fallen leaf… 3
時々、夢でもみじを見る。ガラにもない夢で、大抵は起きて数時間で忘れる夢だ。どこかのだだっ広い公園。何本か立ってるもみじの木が、どれも全部、真っ赤に紅葉していて、散った後のそれが敷き詰められて、地面はどこも赤く燃えているようだ。
そこに、聞き慣れた音が響いている。だがそれも、夢で聞いて、そのあと目を覚まして、すぐに忘れてしまうから、それが何の音だったかも、本当はどんな夢だったのかもあまり思い出せない。実はそれがただの夢じゃなく、ずっと昔に彼が見た情景だったなんて、気付くことも無い。その日までは…。
「さみ…。今日は随分冷えてんなぁ」
いつも通りにバイクのメンテをして、それからゼファーを表に押して出す。その後、路上に凄まじいエンジン音が響くが、通行人は誰もこっちを見ようとしない。
まーな、いっつも無駄に凄んでるんだし、そんな態度にぴったりの、ワリと怖ぇ顔してるって自覚もあるし。ヘタすりゃナイフ振り回すしってことで、ヒトが俺のこと遠巻きにすんのなんか、もうとうの昔に慣れっこだ。
それで真っ直ぐ、刺さるような目で俺を見る奴のことが、最初の最初から気に触ってて。今はそれが、俺、あいつの奴隷なんデス、だなんて、ジョークにもならねぇけど、残念ながら本望だ。
あー…。
今頃、どうしてるんだろ、あいつ。
目指した試合に近付けば近付くほど、ヒル魔のスケジュールは練習とデータ整理で埋め尽くされて、いつからか、さっぱり呼び出されなくなった。毎朝毎晩だったタクシーにも呼ばれず、行き帰りはどうしてんのか。
まさか、もう、別の奴見つけてそっちに乗り換えてたりとか…。
ざわっ、とするような嫌な想像に震えた。気付けばエンジンはすっかり温まってて、なのにずーっとバイクの横に立ち尽くしてて、溜息ひとつ付きながらゼファーのシートに跨る。後ろに乗せたい奴のことが、頭ん中から離れない。
固めて立たせたヒル魔の髪が、それでも風で乱れてて綺麗で、そんなのを毎日見てたのが、酷く遠い遠い、凄く昔のことに思えてきた。そんな気持ちを振り払うように、バイクのスピードを上げた。
風は冷たい。頬がすぐ氷みたいになる。黒髪が耳元で揺れて、あぁ、あれはいつだったっけ、ヒル魔がその髪を後ろから伸ばした手で触れた。バイク転がしながら、ちらっ、と振り向いたら、あいつ、見たこともない顔してたんだ。
なんてぇの、うっとり…って言ったら言い過ぎ? でも、そんな感じだったから、次の信号で停まった時、ついついまじまじとあいつの顔見ちまったっけ。そうだ、それを最後に、俺はあいつに呼び出されなくなったんだった。
俺、なんか悪いこと、したんだろーか。
どうすりゃ戻んの? あん時みたいな俺とお前に。
もう、堪んねぇんだよ、会いたくて。会いたくて。
ここを過ぎた次の交差点で、右に曲がったら泥門の方。だからいつも、そっちを見ながら、バイクは直進。呼ばれてもねぇのに、行ったりしたら、なんか酷ぇこと言われる気ぃするし。そもそも何か用事があるわけでもねぇし。ただ、息苦しいほど会いたいだけで。
いや、違うか。今、息苦しいのは風が強いからだ。ほら、赤ばっかりの葉っぱが、左側の、だだっ広い公園に、見事なくらいに散り落ちてる。広い空間を囲うように、四方にもみじの並木。真ん中には少しずつ離れて三本立ってて、それが全て赤い紅葉。
どっかで見たような光景。どこで見た? あぁ、そうか。よく見るあの夢でだ。ガラにもねぇ夢。赤いもみじだなんて、心象風景ってのか、こーゆーの。あれはこの公園を夢で見てんのか? それも変な話だけどな。
いつもは右を見て過ぎる交差点を、だから今日は左を見て行き過ぎ…ようとして、俺の視線は一箇所に釘付けになってしまった。
金色。黄色いイチョウとかじゃねーんだ。本当の金色。見慣れたその綺麗な色が、降りしきる赤い葉の中に、ちらりと見えた。見間違いじゃぁない。焦っていきなりブレーキを掛けたから、危うくスリップするところ。
傾いだ体勢立て直そうとして、軽く地面に付いた足が擦れる。きっと靴底が減ったろう。でも靴底なんて、減ろうが穴が開こうがどうでも良かった。大事なのは、あの綺麗な金色。俺のバイクのバックシートで、いつも揺れてたあの金色。懐かしい色、愛しい色、大事な大事な俺のご主人様の。
バイクに乗ったそのまんまで、俺は公園の入口を探す。ぐるりと、チェーンが回されてて、歩きなら跨げるが、バイクじゃそう簡単にはいかない。なんてぇ意地悪なんだと、広い公園の回りを、半分くらい回っていて、あいつの視線が、俺を追っている気がして。
あぁ、あいつ、俺のこと見てる。あの目で見てるんだ、俺を。
そう思ったら、もう、我慢の限界を超えた。
普通にバイク転がして越えられねぇなら、飛びゃぁいいってこったろう。
ばぅん…ッ。弾んだゼファーのタイヤ。俺の手足みたいに、こいつはちゃんと命令を聞く。狙ったチェーンを見事に越えて、あとは真っ直ぐヒル魔の元へ。そうだ、ヒル魔だ。会いたくて会いたくて、もう変になりそうだったお前。だけど、見つめる視野で立ってたお前は、唐突に斜めになり出して…。あれ?
その後の衝撃。ぱっ、と舞い上がるもみじの葉。そのあと暗転した視界。
濡れた落ち葉が厄介のは、しっかり判ってたんだけど…。あんまり一生懸命にお前ばっかり見てたから、水溜りに敷き詰められた真っ赤なもみじに気付いてなかったんだ。転んだのなんか、何年ぶりだっけ…なぁ。
そうして俺は、また夢を見てたことに気付いた。
どこかのだだっ広い公園。何本か立ってるもみじの木が、どれも全部、真っ赤に紅葉していて、散った後のそれが敷き詰められて、地面はどこも赤く燃えているようだ。そこに、聞き慣れた音が響いている。それはアメフトボールを蹴る音。
真っ赤なもみじの降る中で、凄ぇ細っこい体のヤツが、ぽきん、って折れそうに細い足で、一人でボールを蹴っている。ボールは馬鹿みてぇに、変な方向へ飛んでって、蹴ったそいつの思い通りになんか、ちっとも飛んでないのが判って。
なにアイツ、へったくそ。
俺もアメフト、教わり始めたばっかだけど、
それでも俺の方が随分、うまいみてぇ。
見たことねぇヤツ。同じ年くれぇかなぁ。
見たのは、それ一度きり。そいつはボールを蹴る練習を、ずうっとやってたみたいだったのに、俺が遠くから見てるって気付いたら、蹴るのをやめて、一度だけ、パスを投げた。だぁれもいない方向、もみじの木の枝と枝の小さな隙間に、鋭く見事にボールを通して。
うわ、すげぇ、って、あん時、思ったっけなぁ。
俺、まだ小学生、だったっけ? ずうっと、忘れてた。夢の中でだけ思い出してた。それでもって気付いてなかった。髪の色こそこんなに変わってっけど、顔はまんまだし、綺麗な細ぇ脚なんかも、あんまし変わってねえのにな。
そんなに前に、俺、お前と…。そっか、それじゃ、こいつと初めて会ったのは、高校になってからなんかじゃ、なかったんだ…。
夢から覚めて、目を開くと、すぐ傍の古びたベンチで、ノートをペラペラ捲ってるお前。きっと作戦とかなんかが、びっしり書いてあるだろう。起き上がり、華奢な脚に視線流して俺は言う。
「お前って、キックは、ヘタクソなまんまで…。ってッ!」
ゴツリ、と銃のグリップで殴られた。目の前が真っ赤になるほど乱暴に…。じゃなくて、この赤いのはもみじか。
「やっと思い出した癖に、余計なこと口走ってんじゃねぇ」
「…お前、判ってたの」
「たりめぇだ。会った途端に判ったっての。こんな人間じゃねぇみてぇな腕やら舌やらしたヤツなんか」
そんなこと言ってるのに、ヒル魔は笑ってる。ノートを捲る指が細くて綺麗で、風に揺れる髪が綺麗で、その背景のもみじの赤も綺麗で、なんか泣きそうだった。俺は俺が思うよりずっと、お前に会いたくて辛かったらしい。
そうして、俺は泣きそうついでに、怖くて聞けそうもなかったことを、勢いで聞こうと思った。
「なぁ、俺」
もう、送り迎えに、呼ばれる事もねえの?
もう、いらねぇ? 別のヤツ見つけた?
タクシー以外でも、なんでもするし。
キスさせてなんて言わねぇ。寝たいなんて言わねぇ。
だから、傍にいさせて。
言葉が絡まって、どれも言えてないうちに、ヒル魔がパタリ、とノートを閉じる。
「てめぇの大事なゼファーが、転がったまんまだぜ?」
「あ、うん」
「起こしたら?」
「あ、うん…」
「神社で向かい合ってるヤツかよ、てめぇは。舌の長ぇ変な狛犬?」
こっちは頭ん中グチャグチャなんだ。そんなムズカシーこと言わねぇで。
それから、何だか長い沈黙。ぱらぱら、ぱらぱら、赤い葉っぱが次々落ちてる。ヒル魔の見てる前で、俺はようやく立ち上がり、言われた通りにゼファーを起こした。
白のガクランの裾に、真っ赤なもみじが一枚くっ付いてるのを、すとん、と視線落としたヒル魔が見て、手ぇ伸ばしてそれを剥がして捨てる。
「じろじろ、見てんじゃねーよ…」
「…え。わ、判った」
「判ったんなら、いい。明日からまた送り迎えタクシーな」
「う、うん…っ」
すげぇ嬉しいのに、なんかどう言っていいか判らなくて、馬鹿みてぇに「うん」って言った。バイクの後ろにヒル魔乗っけて、しばらくぶりにニケツで走る。真っ赤に染まった公園を、ちゃんとチェーンの無いとこ見つけて抜けて、道路を走り出してすぐのこと。
後ろから手が伸びて、さわさわ、って、俺の髪を撫でた。どきどきしたけど、振り向かなかった。触れられたその瞬間に、さっきの「じろじろ見てんじゃねー」の意味が判ったから。
「てめぇも触りてぇかよ」
「……え…」
信号待ちで停まった時、そんな声がはっきり聞こえた。凄いこと、いきなり言われた気がして、即答する勇気も出ない。
「やっと昔のこと、思い出したからな、お前。ご褒美、欲しくねぇ?」
「ほ、欲しい…」
「じゃあ、行き先変更。ホテル」
ばぅん…ッ。意味もねぇのに、ゼファーは小さく跳ねた。俺の心みたいに、こいつも浮かれてるんだ。
赤いもみじの中のヘタクソキック。言ったら怒るからもう言わねぇけど、それもこれから、俺の大事な宝ものの記憶だ。ホテルのベッドの上で、こいつの脚にキスを降らせたかった。
ヘタクソキックにも、愛こめて。
終
難航しましたが、結構楽しんで書きました。二人がずっと以前に出会っていた、ってのは、書きたいテーマの一つでしたから、書けて満足。しかし、二人の最初の出会いは、ヤツラ幾つだ? その頃からヒル魔さんパス上手? 突っ込みはなしの方向で。苦笑。
そういうわけで、ルイヒルファンの方々に、気に入っていただけるとこが一つでもありますように。それにしても、タイトルだけ、恰好良すぎですか? ま、気にすんな。
08/11/09