朧、夏祭り   3




「しつけぇヤツ」

 狐の像がいきなりそう言ったように思えて、葉柱はぎょっとした。でも、そう言ったのは勿論、石の狐ではなくて、さっきの売り子。つまり、ヒル魔だったのだ。

「て…っ、てめぇが妙なことするからだろうがっ。ヒル魔なんだろう」
「…ヒルマ? 知らねぇな」
「その面、取れよ!」

 手を伸ばして、今度こそ葉柱はそいつの腕を捕まえた。乱暴かとは思ったが、逃げられないように引き寄せて、すぐ傍の木に背中を押し付け、自由を封じてから、そいつの顔を隠す狐の面に手を掛けて奪い取る。

「…ヒル魔じゃねぇか! てっめぇ、やっぱずっと俺をからかって遊んでやがったんだろうっ!」

 そう言って怒鳴りながらも、現れた彼の顔を見て、葉柱は内心でどきりとしている。その白い顔、いつもと同じに赤い唇。ワックスとかで立たせてなくて、さらさらに流したままの金の髪。

 ヒル魔はヒル魔だ。それは彼が思った通りだったが、祭りの灯りすら遠く離れたこの場所で、月の淡い光だけに照らされた顔が、妖しいほど綺麗で、幻か夢なんじゃないかと思えた。 

「金魚」
「は…?」
「そんな振り回して、金魚が可哀相だっつってんだ」

 面をむしり取られて、怒った顔で葉柱を睨みながら、ヒル魔はそう言った。言われた事ももっともで、葉柱は無言ですぐ傍の木の枝にビニール袋の紐を結びつける。

「なぁ、こんなとこで何やってんだよ、ヒル魔」
「金魚すくいの売り子やってた。てめぇも見た通りだろ。俺はヒルマじゃねぇけどな」
「…いい加減…っ」

 思わずカッとなって、葉柱はヒル魔の浴衣に手を掛けた。両手で両方の
襟を掴み、そのまま乱暴に左右に開くと、さっき見つけた紅い跡が、薄暗がりの中でもはっきり見える。

「これ、俺の付けた跡だって覚えてんだろう。つい一昨日だからな、てめぇを抱いたの」
「何言ってるか、判んね…。…っふ、ぅ…」

 鎖骨の下の跡に、噛み付くようなキスをした。左右に剥いた浴衣をそのまま肩から落として、白い両肩を曝させ、指で胸の突起を弾いてやると、ヒル魔は葉柱に押さえつけられたままで、びくりと肌を震わせた。

 感じた顔を見られたくなくて、葉柱の肩に顔を伏せ、首筋に歯を立ててくる仕草。逃げたがりながら逆に腰を寄せてくるヤバイやり方。どれもこれも、みんないつものヒル魔の体の反応で、愛撫しながら葉柱は彼を睨んだ。

「いつもみたいに呼べよ。糞奴隷って! てめぇにそう呼ばれねぇと、なんか落ちつかねぇんだよ」
「……くく…っ」

 ただ、喉の奥で笑って、ヒル魔は体を反らす。彼はいつの間にか地面に座らされ、帯だけは解かれずに、胸も脚も曝して、曝した場所全部に、濃厚な愛撫の雨を浴びる。

 キスと愛撫に肌を濡らして、快楽に湿った悲鳴を上げて、それでも彼は葉柱を呼ばない。胸にも喉にも紅い印を付けられて、それどころではなく、足にも、太ももにも、愛撫の跡を刻まれ、開いた体の奥深くを熱いもので抉られて…。

「…ヒル魔」

 散々ヤって、その後で、精液まみれのヒル魔の姿を見下ろして、葉柱はまた彼の名前を呼ぶ。呼ばれた方は、それには返事をせずに、やんわりと笑って言ったのだ。

「てめぇ、金魚、ちゃんと飼えんのかよ?」
「…判んね。そんなの飼ったことねぇ。祖母ちゃんは、飼える自信が無いならやめなって、生き物を簡単に連れて帰るのだけは、許してくんなかったし」
「じゃあ、やっぱ、没収な」

 その言い方と笑い方は、やっぱりヒル魔そのもので、葉柱はとうとう切なくなってきてしまう。

「ヒル…魔…」

 なんで、ヒル魔だって、言ってくんねぇんだ。
 なんでいつもみてぇに、糞奴隷、糞カメレオンって言わねぇんだよ。
 言いたくねぇの? 俺の方はこんなにお前を呼んでんのに。
 俺にそう言うのが嫌なのか? 呼びたくねぇのか? 
 なんでだよ、なんで…。

 ヒル魔はそんな葉柱の想いを知っているのかどうか、酷く汚された体を、綺麗な臙脂の浴衣の袖で、適当に拭い取って、辛そうな顔して立ち上がる。

 呼び止めたって、どうせ振り向いてもくれないだろうと、座ったままでぼんやりと見送っている葉柱。ヒル魔は枝に結びつけた金魚の紐を解いて、それを指に引っ掛けたままで、祭りの灯りの方へ歩いていく。

 浴衣もろくに調えないまま、ヤベェもんで汚れた裸足の足のまんまでだ。遅れてそれに気付いて、葉柱が引き止めようとした時、祭りの明かりの中から、二つの小さな影が出てきたのだ。

 それはさっき、葉柱より前に金魚すくいをしていた幼い兄弟。耳を澄ませると、妹の方が泣いている声と、兄が慰めている声が聞こえてくる。

「金魚さん…っ、欲しかった、よぉ…っ」
「ごめんな、お兄ちゃん、ヘタクソで。かわりにこの、貰った絵の金魚さんで我慢。なっ。来年はぜったい、ぜったい金魚さん、とってやるから」

 リリーン…と、子供の手元で涼やかな音を鳴らしている、硝子で出来た綺麗な風鈴。男の子は、妹の目の前にその風鈴を揺らして、必死で慰めているのだった。

 透き通る水色に、紅い二匹の金魚が泳ぐ、風鈴に書かれた可愛らしい
絵。

 葉柱は、二人の子供、そして子供に近付いていくヒル魔の後ろ姿を眺めながら、何度も鳴り響く風鈴の音を聞いていた。

 リリーン

    リ … リリーン

       リリリー … ン …


 気がつけば、目の前にヒル魔がいた。ヒル魔は指に風鈴を下げて、木の根っこに座りこんだ葉柱を見下ろしている。

「生きてるのが駄目でも、この金魚なら、てめぇでも大事に出来んだろ。……糞奴隷…」

 そのまま体を屈め、顔を寄せて…。二人の唇が触れ合う。ヒル魔の指に絡んだままの風鈴の糸は、目に鮮やかな紅い色をしていたから、葉柱も黙って、それに指を絡めた。

 キスよりも、やっと糞奴隷って呼ばれたのが嬉しい。
 糞奴隷って呼ばれたよりも、風鈴の糸が嬉しい。
 その糸が、綺麗に紅い色をしていたのが嬉しくて仕方ない。

 
  リリーン …

 
 風鈴の音が鳴っていた。

 それを聞きながら、いつの間にか葉柱は、祭りの明かりの中に戻っていた。浴衣を貸してくれた例の出店の前で、仲間達が心配そうな顔で待っていた。

 浴衣の出店は、とうに店じまいして帰ってしまっていて、葉柱の長ランは仲間が預かっていたが、結局、浴衣やなんかの代金は払えなかった。

 浴衣も帯も下駄も、そして金魚の絵の硝子の風鈴も、葉柱は大事に持っている。暫く経ってから、一度、風鈴を窓に下げて、その部屋にヒル魔を呼んだが、あいつは勿論何も言わない。 



 リリーン リリーン

 と、

 窓辺で風鈴の音がなる。

 その音と共に、あざやかな記憶が心で揺れる。
 暑い夏の日の、普通の午後。
 恐らくずっと忘れない。
 そんな大事な思い出だ。





                                     終











はーい、このノベルは二日掛かりましたが、でも殆ど今日書いたのです。不思議な話を書きたいなぁって、思いながら書いたら、書いてる私まで不思議世界にどっぷりでした。

この話はいつ頃の話か判らないから、あとでじっくり考えてみます。というか、あのヒル魔さんは、本当は誰だったんでしょうね? き、狐かもしれませんよ? 素敵な狐だ。ふふ。

このノベルは実は、もこ様からのリクエストーっっっっv 素敵なリクエスト、ありがとうございますっ。貰った瞬間は、ぎゃあぁ、難しいっ、と思ったもんですが…やはり難しかったのですよ、とほほぃ。

だけど、とても楽しく書けました。ありがとうございます。もこさん、どうぞ、お受け取りください。よかったらまたキリ番狙ってね。


07/05/19