どうだ 満足したか
どうだ、満足したか。
と。その時、何か胸に、すぅ、と風が差した気がした。
素性より、人柄をと、そう答えた言葉を忘れたいるとは思えず、ただ一瞬声が、出なかった。知りたいのは人柄だと申した筈、などそう言えば、どのように言葉が返ったか。ただ何も言わぬ背か、何かを見抜いて知っているような顔を、されたように思えて。
場を繋ぐように言葉を吐き、けれどすぐに言い澱み、空へと放つような声を聞いた。
過去はどうでもいい。
今の方が好きだ。
そう思って過ごしたい。
だから今を楽しむと、そう言った言葉が、己の今を語ったように思えず、寧ろ手を伸ばし、伸べていても届かぬ願いであるように。降り出す雪を見上げる姿が、また、どこか遠く。
降る雪片の、やわい軌跡。見えぬ風になぶられ、揺らぐ様。地に落ちて消えるその儚さを、見ぬように、上を、上を。
梅殿の店へと足先を向けた時、そうかい、と先に桂屋の方角へと行った背に、何かが見えないものかと、暫し見送った。いったい何が見たいのか。素性より人柄。己で確かに言ったものを、ならば過去など知らぬでも。見せぬ内など知らぬでも。
けれどふと思った。イチは行ったか、ちゃんとご隠居に会ったのかと、そう確かめて笑む梅殿の顔に。
隣合っているようで何処かが離れ、傍にあるようで障子の向こうの、影であるかのような、触れそうで触れない、その遠さ。もう少し、あとほんの僅か、微かにでいい、近付きたいような。阻む何かを、取り払いたい …ような。
素性は、過去だ。生い立ちであり、ずっと重なり重なりしてきた記憶。それらは全て過ぎ去ったものでありながら、そのものを形作る欠片でもある。はっきりと、知りたいのはそちらだと告げた、人柄でさえ、そこを経て作られたものなのだ。
だから、知りたいと思った。
他ならぬ、弥一殿のこと故、と。
ひと月の間、賑わしい街中を離れ、飛び来る鳥の声、風の音、囲炉裏で炭の鳴らす音、庭に枯れ葉の舞う音を聞き、そうしながら思っていたのは、弥一殿のことだった。
そう、人の持つ事情について、
振り払えぬ過去について、
其れ故の心情について、
もしも何かを負うているなら、
それがどれほどのもであろうと、
分かち合いたいと。
不思議だ。こんなふうにこれまで、人を思ったことがない。実妹や実弟ではなく、親や親族でもなく、ほんの少し前に知り合った、まだほんの僅かの重なりの、行きずりのであった筈の人と、人。某と、弥一殿。
だから、知りたいと思う。
これは他ならぬ、某自身のこと。
某のこれからのことでさえ、あるような。
今一度、もしも聞かれたら、別の答えを返すかもしれない。知りてぇのは人柄かい? 素性かい? 脅すような、あの深い眼差しで見据えられても、勇気がもしも振り絞れれば。
某が知りたいのは、弥一殿の人柄。
けれど、知りたいだけ、弥一殿は見せては下さらぬ故、
その人柄を作った素性をすら、知りたい、と…。
あの日の直ぐに消えた、儚い白い雪片のひと欠け。美しい花の如くのひとひらが、某の袖にふとのった。息を詰め、解かさぬように身動ぎせず、歩をさえ止めて見入るのへ、ふと近付いた弥一殿が、いたずらのように顔寄せて、ふ、と吹いてそれを解かした。
つまらねぇよ、政。
言葉にされぬ声を、確かにその時耳にした。
つまらねぇよ。
これ以上の俺の素性など。
見えぬ過去など、
戻らぬ過ぎた日々など、
どうしようと、
もう取り返しのつかぬものなど。
見ねぇでいいよ、
政、つまらねぇよ。
終
うん、つまらねぇ、話かもしれないっ。書きたいことが自分でも曖昧で、オノ氏の描く世界はほんとぉ〜〜〜にっ、難しいですっ。ちゃん!
14/03/05