遠 雷





 いつだかはっきり聞いてもいないのに、その日の遠雷を、あたしも何処かで聞いてた気がした。そもそも雷のことを、梅は言ってたろうか。聞いた覚えもありゃしないのに、胸の遠くに、ちらり罅が入るみたいに、綺麗な金色の光が空の向こう傷つけてた。

 一味の金を盗んで、女を身請け。

 それはどこかで聞いた話のようで、なのに遠くの雷みたいに聞いてたかった。音もろくすっぽ聞こえないみたいに、ほぅら、あんなに遠く。こっちになんか来やしないから、何にも心配、いらないよねぇ。

 なのに胸に、ちらりと入った、その罅みたいな雷の色は、墨の奥にあかあかと灯る火種のよな色をしててさ、放っといたって消えやしない。そうして知らない間にさ、余所へと移り火するんじゃないかって。

「どしたい? 今夜の酒はうめぇ酒じゃないのかい?」

 いつも通りの色男の顔が、いつも通りに口元に笑いを浮かべて、あたしの方を見てた。いつも通りに皆で店に集まって、楽しいひと時の筈なのに、あたしは楽しい顔をしてなかったんだね。

「…そんな時も、あるのよ」

 何の言い訳も出来てないこんな言い方、政を相手じゃ出来ないねぇ。そんな時とはなんであろうか、とか、きっと聞いてくる。イチさん相手だから出来る。こんなふうに言って、そのままぼやかしておける。そうかい、って、やっぱりただ軽く目を閉じて、イチさん、あたしに酒をすすめなかった。

 がらがら。

 こんな夜更けなのにどっかで大八押す音だろか。それとも、立て付け悪いどこぞの家の戸の音だろうか。橙色に燃ゆるよな、墨の奥の色。遠くの山の上で、空を裂いた雷の色。

 いつかあの雷は。

 いつかあの雷が。

 そうだったら、あたしは…。

「足元、見なよ、暗ぇから」

 あたしの下駄の爪先が、小石をこつんと蹴って、イチさんが後ろから言った。梅の店から提灯借りて、あたしの足元を照らしながら、そう言った。あたしの足と一緒に、白い足首のイチさんの足が、ほんり灯りに照らされてる。

 遠くの雷のことなんか。見えない先のことなんか見てたりするより、
 今こうして傍にある、イチさんの、あたしと並んだ足が。

「…今日のお酒も、うまかった」
「あぁ、そうかい。よかったな」

 こうして踏み締める、浮世の酒だ、美味くないなんて筈はないんだ。イチさんの隣でイチさんに、松に、お絹ちゃんに注いで貰って、梅の料理をつっつきながら、気遣い顔の政の顔を横目にしてさ。

 心配そうな顔しなくったって、
 呑み過ぎたりしないわよ。
 溺れたりしないわよ。
 遠く遠くで雷色した、
 良くない夢、なんかにはね。
 
「おいしかったねぇ」

 からり、下駄を鳴らして数歩先行き、振り向いて、イチさんの顔を見た。ふ、と瞼伏せて笑う顔が、お月さんみたいに白くって、いつも通りの顔だと、思った。












白楽の追手。そして銀太、紋次、仁。彼らのことを、頭の隅に思って書いたりしました。冒頭から入っている雷は、梅と仙吉のアニメのシーンから。勿論あの時雷がうんぬん、なんてこと、梅も御隠居も話したわけじゃないと思う。おたけさんがその雷を知ってるわけないですけど、まぁ、こういう書き方をしたかった。のです。

久々のさらい屋、難しいけど楽しく書けましたv 良いことです。
 



14/02/09