Stop & Dash   3




 怖い。怖い。指が震える。ケータイのちっさいボタンを、ほんの二、三個押せば、ヒル魔に繋がる。それなのに、いや、そうだからこそ、怖い。怖い。怖い。

 今、一番俺が気になるもの。アイツ。
 一番嫌いなもの。アイツ。
 怖いものも、苦手なのもアイツ。
 
 でも、一番…好きなのも…

 目ぇ閉じて、ボタンを押した。掛かってきた電話に、そのままリターンコール。聞こえてくる音。

 トルル トルル トルル

 やだな、なんかこれ、俺の心臓の音みてぇ。アイツが出たら、きっとその瞬間にこの音は途切れて、俺、倒れちまいそうだ。

 トルル トルル トルル トルルル

 早く出てくれ。そう思う。罵りたきゃ、罵っていいから。このまま放置は、もう嫌だ。その時、突然…トルルが止まった。でもなんの物音もしねぇんだ。どうにかしてくれ、死にそうだよ。

「ヒ…ヒル魔…?」
「………」
「ヒル魔、だよな…?」

 ひでぇ、この無言。切りもしねえ、何にも言わねぇ。こんなの一番、不安になる。一番、こういうのやめて欲しい。何言ったらいいか、頭の中ぐるぐるして、そうしてポロリと、葉柱は言った。

「ヒル魔…俺、あ、会いた…」

 ドキン、て、心臓が跳ねた。
 何言ってんの俺。よりによって告る?!
 このセリフったら告ったも同然。あー、もう駄目。
 一回目のチャレンジは玉砕でバラバラ。
 どうせバラバラなら、破片なんて残さねぇで、もう粉々になっちまえ。

「こないだ言ったの、本気だからッ。俺…ヒル魔が、す…」

 …って、え? なんか、あれ? 声、反響してる? 夜の病院の中が静か過ぎて、響いてんのか。いや、違う。反響じゃない。これは…。

 判った途端に病室のドアが開いた。細く開いて、そこからその隙間よりも細い影が入ってくる。尖がった髪が、シルエットになって、部屋に入ってきた姿が、だんだん葉柱の目に見えてくる。

 ヒル魔は片手で、見慣れないケータイを握ってて。それがガタリと床に落ち、ゆっくり回りながら部屋の隅へと滑っていく。床にぶつかったその音は、葉柱の手にしているケータイからも聞こえた。

「…なんで病院いんだ? てめぇ……」
 怒りに震えたヒル魔の声が、かすれながら零れる
「頭にボール当たって、パイクでコケただけだろーが。気ぃ失って、糞賊学の手下どもが、慌ててこんなボロい病院に運んだんだって?」

 そうだ。誰も救急車で運び込まれたなんて言ってねぇ。バイク事故起こしただとか、車に突っ込んだとか言ってねぇ。入院ったって、ただの検査入院だから、そりゃ見舞いもいらねーわ。俺の見たバイク事故の情報は、別の県のだったんだ。

 要するに検索ミス。見間違いと勘違い。

 気が動転してて、そんなことにも中々気付かなかった。馬鹿で下らないミスに、ハラワタは煮えくり返ってるのに、ヒル魔の目は、薄暗いこの病室で、葉柱の姿を貪るように見ている。

 何処も怪我はないのか。本当に大丈夫なのか。事故じゃなくてボールぶつかっただけで、バイクでコケただけの、人騒がせな検査入院で、間違いはないのか。

「手ぇ、邪魔…っ。ホールドアップしやがれ! いや、腕上げる前に、服、前開けろっ」
「えっ?! わっ、判った。判ったからっ」

 銃を突きつけられて、まるで葉柱は銀行強盗に脅されてる銀行員だ。

 服の前を開けさせ、両腕を上に上げさせ、ヒル魔は葉柱の体を上から下までじろじろと見る。部屋が暗くてよく見えないから、つかつかと窓まで歩いて、白いカーテンを大きく開けた。

 顔、腕、胸、腹、足。あぁ、ほんとだ、何処にも怪我とかねぇし、包帯とかしてる様子もねぇ。

 険しくしてたヒル魔の顔が、その時だけ一瞬、安堵に緩んで本音が見える。開いたカーテンの向こうから差す、遠い街灯の灯りで、葉柱からはヒル魔の顔がよく見えたのだ。

 心配で心配で、青ざめていたその顔。そして今は、ほっとしたせいで、薄く紅潮していた。それがあんまり綺麗で、見惚れながら葉柱はぽつりと言う。落ちたケータイ拾って渡して、それからもう一つ。

「…頼みが、ある」
「なんだよ」
「なぁ、これ、持ってて。そんで用事あったら、呼べよ」

 差し出された白いケータイ。ヒル魔はまるで、憎い相手でも見るように、そのケータイを凄い目で睨んで…。だけどその後、そろりと手を伸ばしてそれを受け取ったのだ。

「…ケ…ッ。折角、賊学どもみんな、奴隷じゃなくしてやるっつってんのに、これ、俺に持たしたら、お前だけまた奴隷になんだぞ。いーのかよ?」

 悪魔な笑いのその顔に、ちらりと戸惑いが揺れたのなんか、きっと見間違いなんだろう。

「い、いいぜ…いつまででも」
 お前に毎日会えるんなら、奴隷でいるのが何より幸せ。

 二歩、ヒル魔は前に出て、片手を葉柱の胸に置いた。シャツ一枚ごしの彼の指は、何故だか少し冷たくて、その指が、ぎゅ…て、葉柱のシャツを握ってくる。

 その指を意識してるうち、ヒル魔はちょっと喉を反らして、葉柱の唇に、自分の唇を押し付けてきたのだ。淡く触れた唇が、ゆっくり動いて、まるで何かを呟いているみたいな…。

 O  Re  Mo  Da  …  ?
 何、それ、意味、わかんね。
 俺も、って言ったの? 何が?

 そのまま口づけは深さを増して、葉柱は無意識にヒル魔の首を支え、目を閉じて淡く貪り、激しく彼の背中を抱いた。痩せた背中の感触に、欲情寸前の渇きを覚える。

「契約、成立…。じゃぁ、お前、まだ暫く俺の奴隷な? んで、もう検査いらねー。すぐ退院。下にバイクあったぞ、俺を送ってけ」

 ウザい奴隷は、遠ざけてたら頭ん中で余計にウザい。それに、俺、こいつのことが、たぶん…。いいや、もう絶対に、そう。だから「俺もだ」って言った。ワザとよく判んねぇように、フェイク混じりの本音を一つ。

 消えないこいつの存在感。消せないこいつへのキモチ。消しちまえる可能性、ゼロパーセント。だったら無駄な努力はしねー。せいぜい利用するだけだ、こいつのキモチも、俺自身のキモチも。

 らしくねぇけど「スキ」の原動力は、結構侮れねぇ。



                                 終







 あーうー。ほんとに「らしくねぇ」やね。でも、そろそろいい加減に、ちょっとは進展してほしかったから、良かったのかい? ここから先も、きっとラブラブにゃーならんと思うけど、恋人へと一歩前進!という事で。うふ♪

 絶縁状態のピリオド。かと思ったら、そのストップ状態から、いきなりダッシュで「ヒル魔」さんの「俺もだ」発言。聞こえない言い方なのは、まぁ、勘弁してもらうとしてな。あーぁ。乏しいダッシュだ。ヒル魔さんの恋の40ヤード走は、難易度最強、障害物レースだね。とほー。

 こんなラストですいませんっス。 


08/02/22