異なるもの  20




 視線を上げたギンコが、いつも通りの顔で微かに笑う。眩しいような気持ちでそれを見て、化野は気付いた。

 ニセモノの目は、ほんの少しだが、彼の本当の瞳とは色が違う。違いは僅かでも、やっぱり生身の目の方が、何倍も綺麗だと思った。見ていると引き込まれそうで、化野は微妙に視線を逸らす。

 彼の白い髪を見ながら、言葉もなく、深々と化野は思うのだ。会ってから一ヶ月と少し。ギンコは蟲のことを話してくれても、自分自身のことはほとんど言わなかった。

 だから、今も、何も知らない。その目のことも髪のことも、彼の生まれた里がどこにあるのかも。

「その…目…」

 何を言いたいのか自分でも判らずに化野は呟く。ふ、と顔を向けて、ギンコは何処か、身構える顔をした。ああ、やはり彼自身のことを聞いても、それには何も答えてはくれないのだろう。化野はそう思い、思いながら言葉を繋ぐ。

「調子、いいのか? その義眼。よく出来てるようだが、生身の目の入る場所に収めるもんだし、その…体が辛い時に外したくなるってんじゃ、合ってないとこもあるんじゃないのか?」
「ん? まあ…。もう随分と古いしな」

 平気だよ。
 そんなふうに笑って言って、とうとうギンコは立ち上がる。荷物を腕で持ち上げて、それを慣れた仕草で背中に負う。その髪が風に揺られて、その瞳に遠くの海の煌きが映っていた。

 その姿を、目の中に、脳裏に残しておきたくて、化野は必死で見つめている。それしか出来ない胸の痛みを堪えながら…。表では平気な振りをするが、心の奥で本当の化野は、もう息も絶え絶えだった。

「い、行くのか…」
「…ああ、行く」

 縁側から足を下ろして靴を履き、もう数歩外へと進んでから、ギンコはそう言った上に固くしっかりと頷く。化野は縁側の端まで進み出て、ぽつりと一言だけ言った。

「気ぃ、付けてな」
「おう」

 礼の一つもないのか?

 そんな悪態が口の中で出番を待っていた。もっと喉の奥では別の言葉が、山ほど積み上がっている。

 また来い。
 次はいつ来る?
 待ってるぞ。
 判ってんのか? 俺はいつまでだって、お前を待ってるからな。
 お前が…
 お前のことが、俺は…。

 庭を抜けて道へ出て、ギンコの後ろは遠ざかる。もう数十歩も行ってから、ギンコは、ふい…と振り向いた。遠すぎて表情も見えない。もう声も聞こえない。それなのに、彼は何かを言う気なのだろうか。

 でも何も聞こえなかった。ただ笑って、それから背中を向けて、ギンコは軽く片手をあげて見せた。

「こ…の…っ」

 栓が外れたように、化野の喉から言葉がほとばしる。縁側の外に置かれた履物を片足に突っかけ、もう一方は突っかけ損ねたままで、垣根まで走った。垣根を越えるには何かが邪魔して、それ以上は行けない。それでも声だけはギンコの背中に投げ付けた。

「世話になったな、くらい言ってけ! ギンコ!」

 こんなにも遠いのに、ギンコの振り向いた顔が、随分と仰天しているのはわかった。何かを言うように、唇が動いた気がした。もしかしたら、またな…と、言ったのだろうか。

 それすらもはっきりとは判らなくて、三たび向けられた背を、ただ化野は見つめていた。その背中はさらに遠ざかっていくのに、ついさっきよりは近くなったように思えた。

 日差しが強い。その強い日差しに消されるように、とうとうギンコの姿が見えなくなるまで見送って、化野は一人、縁側に腰を落とした。何か大事なものを、あいつに持っていかれた。そんな心地がした…。


 *** *** *** ***


 風の中に混じった潮の香りが、今日は酷く眼に染みた。そういえば、あの日、ギンコを見送った時も、こんなふうだった。海は静かで、日差しは眩しく、波の上で光が煌めく。

 きっとまた来る。あいつはそんな恩知らずじゃない…筈だ。

 あてのない願いを抱いて、今日も化野は遠くを眺めている。この家に向う緩い坂道を、あの忘れようの無い姿が、いつか登ってくるだろうと、そう思いながら、海を眺めている。


                                         終














 終わりましたぁっ! まずはここまで読んでくださった皆様、本当に本当にありがとうごさいます。心より感謝致します。

 出たとこ勝負、書いてはアップの書いてはアップの、更新でございました。思えば五ヶ月半…くらいですか? そんな長い間書いていたんだなぁ。ああぁ、しんみり…。

 蟲師の世界を壊さずに書きたい。原作で、化野先生とギンコさんの間に流れる空気を、なるべく現してみたい、とか思いつつ、書いてってみれば、けっこう別人になってしまったところもあり…。

 それでも、メルフォや投票、拍手などで、このストーリーには沢山の読者様がいて下さる、そんな手ごたえを感じて、いつも幸せでしたよ。わーいっ。

 連載は終わりましたが、次の連載は、もう頭の中でかなり熟成されてきているみたいです。次を書き始めるまで、ほんの少しだけお休みいただきますが、でも十日もしたら、きっと新しいのをアップすると思うの。

 華蜻蛉のお話です。どうぞまた読みに来てやって下さいませ。これからも頑張りますっ。この連載のラストなので、コメントが長くなっちゃったですよ。いちおう、自分にも、ご苦労さまっ。

 いつもの事ながら、コメントで書ききれなかったところは、このあとか、明日、日記に書きたいと思ってまーす。ではっ。ぺこりっ。


06/10/04




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