{『どうか俺のためだけに』
…どうか俺の為だけに、ここにいてはくれないだろうか。
来ては去り、去ってはまた来るお前を、
二度と、俺の傍から去っていかない存在にしたい…。
そんなことは無理だと、きっとお前は言うだろう。
けれど、お前は無理を承知で動く心を知らない。
駄目だと判って、止めようがない願いを知らない。
こんなにもお前を想っているのに、
お前はそれでも笑うのだろう。
笑って「またな」と背を向けるのだろう。
俺の腕は枷となり、いつかきっとお前を縛る。
去れないお前を果ても無く抱いて、
狂ったように繰り返す。
どうか 俺の 為だけに
どうか 俺の 為だけに…
070214
『お前は、お前が、お前に』
独りだなどと、思ってはいなかった。むしろ、思ったのはお前と出会ってからのこと。
蟲の噂を聞いては旅の道を変え、蟲絡みの依頼を受けては、来いと言われた方へと向う。ただただ、そんな日々だった。漠然と海が見たいと思う事がある。山に居たいと思うこともある。里に下りて、人のいる場所に、自分も紛れていたいと思うことも…時には。
馴染みの相手は、どれも、仕事に絡む相手だけで、仕事でなければ自分から会いにいくこともなく、自分が蟲師でなくば、きっと知り合ってもいなかっただろう。
独り、だったのかもしれない。今までずっと。
川を流れる葉のように、終りない旅を繰り返し、川縁に一時引っかかるように止まっては、また流れ、また引っかかっては流れる。流れながら朽ちていく自分を、心の何処かで判りながら、流れて止まり、また流れ。
出会いはあれど、それは必ず、すぐあとの別れと連なっていて、誰かと会った途端に離れる自分。ずっとそれが当たり前だったのに、そうじゃ駄目だと、お前は言う。寄って行けと、会いに来いと、お前が何度でも繰り返すから、用が無い、と思わず告げたこともある。
お前になくとも俺にはあるぞ。
どんな用だよ。そう度々、あんたに売るような珍品はねぇよ。
誰がそんなことを言った。俺はお前に「会いに来い」と言ったんだ。
言葉を失った。意味が判らなかった。会いに? ただ、会いに? 何の為に、と聞き返した俺に、お前が言った言葉。そうしてその時の愛しむような、笑い顔。
なんの…って、お前な…。
そりゃあ…お前に会いたい俺の為にだ。
あぁ、流れていくような生き方に、一つ、目的が出来たよ。お前に会う、という目的だ。
その目的の為に、少し、自分の世界が広がったから、広い世界の只中で、自分がずっと、独りだったのだと、今はそう気付いてしまった。
危ない目にあうたびに、思わず心で呟くのだ。人間、いつかは死ぬのだ、だったらそれが今でもいいか。
けれど、そう思うたびに心が震えるよ。蟲に喰われたら、会えなくなるんだぞ。
どうなんだ、嫌だろう? ギンコよ。会いたいのだろう、化野に。
あぁ、嫌だ。冗談じゃない。また会うのだ、必ず会う。そして「よく来たな」と言わせてやるのだ。
眩しいように見るお前の目に、俺のこの姿を映してやるのだ。
そのためになら、這ってでも、お前に会いにいくよ。
この先きっと、何度だって、お前に会いに行くよ。
070606
『散り落ちる葉に』
一際強く風が吹く。涼やかなその風にもぎ取られた木の葉が、はらり、はらりと頬を撫でた。
一度会って、その後に離れれば、寧ろ己で己の足を速めて、そこから遠ざかる旅を行くのだ。そうでなければ会いたくて、すぐにも道を引き返してしまいそうで。
ああ、なんて 遠く 遠くて 遠いのだろう …
離れた道のりの事じゃない、その生き方ひとつをとっても、俺とあいつは、これほど違う。重なり合わない運命を、無理に重ね合わせるようなそんな不安がなくならない。
すぐには会えない離れた場所で、慣れた痛みが胸に刺さる。ギンコは不意にうずくまり、投げ出すように地に伏せた。
こうして疲れた体を大地に預けていても、髪に枯れ葉がかすめる音には、遠い海の音、潮の香りを思い出す。つられる様に、甘いあいつの声を思い出し、あの温もり、あの優しく強い腕を、体の隅々までで思い出してしまうのだ。
化野、お前もこんなふうに俺を思い出しては、尽きぬ痛みに息をつくのか。会えずに痛むお前の心を、こんなにも遠くで歓喜している、そんな俺を、お前は知るまい。
ギンコは落ち葉の上に、その白い髪を広げ、涙の零れそうな翠の瞳を、そっと閉じた瞼で塞いだ。
その髪に頬に、はらり、はらりと木の葉が落ちる。さらり、さらりと鳴る音に、俺の名を呼ぶお前の声が、今日も切なく響くのだ。
070704
『水底の星々』
秋空は遠く高く、深夜ともなると、空などそこに存在しないように、遥か彼方に天空が遠ざかっている。ギンコは縁側で、羽織っただけの着物の前を掻き合わせ、不意にこんなことを言った。
「なぁ…知ってるか? あそこに見える星は、本当はもう、存在しないものかもしれない、って話」
化野は熱い茶を二人分入れて、ギンコの斜め後ろで膝を折ると、何となく正座したままで空を見上げる。彼らの見上げる空は高くて、まるで夜の底を見下ろしているような気がした。しかもその夜は、ただの夜ではなくて、深い深い水を湛えたような、静かで不思議な夜。
散りばめられた星が瞬くのも、水底に沈んだ光る砂が、水の揺らぎで輝くようにも見えて…。
「…それ、俺もどこかで聞いたことがある。あれは誰に聞いたんだったか。その時は、随分と不思議なことを言うもんだと思ったよ。あそこに確かに見えるのに、もう無い、なんて、そんな馬鹿な話が」
「そう、だなぁ…」
ギンコは化野の当たり前の答えに、うっすらと笑って、手を空中へと翳している。指先が何かを追うように動いて、蟲の漂う動きを、その指が追っているのだと判った。
「確かにここにいるのにも、こうして目に見えないものもあるんだ。その逆だってあるとは思わないのか? 化野」
「…あぁ、そうか。そうかもな」
化野は反論せずに頷いて、ほんの少しギンコの傍に近付いた。触れなくとも、空気を伝わった温もりが、一番近くにある肩に届いてくる気がして、ギンコの肩先を何気なく眺める。
「寒くないのか」
「…少しな。平気だ」
「こっちへ来い。もっと寄って」
平気だと言っているのに、化野はそう言って、自分からはそれ以上近寄らすにギンコの顔を眺めた。真っ直ぐな目で見つめて、物言いたげに唇を緩ませる。ギンコは横目でそれを見てから、ほんの少し、手のひら一つ分だけ化野に近付いた。それでもまだ体が届かない。
「もっと」
「…いや、大して寒くは」
「いいから来いよ」
強引な言いように、ギンコはちょっと困ったように眉を上げ、それからもそもそと化野の方へ体を寄せた。彼の肩が、化野の胸に触れ、髪が化野の頬に届いた。そうして、すとんと寄り添って、ギンコはバツが悪そうな顔で化野の顔を盗み見る。
「これでい…。あ、だしの…っ」
いきなりふわりと抱きすくめられて、ギンコは思わず声を立てる。そのまま引きずられるように、畳の上に押さえ込まれるかと思った。過去に何度か、そんな事もあったし、心のどこかでギンコはそれを期待していたのかもしれない。
「んー? どうした。あったかいだろう」
「…ったく、お前は」
「不満か? 温めてやってるのに」
別に押し倒されたりはしなかった。ただ腕の中に捕まえられて、やんわり抱き締められただけのこと。冷えた体にはその温もりが熱い程で、頬が火照って困る。
「お前の体も、あったまってきた」
「お陰さまでな」
「そうだろう。こうでもしないと、寒くて星なんかゆっくり見てられないぞ、風邪を引く」
見上げると、天空には無数の星。
濃い藍色の水の底を見るように。
水底に沈んだ、光る砂粒をみるように。
「綺麗だなぁ」
化野が言った。
「本当はあそこになくとも、遠すぎて届かなくとも、綺麗だからいいじゃないか。お前と一緒に見ているから、なお嬉しい」
ギンコは何も言わずに、化野の腕をそろりと撫でた。遠い天空の星とは違って、ここにある温度が嬉しい。包み込んでくれる温もりが、嬉しくて嬉しくて怖いほど。
「綺麗だなぁ…」
もう一度、化野が同じことを言う。なのに、何も言わずにただ頷いて、ギンコはまた化野の腕に触れる。確かめるような気持ちで、大事そうに、そうっと撫でた。
071018
『ある旅人のこと』
道の端で切り株に座った俺に、その男は気軽に声を掛けてきた。旅装束をしてはいるが、その恰好が何処か似合わず、なんとなく体の弱そうな、線の細い男だった。
日差しの加減だろうが、少し髪が茶色く見え、その長めの髪を、片方の首筋でやんわりと結んでいる。暇でも持て余しているのか、その男は俺に水筒の水を飲ませてくれ、不意に話し始めた。
…あぁ…あんた、ここから峠と谷を、一つずつ越えたあの里から来たのかい? 今から俺もいくんだよ。高台から見る海が、凄くきれいに見える場所だけど、あんたは里の一番高いところにある家の方へは、行ってみたのか?
…そうそう、その医者の家だ。なら、あの先生は元気でやっているんだね。なに、別にそう親しいヒトじゃないよ。いや、ああいうのも親しいうちに入るかな。そうだな、とても親しいと言うのかもしれない。
…何しろ、あの先生と俺は、三ヶ月も一緒に暮したからね。
その男は斜めにこちらを見ると、遠い日を懐かしむように、淡い笑いを浮かべる。髪はやはり茶色い。本当に日差しのせいだろうか。錯覚とか、見間違いのようには思えないが。男は、ついつい凝視した俺の視線を受け止めて笑う。
…俺のこの髪が珍しいかい? これは悪い薬を、そうと知らずに飲み続けたせいらしい。生まれつきの病を治そうと、高い薬を買わされて、無理して飲んでいてこの有様だ。
…人を騙して金をとる、そういう人間にはなりたくないねえ。あのヒトに出会っていなけりゃ、こうして旅をできるような、元気な体になんか、慣れなかったよ、俺は。
…ああ、そうだよ。その高台に住むお医者だよ、俺を救ってくれたのはね。とても感謝しているし、それに、好きになったしね。え? あの里の医者は男だったって? それがどうか? 男が男を好いてちゃ、何か悪いのかい? 変なことなのかい?
竹筒の水を、男は喉を反らして一口飲んで、唇の端を濡らす雫を、男にしては綺麗な指先で、するりと拭う。その仕草や、白い喉元に、俺はちょっと見惚れてしまった。
男が男を好いて悪いか? 変なことか? と、挑むように言い放たれた言葉に、もう反論できないような気がする。男はとても綺麗だったし、それに、そこらの女より、その手の色があったのだ。
どきどきと胸を鳴らす俺の様子を、男はちらりと試すように見やって、そのまま薄い笑いを浮かべ、小さな荷物を肩に掛ける。そうして挨拶の一つもせずに、今、俺が来た方角へと歩き出した。あの里へ行くのだと、そういえば言っていたか。
会うのだろうか。会ってどうするのだろうか。あの若い医者と、この男。
旅の商人の俺は、他人の事など気にしている余裕など無いのに、この時の男の事は、随分はっきりと記憶に残った。何か売ったわけでも、買い取ったわけでもない相手を、こんなに覚えているのは珍しい。
あの里の医者は、俺の売って歩いている、どこにでもあるようなものには、まったく興味を示さなかったが、それでも、わざわざ来てくれたのだから、と、鍋を一つ買ってくれた。それから、対になった茶碗を一組と。もしや、あの茶碗は、あの先生と今の男が使うのだろうか。それで揃いで買ったのだろうか。
あ、いかん、日が暮れる。隣の里までまだあるのに、こんなところで野宿はしたくない。俺は荷物を背に乗せて、急ぎ足に次の里を目指した。妙な男に会ったものだが、それはそれ、商売には関わりも無いから、忘れてしまおうと思うのだ。
071022
… ちょいと一言 …
うーん…。あり? チビって書いたけど、ものによっては、結構長くね? 去年2月は古いけど、10月はまだ最近ですなぁ。つまりは最近になって、ブログにノベり出したということだろう。
まだまだ十匹はいたし、まだ生むと思うので、時々こうしてここに連れてきますから、可愛がってやってね。
元々ブログ用なので、内容は簡単だったり、適当だったりなんですけど、気に入ってるもの多いのですよねー。何か思うところありましたら、メルフォとかなんかで是非とも声をかけてください。
ワタクシ、皆様からの声を糧に生きており、それを栄養にして、妄想を文字に変換してます。糧と栄養がないと倒れます。パタ…。
今日は、うちのサイトの二歳の誕生日ですー。いつもありがとうございます。今後ともどうぞよろしくです。ぺこっ。
080226
blog 070214〜071011より 転載
チビ ノベル 5匹