、打ち身、些細な病、疲労困憊、極度の空腹などなど、など。これからもきっと終わらないだろう、毎度、転がり込むこの男の来訪を、化野はいつまでも、我慢の限度に居座ったまま、待っているのだ。

 愛しさを込めて。
 呆れ返った顔をして。

「すまんな」

 と、そう、毎回の決まりごとのようにそう言って、ギンコは自分の額に置かれた化野の手の甲に、そうっと嬉しそうに手を重ねる。その手を自分の顔の上で下へとずらし、薬の匂いの染みた指の匂いを感じ、唇を寄せた。

 慕わしさを込めて。
 泣きそうになるのを堪えて。





080708













『月の夜に想い想う』


化野。なぁ…?
今頃どうしてる? もう寝たか。それとも珍品眺めて夜更かししてるのか。
うとうとしていて、お前の夢を見た気がするな。
枝の向こうに見える月は、気付けば満月だ。
大きな大きな丸い月。もしもお前と見れりゃ、なお綺麗。
風もなくて寒くはないし、お前の夢は見られるしで、今夜はいい夜だよ。
木々の葉のざわめきは、目を閉じているとまるで波の音のようで、
黒い、すべてのものたちの影はお前の髪と目の色のよう。
けれど、
ここにお前はいないから、それであの夢を見たのかもしれない。
さ、も少し温かいとこに行って寝ないとな。
しばらくぶりに会った時に、風邪なんぞひいてたらお前は怒る。
すぐ治る程度の怪我でも病でも、お前は俺には過保護な医家だ。
折角の逢瀬が、説教ばかりでは俺もつまらんし。いや…
それでもなぁ、お前のその声でガミガミ言われるのなら、嬉しいけどな。
堪らないよ、実際。これはお前には絶対に教えてやらんが、
ちっぽけなこと、色々で、俺はいつもお前を思い出す。
つい昨日なんか、青の着物の旅人見て思い出したり、
手に触れた温かな日向のぬくもりに、お前の肌を思い出したりな。
…と、いかん。ちっと寒くなってきたな。
なぁ、化野、俺は元気だ。お前、今頃、どうしてる?


日誌をつけ終えて、俺はふと縁側から空を見たくなった。
脱いでた羽織を肩に着て、雨戸を開ける。
寝てしまっていたら見られなかった、今夜の綺麗な満月に、
野にいるか山にいるか、どこぞの里にいるか判らんギンコを思い出す。
はは、笑っちまう。月の表の白い光に、お前の髪や肌を思い出したんだ。
酷いもんで、こんなにも長く会えないでいると、なんでもお前に結びつく。
布団のぬくもりの中に、お前の息遣いを感じたりして…。
変なヤツだな、とお前は笑うかしれんが、
本当に誰かを愛しく思うというのは、きっとこういうことなんだ。
まだまだだよ。ギンコ、俺はお前をもっと好きになる。
見る事の出来ない姿を想い、聞くことの出来ない声を想い、
むしろ、その長い時間の中でだからこそ、想いは強くなっていく。
目を閉じれは、そら、草に仰向けになって、この月を見ているお前。
もっと、もっとと心で欲しがるほど、旅の空の下のお前が見える。
山か、それともどこかの野原か? あぁ、風邪を引くじゃないか。
ゆっくり月を見たいなら、ここにきて俺の傍で見て欲しい。
よぅく、温まるように腕で包むから、一緒に月をみよう。
楽がしたくなったら来い。
料理でもなんでも、いつものように俺がするさ。
類似したものなど何処にもないその綺麗な目を
例によってお前が嫌がるほど、ずっと見つめていさせてくれ。
ろくでもない戯言と、こんな俺の独り言をお前は笑うか?
笑うがいいさ。みぃんな、全部、ほんとのことばかりだ。
ん。今、お前も俺を想っているような気が…。今夜はいい夜だよ。





080624












『ザリリ、とギンコの足の下。』


「あーーーーーッ!」

 唐突に叫ばれて、ギンコは目を見開いた。すぐ隣にいる化野を見れば、彼は地面を踏み締めたギンコの足を指差している。ん?と思ってその足を持ち上げれば、そこには無残に割れた片眼鏡が。
 どうやら化野の顔から、たまたま土の上へそれが落ちたところを、間が悪くギンコの足がそこへ乗ってしまったのだ。

「あぁ…?」
「うぁぁぁぁぁっ」

 大袈裟な。換えもあると前に聞いたぞ。なんでそんな騒いでるんだ。視線でそう問えば、化野は、

「うぅ」

 と、ただ呻いただけで、蔵の方へ一人で行ってしまったのだ。なんなんだ。ギンコはそれを追いかけるかどうか迷ったが、まぁ、きっと換えを取りに言ったのだろうと思い、自分は縁側に呑気に腰を下ろして日向ぼっこと決め込んだ。

 暫くして、蔵から化野が戻ってくる。何故だか項垂れて、顔をこちらに見せないようにしているから、余計に気になって、ギンコは縁側で体を前に傾け、前を横切る化野の顔を下からしっかり覗き込んだ。

「…ぶ…っ……」
「ぅうう…」

 片眼鏡、には違いあるまいが、今度のそれは丸い形の硝子の端々に、小さな穴が二つ開けてあり、そこに紐が通されていて、化野はその紐を耳に引っ掛けて片眼鏡をしていたのだ。はっきり言って、ちょっと…いやかなり妙な感じだった。

 見慣れてないから、変に見えるのかもしれないが、変な見た目だと化野も自覚しているらしく、吹き出して笑いを堪えるギンコを、哀しそうな怒った様な顔で睨んでいるのだ。化野はこれから往診で、つまりはこの恰好で、里の家々を回ってくるということだ。

「…う、うぅぅ」
「くっくっくっ…」

 肩を落として坂を下りていく化野。少し離れた隣の家の中に、彼の姿が入って行き、その後、子供らが無邪気に笑う声がギンコの耳まで聞こえてきた。帰ってきたら、似合うと一言言ってやろう。余計睨まれる気もしたが、その拗ねた顔が見たくてたまらない。

 故意ではないが、踏んで壊したのはギンコで、詫びの一つも言わなきゃな、と、笑いながらギンコは思っているのだった。





080623












『狐面』


 その日は夜になってから着いたから、部屋の中の薄暗がりから、にゅ、と手が出て、面を差し出した時にはちょっとびっくりした。その後、似たような面を付けた、この家の主がのそりと出てきて、笑いを含んだ声でギンコを歓迎する。

「よく来たな、ギンコ」

 声が篭っているのは被っている面のせいだろう。手渡された面を、表裏とひねくり回し、自分の顔に当てて見ながらギンコは尋ねた。

「なんなんだ。稲荷信仰なんぞあったっけ、この里に」
「無いが。これ、中々よく出来ているだろう。面構えといい、塗りといい、値打ちもんじゃあないが、ちと気に入ってな。昼間来た旅のもんから買ったんだ。農耕の神なんだというし。この里にも畑はあって、作物がいい方がいいに決まってるし。稲荷神社は無くとも、それだって、信心さえあれば、それなりに御加護があったりするやも知れず。一つでよかったんだが、見れば二つは揃いで、少しずつ違ってて、なんとも愛嬌のある…なぁ」
「俺に言い訳せんで言いけどな」

 ばさり、と化野の口上を切り捨て、ギンコは頭の後ろで紐を結ぶ。視野が酷く制限されて、目の前にいる化野の顔もよく見えない。顔と言っても今は狐顔だが。

「どうだ、いいだろう」
「いいもなにも、被ってたら見えん」
「俺を見ればいい。俺もお前を見るから」
「……暇人め」
「はは。かもしれん」

 そんな遣り取りをしてから、化野は狐顔のままで、きょろりとギンコの背後を見渡し、それから彼を抱き寄せた。夜も更けているから誰の姿もない。こうして縁側で抱き寄せても平気そうだと、にこにこ笑い。

 それから、はた、と彼は気付いた。

「面」
「…ん?」
「外さんとな」
「なんで?」

 二人の声は面の中に篭って、いつもよりどちらも低い声。それが情事の後のそれのようで、尚更ギンコの肌が慕わしくなるというのに、つまりは面が邪魔過ぎる。

「なんでって…」
「くくくっ」

 化野が何に困っているか判っていて、ギンコは知らない振りをしているらしい。このやろう、と化野は思い、それからいい事を思いついた。飯を作ってやりゃあいいんだ。面のままでは食べられなくて、ギンコはそれをすぐに外すだろう。

 一旦は抱き寄せた体を離して、化野はドタドタと台所へ急ぐ。面を外して放り出し、一度は消した火を炊いて、米は研ぐ、野菜は皮を剥いて切る。湯を沸かし、汁物を作り、煮物をこしらえ、茶碗や皿を出し。

 さぁ、もうじき出来るぞ。出来たら面を外して貰おうじゃないかと、そう思って振り向いたら、もう既にギンコは面を外し、囲炉裏端で片膝を立て、その膝に顎を乗せて、うつらうつらとしかかっていた。

 あぁ、なんのために急いで飯を作ったと思ってる。お前に食わせるためじゃないか。なのにもう寝ようとしているなんて。
 …いや? 違うぞ。
 飯を作ったのは面を外させる為だった。眠そうにしているギンコの顔から面は外れている。

 化野は膝で畳の上を這って、まんまとギンコの唇に吸い付いた。寝かかっていたギンコは、唇を塞がれてからそれに気付き、怒るのかと思ったら、彼は楽しげに、少し照れたように、くすくすと笑うのだ。

 その笑いを聞いた化野にも判る。ギンコも化野が、こうして口を吸いに来るのを、面を外して眠くなるまで、ここで待っていたのだということを。

 



080612











『インチキ商人口上』


 本日はお集まりの蟲師の旦那方に、これまでにない便利な品をご案内さして頂きますんで〜。

旦那方、ウロ繭をお持ちかと思いやすが、さてこのウロ繭、不便だとお思いになられた事がありますでしょう。何しろウロは気まぐれ、確かに文を運びはしても、相手へ届くまでが長い。しかもかかる時間は、その時によりまちまちときた。

急ぎの用で書いた文が、いつまでも繭の中でカサコソいってりゃ、他に連絡手段とてない蟲師さん達ゃ、時に苛立ちもしますでしょうな。えぇ判ります判ります。そうでしょうとも。

 さてそんな皆様お立会い! こちらの品、その名も「携え用小ウロ穴」! お値段は、二個合わせてたったの銅貨十五枚! この値段での商いは、今だけっすよ!

え〜、では簡単に仕組みを申しますと、こちらの「壱穴」と書かれた小ウロ穴と「弐穴」と書かれた小ウロ穴は要するに、開いたばかりのごく小さなウロ穴の入口と出口なんですな。
ウロはおりませんが、入口出口がごく近いため、こうこうして、

「おぅい、お前さま〜」

 などと、片方のこの小さな穴に声を入れますと、こちらの穴からすぐに声が抜けて参ります。お、聞こえませんでしたか。そうですか、声が小さかったかな。ま、そんなわけでありましてー。

なんとまぁ、ご覧頂けました通り、遠く離れた相手にも声が届くという、こうした便利な品でございますよ、皆様!
 ここにはこれ三組しかございません。お買い上げは早い者勝ちですんでな。しかも手前も旅の商いですから、やはり欲しいと後で思って頂きましても、残念、この商人は旅の空。

さあさあ、騙されたと思って一つ。お、旦那買いますかい?! 今ならちょうど、持ち歩きに小粋な、巾着袋もお付けして、値段は変わらぬ銅貨十五枚。いや!十三枚でも構いません!持っていけこの盗っ人!!




胡散臭さマックス、笑。インチキ商売です明らかに。売れたら即トンズラこくんだぞ、って、自分で言ってる、ある意味正直者。

これが万が一、言う通りの便利な品でも、使い勝手はどうだろう。例えばギンコと化野が使うとする。毎朝毎昼毎晩、化野がギンコへ向けて愛の連絡。

朝。
「おはよう、ギンコ、こっちはいい天気だぞ。いつ来るんだ、まだ先か、淋しいじゃないか、会いたいよ」
「う。あ…俺んとこは曇り空だ。じゃ、な」
「おい、ギ…」

昼。
「ギンコ、今朝は酷いぞ、まだ言いたいことがあったのに! ちゃんと飯食えてるのか。お前の好きな白菜の漬物、美味く漬けたんだ、食いにこい。魚も最近、脂がのっててな。食いたくなったろう、いつ来る?」
「あ〜まぁ、そのうちに。じゃな…っ」

夜。
「ギンコ、今夜はどこかの宿か。夜はまだ冷えるから、なるべく野宿するなよ。俺は最近布団に入ると、お前のことばかり考えて。夢にだってお前が出てくるんだ。こっち向かってるのかギンコ、明日には着くのか? そんならそうと一言、言っ」
「……おやすみ」
「おい、ギ」

とまぁ、先生、ここまでしつこくないかも知れんが。笑。だいたい最初買ったときはウロさんいなくても、そのうち入り込んで穴を広げてくんだろ。んで、別の蟲師の携え用小ウロ穴に繋がったら、混線みたいに他人に聞かれるだろうさ。

使えるかいっ





080412







…ちょいと一言…

「ザリリと」は、セリフが叫びとか呻きのみで。
「月の夜に」は、一列ごと、最初の一文字が「あいうえお」と順に使って書いています。こういう縛りのあるのも、練習になって面白い。というか、ネタの無いときにやってるんですよ、実は。テヘー。

ブログに載せたノベルの中には、時々、別の方のサイトにも載せて頂いているのがありますが、とっても嬉しいです。ありがとございます。



100711


blog 080412〜080708より 転載
チビ ノベル  5匹