kiss game





   カタカタカタ カタタタタ カタタ

   カタタタタ カタタタ



 さっきからずっと、その音ばかりを聞いている。
 椅子に座ってテーブルに肘を付いて、横を向いたまま、葉柱はずっと何も言わずに、どれくらい時間が経っただろう。

   カタカタタタタタ カタタ カタ

 最初は何となく、その音に苛立ってた。その作業があるばっかりに、ここで待たされてるとか、そんなふうに思っていたからだ。

 でも今日は、いつものように横柄な命令口調で、ここに呼び出されてきた訳じゃないから「待たされてる」のとも少し違う。呼び出しがないから自主的に来た自分だから、待たされていても仕方ない。

 そうじゃなくて、ここにこうして座って待たせて貰えることが、実は結構幸せな事なのだと、葉柱は気付いてしまった。零れそうになっていた溜息とともに、ちょっとだけ暇な思いを飲み込んで、彼はちらりと主人を見る。

 自分と彼しかいない、がらんとした部室。マネージャーが余程の綺麗好きなのだろう。散らかっている場所は少しも無くて、ちょっと落ち着かないほどの整然さ。

 その綺麗な部屋には、そろそろ夕暮れの光が広がり始めている。

   カタタタ カタ カタタタタタ



 まるでピアニストみたいに、綺麗に動く綺麗な指。アメフトなんて、あんな乱暴で野蛮なスポーツもないってのに、ヒル魔の指はいつも綺麗だ。

 爪も、勿論そう。十本全部が綺麗で、夕暮れの色のせいか、今は薄桃色を通り越して、その爪はオレンジっぽく見える。

 薄い金色の髪は、そりゃ染めてるんだろうけど、元々の色なんじゃないかってくらい、ヒル魔の色白の顔に似合う。肌は凄く白くて、どんな炎天下にいても、こいつは日焼けなんかしないんだって、気付いたのはいつ頃だったっけか…。

 華奢過ぎるくらいに見える腕。肩幅もあんまりなくて、脚の細さったら、フィールド走りまくってるあの強靭さの方が、実は嘘なんじゃないかって思えるくらいなんだ。

 着痩せとかじゃなくて、ホントに本気で細いんだって、そりゃあ、一緒のベッドで絡み合ってりゃ判る…。あの脚を腰に絡みつかせられた日にゃ、それだけでイっちま……。って、何考えてるんだ、俺。



 一人で色々と考えて、葉柱はいつの間にか顔を赤らめていたらしい。モニターから顔を上げたヒル魔が、呆れたような目をして、斜めの視線で彼を眺めていた。

「あ。お、終わったのか…っ?」
「そう簡単に終わんねぇよ。さっきから、やたらうるせぇしな、てめぇのその視線が」

 本当にうざったそうに、ヒル魔は眉をしかめている。手元のコーヒーの缶を持ち上げて、既に空だと気付いて忌々しそうにしてるから、葉柱は自分のコーラを彼の方へ押しやった。

 開けてもいないコーラは、ちょっと温くなっていたが、特に気にしないで、ヒル魔はそれを手にして口を付けた。礼の一つも言わないで。

「…見てるくらい、構わねぇだろうが。駄目かよ」
「ホントにただ見てるだけならな。妙な妄想してんじゃねーよ。この発情カメレオン」
「しっ、してねーよっっ」

 葉柱の反論なんか、ヒル魔は聞いてる様子もない。

 椅子を立って壁際の棚の前まで行き、彼はプリンターとノートパソコンを一本のケーブルで繋ぐ。一番下の棚に片脚を乗せ、その片膝の上に抱えたままのパソコンを操作して、何枚かプリントアウトした。

 それからテーブルに戻って、ヒル魔は無言でその紙を葉柱の前に差し出すのだ。いつの間にか手にしていた電卓と一緒に。

「オラ、そんな暇なら、これ縦に全部足して、足した数で割れ。一番下のあいてるとこに出た数書いて、それ終わったらこっちの票は横に全部足して…」
「カっ、平均出せって言やぁいいだろ。そんくらい俺だって」

 見ても意味なんか到底判らない、ただ数字がぎっしり並びまくった表。こんなの電卓使わなくたって、パソコン上で計算できるだろうに、嫌がらせか、コイツ。

 それでも「嫌だ」とか「やんねぇ」なんて言ったら、帰れと言われそうで黙ってるのは、要するにただの惚れた弱み。使えないとは言わないが、電卓なんて慣れないもんと、格闘することになろうとは。


 カチャカチャカチャカチャカチャ カチャカチャカチャ

 カチャカチャカチャ


 デカい体を縮こまらせて、数字の羅列を足していく葉柱。手が大きくて指もそれなりゴツイから、それほど大きくない電卓を打つのは、ちょっと大変そうに見える。


 カタタタ カタ カタ カタタタタ カタタタ カタ

 キーを打つ音が鳴る。

 カチャカチャ カチャカチャカチャ カチャカチャ

 電卓を叩く音が響く。


 だけど実は、キーボードを打つヒル魔は、片手でキーを弄んでいるだけで、全然モニターなど見ていない。その視線は、こっそりと葉柱を眺めて、その一生懸命な顔を鑑賞している。 

 見てると、だんだん眉間に皺が寄ってきて、いつも面白い顔なのに、いつも以上に面白い。

 面白い顔の周りで揺れる髪。俯いて作業するには、ちょっと邪魔くさそうな、半端な長さ。あの髪は何故か水のように冷たくて、首筋とか鎖骨の辺りに擦れると、いつだって背筋がぞくぞくくるんだ。

 あのデカい手はキライじゃない。手のひらの熱い温度が気に入ってる。腕とか足首とか掴まれると、なんかエロい気分が高まって、妙な声を出しちまいそうで油断できない。でもその緊張感も、実は悪くない。

 日が傾いたからか、部屋の中は少し暗くなっていた。オレンジ色だった夕の光は、既にくすんだ赤色に変わり、その赤が葉柱の瞳の中まで深く染めて見える。

 ちょっと、吸血鬼みたいで不思議だ。こんな目をしたコイツに、もしも首筋を吸われたら、血が減ってく気がしてふらついちまうかも。

 だけど本当はいつも、あんまり強く見つめられると、ポーカーフェイスを忘れそうで、実は困ることがある。いつだって、叫ぶような目をして、俺を見る葉柱。

 欲しい欲しい欲しい、
 奪いてぇ奪いてぇ奪いてぇ、
 ああ…何で俺だけのもんじゃねぇんだよ、お前
 こんなにこんなに、欲しいのに。


 馬鹿だからな、てめぇは。などと、苦笑混じりにヒル魔は思った。欲しい欲しいって、そんな、無我夢中になってるから、こんなに距離が詰まってるのに気付かねぇんだろ。

 カタ カタタ カタ タ

 カタタ
  
 カタ


 ヒル魔の見ている前で、葉柱はくしゃりと顔を歪め、そのデカい片手で自分の片目をコシコシと擦った。そういえば、目が疲れるだろうか、夕暮れに染まったこんな場所で、細かい数字なんか凝視させて。

「おい、もうい…」
「終わったぞっ! 検算もしたし、完璧っ」

 自分に向けられた、そのガキみたいな笑い顔が、今までで一番眩しくて、ちょっとの間、ヒル魔はリアクションもせずに黙っていた。

「どーした、ヒル魔?」
「あ、ああ…いや、何でもねぇ。…見せてみな」

 そして五秒、六秒。渡された紙をただテキトーそうに眺めて、すぐにヒル魔は答えを出す。

「合ってんな。時間掛かったワリに、一箇所でも違ってたら、罰ゲームくれてやるつもりだったのに、残念」
「…てめぇな……」

 パソコンですぐ答えが出せる…とかじゃなくて、こいつなら、この程度、暗算でOKってことかよ。マジで嫌がらせか? 

「電卓使えるハチュウルイってのも、珍し…。そういや、てめぇの名前、ハバシラルイって、柱んとこ、読み方変えりゃーまんま、ハチュウルイなんだよな」

 ケケケと笑って、ヒル魔は他愛のないことを言う。そんなもんは自分でも判ってたし、それをネタに軽口聞いた奴らを、片っ端から半殺しにしてやってた、ヤンチャな時代もあったっけ、なんて、懐かしむ余裕もあるくらいだ。

 今気付いたのかよ、って、逆に笑い飛ばしてやろうかと思った途端、今度はワリと耳慣れない事を言われちまう。

「お前んとこ、実は、二人目の子供は女の子がいい、なんて思ってたんじやねぇのか? なんとなく、女の名前みてぇじゃねぇ?」

 そしてヒル魔は、くるりと椅子の向きを変えた。葉柱の方を向きながら、彼は妙に間をあけて、やんわりと笑って言う。

「……ルイ…」
「…っ」

 別に自分の名前なんか、好きでも何でもなかったけど、こうして気まぐれにでも、ヒル魔に読んで貰えるっていうなら、これからきっと、大好きになっちまう。

「ヒル魔…」

 葉柱は、椅子からゆっくり立ち上がり、にやけちまいそうな頬を無理に引き締めて、ヒル魔へと手を伸ばした。だが、ヒル魔は途端に冷たく突き放すように、パソコンの方へ視線を戻してしまう。

「この線からこっちに踏み入ったら、しばらく呼ばねぇ。てめぇのアドレス、ケータイから消してやる」

 あんまりなことを言われ、葉柱はグッと詰まって手を引っ込めた。

 でも、この線ってどの線? 疑問符付きで床を見ると、ヒル魔は長くて細い脚を伸ばして、その爪先で葉柱の立っている位置に、横に長く線を引く仕草。

 この長ぇ腕、伸ばしさえすりゃ、ヒル魔の肩とか捕まえられるけど、強引に引っ張ったりしたら、それこそ機嫌を損ねて、アドレス消去だろう。それだけは絶対嫌だ、死んでも嫌だ。

 情けない顔して項垂れてると、ヒル魔は開いたノートパソコンから視線を離し、もう一度葉柱の方へ向き直る。

「線、踏み越えなきゃいいっつったぞ」

 そうして人差し指でちょいちょいと、ヒル魔は奴隷を呼び寄せ、自分も椅子に座ったままで、彼の方へと身を乗り出した。

「物欲しそうな顔、し過ぎだろ、てめぇは。…キス、だけだぞ」
「キ、キスだけ…」

 ドキ…っとさせられる、その声、その言葉。

 キスだなんて単語、ヒル魔の唇から聞くことなんて、あんまりねぇから、それだけでヤケにエロチック。彼は自分で引いた線ギリギリまで葉柱に近付き、そうしてニヤリと笑う。

 キスだけ。

 本当にキスだけして、そのまま離れることが、互いにとって大変だと判っていても、それでも軽くキスしてみる。

 もっとこの先が欲しいと、体が焦れて、心が焦れる感じが、ヒル魔は嫌いじゃなくて。自分以上に焦れる葉柱を感じるのが、彼にとっては、それだけて欲情するほど心地いい。

 自分を想う葉柱を、否応なく巻き込んでおこなわれる、それは、ヒル魔のギリギリの遊び。とても迷惑なゲームなのだった。
 


                                     終












  酷いよ、ヒル魔さん。散々、電卓打たせて、それって本当は必要なかったんでしょっ! とかいって、多分、葉柱さんもそんなことは重々承知。それでもやってあげちゃうあたり、地味にイチャイチャですかい? 違。

 ヒル魔さんに見惚れる葉柱さんを書いて、ついで?に葉柱さんに見惚れるヒル魔さんも書いちゃいました! んで、オマケに葉柱さんの事を「ルイ」と呼んでしまうヒル魔さんも付けて!

 なんか…葉柱さんにとっては、とても豪華なオマケだったらしい。

 二人がこのまま、エッチに突入するか、しないかってのは、想像にお任せするとします…が、惑い星的には、なんかもうちょっとヤって欲しいです。キスまで寸前の、なんもやってない話なので、今回は羽マークとしましたよ。


07/04/18