『涙の理由』
目玉はなくとも、
涙は出るんだね…
女の唇から、その言葉を聞いた時、俺は思っていた。聞いた事のある言葉だ、いったい誰がそう言ったのだろう。
モノの見えない不自由さ。不安。盲目ゆえに失った大切なもの。けれども「見続けた」彼女には、もう光よりも闇が必要で、泣きながら安堵しているようにも思えた。救えなかった女。蟲による事象に、引きずられて傷ついた心。
お前に罪など無い。
蟲にも…罪など無い。
これは俺の言葉だ。だから恨むなと、そう言うのか? こんなにも哀しみ、失った人々の心を判っていながら、それでも憎むなと言うのか、憎しみを支えに生きるしかないものもいるのに。
大丈夫。大丈夫だよ。
心を強く持つんだよ。
誰の言葉か知らない。だが、どれだけ強くなればいい? 憎しみも恨みも忘れた振りをし、随分長い間、一人で歩き続けてきたよ。だけどもう疲れた。歩みを止めては駄目なのか。一人でいるのは辛いから、もう居なくなっては駄目なのか。
その方が楽なんじゃないか、と、
心の奥で俺自身が呟いている。
片方の、目の無い「まなこ」からも、いつも涙を流していた。いらぬ、と言葉で言われ、言葉のない視線で言われ、彷徨って、ただ命を永らえてだけいた日々。ああ、あれは俺の言葉だった。
目玉がなくても、涙は出る。
まだ夜更け。気付けば枕が濡れていた。疲れた体を意識しながら、そっと開いた双眸は、ぼやけるほど近くに一人の男の顔を見た。いっそ息の詰まるような安堵が、心に満ちて溢れてくる。
こんな夢を、今ここで見たのは、目覚めさえすれば、こいつが傍に居てくれることを、判っていたからだろうか。
「化野」
そう言って、俺はほんの少し身を寄せる。
「…ん、ギンコ…」
返事をするように、一言、寝言がかえってきて、俺はやんわり笑みを作る。見えている化野の顔が、ぼやりと霞んでよく見えなくなった。目玉はなくとも涙は出る。
哀しくなくとも涙は出るのだ。
終
071110
『相思添愛』
待っていた…。そう、化野は言うのだ。
よく来たな、と言われて
嬉しそうな笑顔を向けられ、
茶を振る舞われ、
何か食べ物を出して貰い、
湯を用意されて遠慮なく湯を使い、
その湯から上がればもう、
布団を敷いてくれていて…。
その柔らかな布団の上で、とうとう押し倒されて口を吸われ…。その次に耳元に必ず、化野は唇を寄せて囁くのだ。
「待っていた」
春も夏も秋も冬も。
朝も昼も夕も夜も。
お前を待って、過ごしてきた。
そういう意味だと、ギンコにも判っている。言われた途端に、欲しくて仕方なくなる。自分の着ている服。化野の着ている着物。その大した厚くもない数枚の布地が、どうしたことかと思うほど、その一瞬で邪魔に思えてしまう。
早く、早く、脱がしてくれ。お前の温もりが。熱が欲しい。お前の鼓動を。呼吸を、感じたい。なのに化野は、ギンコの顔や髪を眺めていて、すぐには脱がしてくれないのだ。会いたかったギンコにこうして会えて、夢でも幻でも、会い続けてきた彼の姿に、こうして触れることが出来ているのを、化野は眼差しでじっくりと楽しんでいるのだろうか。
「あ、化野…っ」
「…ん。嫌か? やめないけどな」
嫌だなんて言ってない。でも早くしてくれなんて言える筈もない。だからもどかしげに身を捩ると、大抵、化野は誤解する。時には「そんなに嫌なら…」などと言って、重ねた体を離してしまう。こんな残酷な誤解はない。
「疲れてるのは、判ってるんだけどな。すまんな、ギンコ」
そう言いながら化野は、シャツの下から手を滑り込ませる。滑らかなギンコの胸を下から上へと撫でまわし、楽しげに胸をくすぐり、かすかな突起を指の間に挟んで弄る。たまらない刺激に、ギンコの翡翠の目がすぐに潤む。
あぁ…
これが欲しくて。
冬も秋も夏も春も。
夜も夕も昼も朝も。
何処にいても、お前を想っている。
肌に触れている五本の指を、その指先を、爪の一枚一枚を。すべて心に感じながら、ギンコは声に出さずに言う。唇の動きが化野を呼び、呼び名に続けて想いを囁く。
あいたかった おまえにだけ
聞こえた筈はないのに、化野はギンコを強く抱き締める。着物を脱ぎ捨て、ギンコの服を奪い取り、何一つ邪魔するもののない姿で、ギンコの願い通りに。自分の欲しいままに…。
終
071114
『きのう、ゆうべ、けさ』
ギンコが木箱の中身を整理していると、唐突に化野が、傍らから覗き込んでこう言った。
「ちょっと、手ぇ貸せ」
「ん? ああ、いいが。なんだ、重いものでも運ぶとか?」
承諾してからそう聞き返すと、化野は一瞬呆け、それから小さく笑って俺の手首を捕まえる。捕まえたまま、ぐい、と引いて、膝の上へ手のひらが見えるように置くと、そのままするりと手首の内側を撫でた。
「これ、擦り傷だろう。少し血が滲んでるのに自分で気付かなかったのか?」
あぁ、力仕事を手伝えという意味じゃなかったのか。なるほど、俺の言葉に笑うわけだ。
「あだし…」
「どこでつけた? どっかに引っ掛けた覚えとかないのか。昨日は無かった傷だよな。山ん中歩いたわけでもないのに」
ふと気付けば、手の甲が触れている化野の膝は温かく、秋も終わろうという冷えた空気の中で、そのぬくもりが酷く慕わしい。こうしていると、いつもでも離れがたくなりそうなくらいに。
「さぁ、覚えてないな」
そう言いながら手を引っ込めようとするのだが、化野は俺の手首を離そうとしない。俺よりも幾らか大きな手が、その五指を手首に絡ませて、尚更しっかりと自分の膝に押さえ込む。
「薬を付けてやる」
「こんなの、傷のうちにゃ入らない。薬なんかいらないから、もう離…っ。ぁ…あ…」
「かすり傷だと甘く見ると、酷いことになるかもしれんぞ」
別に、何か特別なことをされたわけじゃないのに、かすかな声が喉から零れた。今のはまるで、甘い…吐息混じりのような声だ。どうかしてる。ただ手首の内側を、化野が親指の腹で撫でただけだってのに。
「どうした? 痛むか」
「……痛かない」
「いつも思うが、色が白いな。日焼けしたのも見た事が無い。…綺麗だ」
「な…っ何…」
「何って、思った通りに言ってるだけだ。日頃から俺は正直過ぎるくらいだからな。言いたい事を言って、したい事をする」
やばい。そう思ったが、大抵、思った時には遅いのだ。もう嫌というほど判っている。悪いことに、俺の居たのは開いた障子のすぐ傍だったから、隣に居る化野の手も、すぐに障子に届く。化野は見もせずに障子を閉め、逃げたがる俺の手首の上に顔を寄せた。
ちゅ…。と短い音がなる。指先よりも熱くて、濡れた感触が、小さな傷の上をなぞる。あぁ、駄目だ。抵抗なんか、出来やしない。まだ昨日来たばかりだから、俺はこいつに弱い。傍に居てもらえることへの安堵感。嬉しさ。そうして嬉しいと感じることへの羞恥で、かえって身動きがとれなくなる。
昨夜だって、あんなだったのに、今朝はまだ強く拒絶できない。
「こ、こんなとこで…っ、誰か、来…っ」
「来ない。今日の朝は薬作りとかしてて、手が開かないんだと皆に言ってある。それに万が一、来ちまったっていいだろう。見させてやるさ。別に悪いことなんか、してないんだから」
なんてこと言うんだ。冗談じゃないぞ。
でも、嬉しい気持ちも否定できない。
里人に知られていいと言うほど、そんなに想ってくれているのか。
「あのぅ…。せんせ、すいません。こないだ貰った父ちゃんの風邪薬、朝飯食わんで飲んじまったって…」
「…っ!!」
もう押し倒されかかっていたのを、一瞬で化野の腕から逃げ出した。もがいた足が、偶然に閉じた障子を蹴飛ばして、ガタリと大きな音が鳴る。構わずに隣室まで逃げて、俺は胸に片手を当てて喘いだ。突き飛ばされた化野は、落ち着き払って起き上がり、乱れた着物を調えて、髪まで手ですいてから障子を開ける。
「ん、おはよう。何、飯食わないで飲んだって? それはいいが、あの薬は熱冷ましだから、熱が無いならもう飲まなくていいよ。そう言っといてくれ。それから病み上がりだから無理はするなと、ちゃんと言い聞かせて」
そんな化野の言葉を、俺は最後まで聞いていなかった。裏から外へ出て、井戸水を桶いっぱいに汲み上げる。とりあえず、冷たい水で顔でも洗って頭を冷やそう。
そうしたらきっと、夜まで待てる。その筈だ。
終
071119
『きのう、ゆうべ、けさ A』
里人を帰らせたあと、俺はギンコの姿を探した。あいつが入ってった隣室には姿がなかったから、外へでも出たのだろうか。この寒いのに上着も着ずに? 早く連れ戻さなきゃいかんな、それこそ風邪をひかせちまう。
「ギンコ」
一言呼ぶと同時に、水の音が聞こえた。当然、庭の井戸の方からだ。砂利の上に、少量の水が零れる音が、続いて二度、三度と聞こえてくる。下駄を突っかけて外へ出ると、やはりギンコは井戸の傍にいて、水を汲み上げた桶の前に屈んで、顔を洗っていた。ったく、何やってるんだ。
大雑把に水を顔に掛けているから、ギンコの顔の周りの髪はびしょ濡れだ。毛先から水が滴って、その雫は光を浴びて、綺麗な銀色に光っている。そんなギンコが振り向いて、俺を見上げて怯んだような顔をした。さっきは不埒な振る舞いに及ぼうとしてたからな。そんな顔されて当たり前な気もするが…。
そういう目をされたからって、諦める俺じゃないんだ。ギンコもまだまだ、俺という人間を分かっていないらしい。
「そら、手ぬぐい。これ使え。顔洗うんなら先に用意しとくもんだろう。それと塗り薬も、持ってきたからな」
手ぬぐいを渡す振りしてギンコの片手を捕まえ、指につけた塗り薬を手首の内側に塗ってやる。こと、治療と名のつくことをしてやる時は、あまりギンコは抵抗しない。医家の役得とでもいうことだろうか。それに、想像してた通り、指でするすると薬を塗ってやってる間、ギンコは恥らうような顔をして目を逸らしていた。
手当てが済んだら、今度は髪。濡れてしまったところを、手ぬぐいで挟むようにして、水滴を拭いてやる。井戸端なんかで向かい合って、そんな甲斐甲斐しいことをされてしまって…。ギンコはこういう時、いつも以上にほだされやすいんだ。
大体、嫌だってんなら、そんな顔するもんじゃない。余計にしたくなるだろう。まぁ、元々、したいこと我慢する気なんかないけどな。
髪を拭いてやってた手で、俺はギンコの頬に触れる。そのまま指先を首へと滑らせ、上を向かせて唇を塞いだ。ちょっと驚いたようにもがいたが、結局ギンコはさほど嫌がらない。それが嬉しくて、こっちは理性の箍が毎度はずれてしまうんだが。
「ギンコ…。ちょっとな、触診、してやるから。な…?」
言いながらギンコの着ているシャツの腹のあたりを、指で摘んで引っ張る。引っ張り出されてきた裾の下から手を入れて、手のひら全体で腹を撫で、胸を愛撫してやると、ギンコは身を捩らせて喘ぐんだ。色っぽくて、堪らない顔をして。
「腹は痛くなったりしないか? 胸は苦しくならないか? そうか、平気か。それは何よりだな。じゃあ…こっちの具合は、どうだ? ん?」
「…っ! や…、お、怒るぞッ」
緩めたズボンの中に後ろから手を入れて、下着越しに尻の片側を握ったりしたのは、やっぱりやり過ぎだったらしい。ギンコは声を荒立てて怒り出し、腕を突っ張って逃げようとするが、その腕にはもう力が入らないみたいだ。
「あぁ、なんか、熱持ってるみたいだな。ちゃんと診てやった方がよさそうだぞ、ギンコ」
我ながら意地が悪いと思うのだ。それもこれも、こういう時のギンコが、あんまり色っぽくて可愛いからで、俺ばかりのせいじゃないだろう。ギンコ自身にも責任はある。お互いに悪いのなら、お互い許し合えばいいってことだよな。
幸い今朝は、ちょっと面倒だったから、俺の寝てた布団は敷いたままだ。仲直りにするのにちょうどいい。まだ朝だ? そんなのがどう関係あるのか、俺にはさっぱり判らんね。
終
071205
『楽しいのか?楽しいぞ』
「た、楽しいのか、こんなことが…っ」
ギンコがそう言った時、彼の上には化野がいた。化野はギンコの右の乳首を指で摘んで、さっきから丁寧に舌を這わせている。いい加減しつこい。何が面白いのかさっぱり判らないし、辛いし恥ずかしいしずっと鼓動は速いままで、自分が何を口走ったのか、正直、よく判ってはいなかった。
「…楽しいか…って? んんー。楽しいってよりか、愛しいんだよ、お前が。こんな程度でそんな辛そうにして、見てると堪らん気分になる」
「っ…。物好き…だ」
「…だといいがな」
化野は意味深にそう言って、愛撫し続けた胸から顔をあげ、ギンコの顎を片手で捕まえた。
「お前にこんなことしたいのが、ほんとに俺だけだったらな、心配事が一つ減って嬉しいが、そうでもないと、俺は思うぞ」
「…ん、んん…ふ、ぁ…ッ」
深く唇を塞がれて、ギンコの潤んだ目が、困ったように横へ逸らされる。口を貪られ、同時にシャツを鎖骨辺りまでたくし上げられて、ギンコは逃げたがるように胸を捩じらせた。その色っぽさに、化野は何度も目が眩む。
「言い寄られたことの二度や三度、あるんだろ」
「お、お前じゃあるまいし、誰が男の俺のことなんか…っ」
「そうか? 自分ちで風呂を使えとか、妙にしつこく勧められたりしないか?」
「…風呂……」
それなら、前にそんなこともあった。でも別にそれは、そういうことじゃないだろう。常に長旅に暮すギンコが薄汚れて見えるから、ただ好意で言ってくれていただけのこと。風呂を借りて上がったあとに、背中を拭いてやるとか言われたりしたが、別にそれだって、ただの親切。
…あんたって、綺麗な肌してんねぇ。
…色が白い。女とはまた違うが、どことなく色っぺぇような。
…どうだい、一晩、泊まってかねぇかい? これくらいで。
そんなことを言って、指を四本、五本立てられて。宿屋でもないのに随分高いと思ったし、金が無いから断った。そういやあの時の奴、妙なとこばっかりじろじろ見て。ってことは、もしかして…もしかしなくても、あの時の男、つまり俺のことを…。
そう思い当たると、背筋がぞぞぞ、と怖気だった。鳥肌が立って、血の気が引いて、気持ちまで悪くなってくる。唐突に怯えたような顔をして、細かく震え出したギンコに気付いて、化野は彼を腕の中に抱きこんだ。
「どうした? 俺が変なこと言ったからか」
「いや、そ…。別にそうじゃない。ぁ…」
腕に包まれて引き寄せられ、体の真ん中が丁度重なり合う。途中の途中で中断しているから、化野のそれは妙にくっきりはっきりと、ギンコのそこに当たっている。それを感じた途端、寒気のしていた体の隅々までが熱くなって、気付けばもう堪らない。
「化野。あ…化野…」
「ん? 続きするか? 正直、このまんまじゃ辛いしな。お互い」
改めて組み敷かれ、胸を吸われ、ギンコは嫌悪の欠片も無い快楽に、すぐに溺れて喘いでしまう。組み敷かれればその重みが、繋がればその熱と形が、悦びになって体の芯まで染みて行く。
「他の誰かに、そういう顔、絶対見せんなよ…?」
化野はそう言って、開かせたギンコの脚の間に、ゆっくり腰を近寄せた。
終
080124
… ちょいと一言 …
ブログノベルの執筆頻度は、なんだかだんだん上がってきます。軽い気分でさらっと書かせて頂いているものもあり、さらっと書いたはずが、けっこう重いものもあり、色々ですなー。
どれか一つでも気に入っていただければ嬉しいと、思ってます。
そうそう、『相思添愛』漢字はわざと違えています。互いに思って、添い合う愛なのです。おおっ、そこの人、派手に砂吐いてますなー。私も一緒に吐こうかなー。笑。
091008
blog 071110〜080124より 転載
チビ ノベル 5匹