刀はなくとも





 なくとも、おのれは強い、などと、欠片も思ってはない。勿論そうだ。あれはだからある意味、比喩であったかもしれぬ。変わらず、とも言った。この腰に、二振りもの刀を帯びていた時と、何も変わらないのだと言う意味だ。

 弥一殿は、不思議と、わからぬと言った顔はしなかった。聞き返しもしない。あれは、理解したというわけではなく、ただ、すとん、とわたしの言葉を聞いたものだろうと思っている。

 すぐに続けて、皆のことを言ったから、弥一殿の心の中を、あの時言ったわたしの言葉が、すうっと通り抜けて、疑問など浮かぶべくも無かったのか。

 それとも、驚きよりも疑問よりも、もっと別の感情で、弥一殿の心が全部、埋められていてこそ、だろうか。

 西へと向かう間、危険は無かったなどということはない。それは体に傷を受けた弥一殿の、容体が危うかった、ばかりではなく、良からぬものに狙われて、あわや、ということも、一度、二度。

 どのようにして、それを切り抜けたか、と?

 財布を放った。それしかありはせぬ、と、疑われれば着物を脱いで、真実有り金はそれのみと明かした。苛立った夜盗二人に、棒で背を幾度か打たれた。弥一殿の上に覆い被さり、弥一殿にはけして棒が当たらぬようにと、這い蹲ったその背を。

 今一度はその数日後のことで、同じにしようとしたら、弥一殿は、怒ったのだ。前に出て庇うわたしの背、打たれた痛みのまだある背を、こぶしで殴り、退かせようとしながら、弥一殿自身が、その懐に忍ばせた短刀を手にし、凄まじい気迫を持って、わたしの後ろから。

 怯んで、悪人は去った。

 よかった、と言い掛けて振り向けば、弥一殿は、随分と目を見開き、浅い息を吐きながら、境内の、石畳の上に膝付き、怒って、いるようだった。

「怒って、ござるのか?」

 言えば、眉根を寄せて何か言い掛け、けれど言い掛けた言葉を弥一殿は飲み、代わりにこう言ったのだ。

「…武家言葉、やめたんじゃねかったのかい…?」
「あ」

 短刀を放った弥一殿が、何か言い訳をしようと、体ごと向き直ったわたしの体の、両肩掴む。そうして、ぐるり、と、無理にでも後ろを向かせ。

「政…。心の臓が、いくつあっても…足りねえ…」
「なんの話で」
「まだ、こんな」

 後ろから、私の二の腕を掴んだままで、弥一殿は私の背に、身を寄せ身を重ね、ぴったりと隙間の無いほど、添うた、のだ。
 
「熱、持ってるんじゃねえか、おめぇ」

 そうして弥一殿は、私の左肩の上に額をすり付け、暫しじっと、していた。どく、どくと跳ねるように感じたのは、弥一殿の心の臓の音だ。今にも外へ飛び出しそうで、確かにこの動悸は、怪我と疲労を抱えた身に、随分と酷であろうと、そう…。

「弥一殿」
「……ん…」

 問い返したような、喉奥からのその一音が、聞き間違いだろうが、何処か甘えるようで、こちらの心の臓も何故か跳ねている。

「某」
「ふっ、くく…、何がそれがし、だ」
「あ」
「簡単なことのように言っておいて、その実」

 これかい? と含み笑う声が、直に肩に、そうして首筋には、息が。ややあって弥一殿は、私の肩を突き放すように、とん、と勢い付けて身を離す。追い抜いて先へ数歩行った、弥一殿の声が、どこか楽しげに、聞こえた。

「違えられてやいねぇ。確かに…おめぇは」

 持ち金は盗られるし、身の安全は如何にも危ういが、何より易くは守れぬものは、守られている。真綿ですっぽりくるまれるように、新たに傷ひとつつけられること無く、ぬくぬくとあたたかく。











一巻からこの八巻まで、作中の言葉を一つ選び、そこから思い浮かべた話を書く、というのを、ゆっくりゆっくりやってきましたが、これにてとうとう最終巻まで書き終えることが出来ました。よかったなぁ、などとほっとしております。 

長編はまだ続いておりますので、五葉作品書きおさめ、などではないのですが、なんとなく「ここまで細々とだけど、書いてきたなぁ」などと言う気持ちに。ありがとうございます。

(読み返して誤字など直しつつ、ちょっと、甘かったかしらん? と)

2016/02/07