… 熱 …
「十時丁度に、正門前にタクシー一台。手下に任せねぇで、てめぇで来いよ。判ってんな」
忌々しい声が、耳に押し付けたケータイから響く。声はそのまま脳天に刺さって、いつまでも葉柱を苦しめた。他人から指図される苦痛に、プライドが軋むのが判るのだ。
タクシーと言う名のパシリを、黙って何度もやらされる葉柱を、手下達が物言いたげに見ている。少なくとも、苛立ちを押し隠す葉柱には、そう思えて仕方ない。
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十時まであと数分。言われたとおり、正門前にバイクを乗り付ける。だが、葉柱は門の陰にバイクを停め、一人歩いてデビルバッツの部室に向った。もうグランドにも、校舎にも人の気配が無い。
小さな建物にだけ、ポツンと明かりが灯っていて、その明かりは、彼の見ている前で、ふっと消えた。開いたドアから、細い人影が滑り出るのが辛うじて見える。
「…早ぇじゃねぇか、糞奴隷。バイクはどうした?」
そう、この忌々しい声。近付くと、闇の中にやっと蛭魔の金の髪が見えた。さらに一歩踏み出して、リーチの長い腕で、蛭魔の制服の襟を捕らえ、コンクリートの壁に背中を叩き付ける。
ほんの一瞬だけ、顰められる顔。だが、その後にはもう、何も起こっていないような表情で、蛭魔は唇にガムを膨らます。何も言わないその唇が、酷く気に障る。視線がそこから離れなくなる。
「やってらんねぇっつってんだよ」
薄い明かりの中で、蛭魔はただ笑っていた。馬鹿にされた気がして、葉柱はもう一度、蛭魔の襟を乱暴に掴み上げた。今まで、どんな屈強の男でも、葉柱の鋭い視線一つで怯んだのだ。それなのに襟を掴まれ、壁に追い詰められても、蛭魔の顔は変わらない。
膨らんだガムがその口元に割れて、蛭魔はそれを再び口の中におさめ、舌先で唇を小さく舐めた。ガムを噛むために動いている口が、そのついでのように、葉柱に聞き返す。
「…ほぉー? で、どうする」
何も持っていない蛭魔の手が、気配もさせずに、すっと上がって、葉柱の体に触れてきた。脇腹の辺りを軽くなぞられ、思わず視線をそこに下すと、笑いを含んだ声が聞こえる。
「てめぇは、本当に腕が長ぇな。…もっと、こっちに寄んねぇか。腕が回せねぇ」
「な、に…」
言葉が凍り付いて、口から出てこなくなっていた。至近距離の蛭魔の顔が、闇に近い光の中で、いつもとは違って見えるのだ。引き寄せられるように、また一歩、葉柱は蛭魔へと近付く。
「…奴隷は嫌だっつってるわりに、言うこと聞いてんじゃねぇか。ああ?」
蛭魔の声まで、いつもと違っているのは、彼の耳がどうかしてしまったせいなのかもしれない。息が掛かるような距離で、蛭魔が吐く言葉は、あまりにいつもと変わらない。
「バイクは? 正門か…? 手下は来てねぇんだろうな。それも俺の言いつけ通りだろ?」
蛭魔ばかりが続けて口を開き、言葉を忘れたように、葉柱はそこにいるだけだった。視線を逸らす術も忘れた。脚を動かす方法も。遠くにある街灯の明かりは、あんなにも弱々しいのに、薄闇の中に浮かぶ蛭魔の顔も首筋も、女のように白かった。
視線は葉柱の瞳に置いたまま、蛭魔は口の中のガムを地面に吐いて捨て、やんわりと笑って、そう囁いたのだ。
「……してぇこと…していいんだぜ? 葉柱」
その言葉は、まるで引き金。引っ掛けた指で、蛭魔は無造作に引き金を引く。それで撃ち殺されるのは、葉柱の方だった。
唇が重なったからだけでなく、息が変に苦しい。奴隷以下の存在に引きずり落とされたのだと、心のどこかで把握した。それが命じられたからしたことなのか、それとも望んでしたことか、考えるのが恐ろしい。
ただ、唇が…舌が…、蛭魔を抱いた腕が、欲しがって…この男の体を離さないのだ。
悪い薬に酔うような気分で、蛭魔の口腔を貪る。淫らな音がなって、その音に激しく欲情した。無意識に抱いた蛭魔の腰は、あんな乱暴なスポーツをしていると思えないほど華奢に思える。思い切り抱くと、ポキリと音を立てて折れそうだ。
あまり体温を感じない蛭魔の体が、少しばかり熱を持った気がして、それを意識した途端に、理性はブチ切れてしまう。もう修復出来ないくらい、ズタズタに。
「蛭魔…」
離れた唇が、すぐに蛭魔の首筋に吸い付いて、血が滲むくらい強く吸った。そうした途端に、冷めた声が聞こえる。あの忌々しい声が…。
「これは、てめぇが望んでしてることか…?」
「なっ…誰が…っ!」
「てめぇの望みじゃねぇんなら、これも俺の命令ってことだな」
蛭魔はにやりと笑って、言葉を続ける。
「じゃあ、この続きは…次にパシリに呼んだ時だ。ぼさっとしてねぇで、バイク取って来い、糞奴隷」
葉柱は、罠にはまり続けているようなものだった。今日のこの一瞬に、罠の種類が変わっただけだ。より複雑でたちの悪い罠に、すり返られてしまった。
自分がたった今まで貪っていた唇から、目を離せない。やっと無理に視線を外すと、今度はその舌の感触が…唾液の温度が脳裏を埋める。
「さっさと行けよ」
蛭魔はそう言って、ポケットからガムを取り出す。葉柱が、憎しみと動揺の混じった顔で、正門へと走り出して遠ざかった。ガムの包み紙を解き、それを口へと運ぶが、蛭魔の手はふと止まる。
ガムではなく、ガムを挟んだままの指先が、自分の唇に触れてなぞった。それから薄く唇を開いて、舌先に触れてみる。その口元に、何とも言えない表情が浮かんだ。
「命令ってより…」
何か言いかけた唇に、蛭魔はガムを挟み込む。バイクに乗った葉柱の影が、爆音と共に、やっと近付いて来た。唇だけではなく、蛭魔の首筋に付けられた跡にも、疼くような熱が残って、それは長いこと消えてはくれなかった…。
終
書いてしまいました。アイシー、ルイ×ヒルでございます。ただいま、もっとも惑い星が愛を注いでおります彼の小説は、ショートシーンのも含めて、四本目になるのかなぁ。
でも、愛が強すぎるのか、どんなふうに書いても納得がいく気がしないんです。ああ、こうじゃないのよ、と思いつつ書く葛藤と、不安。でも好きなんですもの、書きたいですよね。
ルイは、ヒル魔に魂を囚われたひとりの男として、とても共感が持てるのと同時に、ちょい嫉妬してしまいたくなりますよ。かなりイってますよね、私。幸せだけど。
このストーリーは、突発的に書いたもので、実はこれとは別に、ルイ×ヒル話のネタはいろいろあったりします。書きたいですねー、それも。その時には、もっと「らしい二人が書きたいですし、もち、ベッドシーンが書きたいですよ。
キスだけかいっ。欲求不満! と思っているのは、作中のルイだけじゃなく、私もです。夢で見そうですね。(是非、見たい!)
06/05/05