自分でも馬鹿だと思いながら、葉柱は泥門の門柱にムカついた。ライトに照らされた、デビルバッツの部室のドアが腹立たしく、そのドアの前で、バイクを停めた自分には、悪態をつきたい気分だった。

 たった半日ほどの時間で、心を丸ごと入れ替えちまったみたいに、蛭魔が気になる。その姿を見ちまうと、目が離せねぇ。声を聞くと、他の音なんか全部、頭に入ってこなくなりやがる。

 傍に置いときてぇ。
 触っていてぇ。…まだ、ずっと。

 バイクを降りて、ドアに近付いた蛭魔は、まるで手品のように、ひらりと手を動かした。その手に、さっきまでは何処にも無かったはずの、部室の鍵。

 ドアを開けたその背中は、葉柱のことなんか、振り向きもせずにその中に消えるんだろうか。それとも「帰れ」と一言、蛭魔は冷たく言うのだろうか。

 部室の中に入って、蛭魔はちらりと葉柱を振り向いた。ただ立ったままでいる彼に、どこか焦れたような顔をして、彼は言う。

「さっき拾った服、寄越せ」
「…あ、ああ…あのボロ切れな」

 葉柱が、丸めて小さくした服の残骸を渡すと、ドアを開け放ったままで、蛭魔は奥へと入って行った。ロッカーの一つを開けて、その隅の方にそれを隠しているのが見える。

「何、突っ立ってんだ? さっさと入れ。目立つだろうが…っ」
「え…俺、入ってい」
「何度も言わすな」

 怒気の篭った蛭魔の言葉に引きずられるように、葉柱は一歩だけ中に入って、後ろ手にドアを閉じる。手のひらが、ノブについた鍵に触って、変にドキリとした。

 馬鹿か俺は。なんか、初めて女の部屋に入ったガキみてぇ…。

 そんな事を思って、葉柱は自分を笑おうとしていたのに、笑うどころじゃなかった。彼に背中を向けたままで、蛭魔がするりと長ランを脱いだのだ。それ一枚しか着ていない彼は、当然、それだけで裸になる。

 倉庫でバイクのライトに照されてた時とか、ホテルの薄暗い明かりとは、明るさが違う。透き通るようで、女みたいな白い肌。そこに幾つも見える、酷い青痣、擦り傷…。暴行の跡。

 蛭魔自身に心を掻き乱され過ぎて、忘れていたことを、不意に葉柱は思い出した。

「…お、俺のせいだろ、それ」
「あ゛?」

 勇気を出して、やっと葉柱が言ったのに、蛭魔は険悪な声で、ただそれだけ。彼は振り向きもせずに、ロッカーの中から白いシャツ引っ張り出して袖に腕を通した。

 それからベンチに座って、制服のズボンをはいて、ムースで手早く金髪を立たせた。見た目、何も無かったような、いつも通りの蛭魔に戻ると、彼は葉柱の目の前に近付く。

「お、お前がそんな目にあったのは、俺らの下についてる別のガッコの奴らが…俺の機嫌とろうとして。だから…」
「だから、何だって?」
「…その、わ、悪かっ」

 そこで彼が黙ったのは、言葉で制された訳じゃなかった。何か身振りで黙れと言われた訳でもない。ただ、蛭魔は間近で、葉柱の顔を緩く見上げている。

「ざけんなよ…。それは『賊学ヘッドの葉柱』を奴隷に飼った、俺自身のリスクだ。てめぇに謝られる筋合いはねぇ」

 不機嫌そうな最悪の顔で、そう言った癖に、言い終えた後、蛭魔はニヤリと薄く笑った。その唇の笑み。見つめる目の色…。軽く首を傾け、華奢な顎の影に、白い喉を見せ付ける。

 凄みのある、酷く綺麗な顔…。
 彼はその視線一つで、葉柱を縛るのだ。

「いいか、あいつらを懲らしめてぇとか、報復とか、考えんじゃねぇぞ。あと一回でも目立つことしてみろ。てめぇんとこは完璧に出場停止だ。…うちとぶつかる前に、消えんじゃねぇ」

 アメフト絡みだと、いっそ気持ち悪いほど、蛭魔は借りを作らない。脅しめいたことだって、いくらでもしてのける癖に、それも試合とは無関係のことだけ。

「判った…」
 
 そう言って頷いて、不意に葉柱は視線を逸らした。こんな、他に誰もいない場所で、指先一つで密室に出来るところで、蛭魔と向かい合っている事が、どうにも居たたまれない。

 さっきまでは、この部室のドアまで憎くなるほど、自分と蛭魔を阻むモノに苛立ってたってのに。今は、こうしてこのままいると、何を仕出かすか判らない自分が怖かった。

「イマイチ、信用なんねぇな」

 それなのに、蛭魔はそんな事を言って、白い手で葉柱の髪を掴む。掴んで自分の顔の高さに、葉柱の顔を引き寄せ、唇に、軽く擦るように自分の唇を触れさせた。

「約束しろよ? 奴らに会っても、拳が届く距離に近寄んな。向こうから寄ってきたら追い払っとけ。まあ…目で脅すくらいなら、構わねぇけどな。…それと」

 葉柱の髪を掴んでいた蛭魔の指が、ふっと緩んだ。キスした時のままに顔を寄せて、彼はまた、微妙な形の笑みを作る。

「口止め」

 またキスしてくるかと思った。思ったのに、蛭魔は動かなかった。細い顎を上げて、目を細めて笑いながら、唇の形だけで「ハバシラ…」と、囁きを聞かせる。

 そっちからキスしてこい、この前みたいに。
 欲しいんなら、奪っていいんだぜ? この前と同じに。

「ヒル…魔…」

 顔を微かに寄せるだけで、すぐに唇が触れた。触れる前に目を閉じた葉柱の顔が、まるで怖いことをしようとしているようにビビってた。

 まだキスに慣れてないみたいに、ただ最初は押し付けて、それからゆっくり斜めに顔を傾けて、深く…。葉柱が唇を緩め、半ばキスを解きながら唇を開くと、誘われるように蛭魔の唇も微かに開いてくる。

 舌…。舌…吸いてぇ…。

 沸騰した頭で、そんな事を思いながら、苦しそうな顔で葉柱は薄目を開けた。目の前の蛭魔の顔は、綺麗で、冷静そうに見えて、余裕無くしてる自分が、情けなくなるくらいだ。

 ちゅ…。と、そんな小さな音を立てて、蛭魔の下唇を軽く吸うだけで、葉柱は素早く蛭魔から離れる。

「言わねぇよ、誰にも」

 てゆーか、言える訳ねぇんだ。もう、奴隷どころじゃねぇ。こいつの足元の地べたに這いずる以上に、堕ちて堕ちて堕ちちまった。しかもそれが、嫌じゃねぇだなんて。

 もっと堕ちたっていい、だなんて。

「…俺の下の奴らには、蛭魔は捕まったふりして、もう逃げてたって言っとく。それでいいんだろ?」
「ああ、それでいい」

 蛭魔が返事をした時にはもう、葉柱は背中を向けていた。ドアをわざと思い切り開いて、走っちまいたいような気分で外へ出る。風が刃物みたいに鋭く冷たくて、空はもう随分明るい。

「返すぜ」

 その声に振り向くと、閉じかけたドアの隙間を狙って、部室の中から蛭魔が葉柱の長ランを放り投げてきた。

 バサリと、胸でそれを受け取って、寒過ぎるからすぐに羽織る。ボタンをかけずに、胸の前で掻き合わせると、蛭魔の匂いと消えかけた温もりを感じた。

 振り向いても、閉じたドアが見えるだけだから、葉柱は振り向かずにバイクに乗った。ここらから離れるまでは、と、吹かさないように静かに走る。そして泥門から離れたあと、どんどんスピードを上げていく。

 流れていく風景は、白く朝靄で霞んでいた。



 別にはめられたんなら、それで構わねぇ。
 堕ちろっつーんなら、堕ちてやる。
 これが罠だって何だっていい。
 罠に脚を噛まれてねぇと、あいつに手が届かねぇなら、
 俺は多分、それでいいんだ。

 欲しいもんが増えるのは、別に悪いことじゃねぇから。


                                   終











 指、ちっと痛〜っっ。でもルイヒル、書けた〜っ。もういう事を聞かない二人でっ。それだから楽しいし、可愛いんですけどもね。うふ。ともあれここまで読んでくださって有難うございましたーーっ。

 連載終わったんで、また十日か二週間くらい、アイシを休止しますですよ。でもそれからまた連載を書くと思いますから、ネタを温めて温めて、煮立つまでお待ちくださいませ。

 ところで、このセリフ、書きたかったんですよ〜。
「それは『賊学ヘッドの葉柱』を奴隷に飼った、俺自身のリスクだ。てめぇに謝られる筋合いはねぇ」

 恰好いいなぁ…。自分で書いてうっとりする、変な私ですが、このシーンは気に入ってしまいました。キスシーンも中々好きですー。もっとHくなるかなと思ったが、そうでもないね。

 あーあ、この二人の本番、書きたいよおぉ。次回連載では、きっと書くと思いますから! 待っていてくださると嬉しいっ。

 むむ、夜中の三時過ぎです。アップは明日(…いや、もう今日だが)になりますね。すいません。もう寝ます。グゥ…。


06/10/22
Trap Collection 10