誘い叶う … イザナイカナウ ・ 12 …
化野が先に目を覚ますと、やっぱりギンコの意識はまだなくて、ただただその腕が、手の指の一つずつが、背中にすがり付いているのを感じた。
触れている肌が汗ばんでいて熱いし、ずっと動かしていた体がだるいし、それにこの溢れるほどの幸福感は、夢などではないのだ。
化野はギンコの両腕に手を掛けて、なんとか自分の体から外させると、そのまま楽な恰好にさせてやり、間近からじっと彼の寝顔を眺めた。綺麗な白い髪。睫毛の一本一本までが、銀とも白ともつかない色で、それを見ているだけで、何故だか泣きそうになる。
捕まえられて良かった。
このまま離れてしまったら、それはもう、想像もしたくないほど苦しかったに違いない。ずっと傍にいて貰えないのは、前も今も変わらないが、それでも嬉しい。夢じゃないよな、と、つい何度も思う。
そうだ、朝餉を作ってやらんとな。
食材なんかろくにないが、今はこの家から外へ出たくないと思った。化野は彼の姿が見えるところにいて、ギンコの呼吸を感じていたいのだ。
台所へ行って、野菜篭の中をひっくり返す。漬物の壷を覗き込み、いい具合の胡瓜の漬けたのを取り出す。干肉を少しでも美味しくしようと、苦心して細かく裂いて、根菜と一緒に鍋の中へ。
それから、冷や飯より炊き立てがよかろうと、竈に火を入れてから、井戸の横で米をとぐ。なんやかやと動き回って、すぐにでも食べられるように朝餉は整ったけれど、ギンコはまだ目を覚まさない。
化野は時間を持て余し、珍品を並べた棚の前に立った。ギンコからもらったばかりの品を手にとって、そのままギンコの傍にいき、枕元に腰を下ろすと、ギンコの寝顔とその品とを、ゆっくりと交互に眺めている。
そのうち入れ物をあつらえよう。そうして俺の枕の傍にでも置いて、ギンコのつもりで話しかけるのもいいかもしれない。
そんなふうに思うと、それが尚更愛しくて、化野は指先でするするとそれを撫でた。愛撫と似た手付きで撫で続けてから、なんとなく唇を寄せてみる。唇が触れても、外側はただの木肌だから、ガサガサしているだけなのだが。
気付けばすぐ目の前で、眠っている筈のギンコの頬がほんのり赤い。眺めていると、やがて閉じていた目がうっすら開いて、しっかり二人の目が合った。
「起きてたのか。どうした、ギンコ、顔、赤いぞ?」
「な、なんでもない。起きる…」
「そうか? 朝飯、出来てるぞ。今、少し温めなおすから」
立ち上がって背中を向けようとしたら、後ろで、ばたりと音がした。普通に起き上がろうしたのだろうが、ギンコは布団の傍で、変な格好で横倒しになってしまっている。
「あ、そりゃ、立てないよなぁ。すまん、失念してた。手を貸そう」
膝も股関節も、まるで自分のものではないようで、力を込めるほど脱力する。腕を付けば付いたで、臂と手首の震えが止まらず、ギンコは畳に意味無く爪を立てていた。
「まだ動かない方がいい。何、ここに朝飯を持ってくるから、布団に入ったままでもいいさ」
「化野」
不意にギンコが彼を呼んだ。何故だか切羽詰ったような声だったから、すぐに傍へ戻って、化野は彼の体を布団の上へと押し戻す。
そうして体に触れた手に、ギンコは視線をすとんと落とし、彼はただ唇を震わせていた。言いたい事があるのだが、それが言葉に出来なくて、なんとか言おうと急いている。
「どうした? なんか、欲しいもんでもあるのか? してほしいこととか? 言ってみろ。叶えてやるから」
「……っ…」
出来るかどうかもわからないうちに、そんなふうに言い切る化野。あとで思い出してみれば、本当に困ったヤツだと思うのだが。その時は、彼の言葉に勇気付けられ、ギンコはやっと言葉を紡ぐ。
「ここに、ま、また来ていい…よな…?」
「当たり前だろう。何を言ってる」
「も、もう一度とか、そういう話じゃないぞ。だから、その…この先も」
だから
俺は、ここから旅立って
何度も、ここへ帰りたいんだ
その言葉までは言えなくて、ギンコは唇を噛む。そんな彼の頭に手を置き、ぐい、と胸に掻き抱いて、化野はしっかりと強く、その言葉を告げてやった。
今までだって言いたくて、言えずにきた言葉だ。次に会えたら言おうと思っていた言葉だ。叶えたい願い。もしも叶わなければ、きっと幾日も嘆くだろう願い。
「この先、何回でも、来て欲しいのは俺の方だ。年中待ってるから、なるべくしょっちゅう来てくれ。お前に会えなきゃ、俺はきっとおかしくなっちまう。なぁ、ギンコ、来てくれるんだろう…?」
「…来るよ」
化野の貸してくれた着物を着せて貰い、それからもう一度布団に戻り、ギンコは膝に盆をのせて、あり合わせの朝餉を食べ始める。化野も揃いの盆に揃いの茶碗や椀を並べて、ギンコと同じ物を食べた。
今日と明日、傍に居られる。けれど、その次の日には離れ離れになるのだから、時の流れを、何度も意識しよう。知らぬ間に時間が過ぎ去って、あっと言う間に別れの時が来ては、あんまり哀しすぎるから。
日が昇り、そうして緩やかに落ちて、空が朱に彩られ、やがては星々が姿を見せる。伸びた庭木の影が濃くなって縮んで、今度は薄れて、また長く伸びていく。幸せな、幸せな、長くて短い二人の時間。
いざない かなう
互いに心に秘めたまま、ずっと、ずうっと、願い続けていた想いは叶ったのだ。何もかも、思い通りではないけれど、それでもそれは、奇跡のように幸福な瞬間。
その、数え切れない一瞬の幸福を、ギンコは数えている。化野もきっと、同じ気持ちで数えている。会えない間は、きっと泣くほど辛いだろうと思いながら、二人はこの幸せを、今は静かに噛み締めているのだった。
終
え〜〜と「誘い叶う」は「いざないかなう」と読みます。これはまぁ、先生がギンコさんに対して「会いに来てくれ」と思っている気持ちが叶った。って意味でつけたんですけどね。
でもなんか、タイトルが意味不明になりそうだったので、ラストにちょっと載せてみた。む、無理やり? まあ、良しとして下さい。へこ。
二人は今回やっと、互いにそれと認める相思相愛になった!筈ですが、中々会えないし、はっきり伝え合わない奴らなので、暫くぶりに会ったららやっぱり色々と不安だったりするんだわ。
あれっ? この間はラブラブだったのに、どーしたの?とかなんとか、きっとヤキモキさせられることになるでしょう。それがうちの二人の醍醐味!?なのだろう…か?
スランプってるせいで、大したエンディングではありませんが、楽しんで頂けていたら嬉しい惑い星なのであります。ではでは。また〜。
07/09/29