腹が減ってりゃ
腹が減ってりゃなんだって美味いぜ。
聞いた声はそれが最初だ。思い出すとなにやら面白く。さらに記憶を掴み引き寄せる。見下ろす顔の薄笑いに、あの時は何も思わなかった。逃げた己をそこまで追ってきて、茶屋から携えてきた団子と、蕎麦を馳走してくれた、その故も。
好きなように喰う、それが江戸前。
そんな小さくなるこたぁねぇだろ。
背筋を伸ばせば、強く見えらぁ。
志が高ぇから。
例え、その場限りの言葉でも、ほんの半刻かそこらの間に、そんなふうに言われて。思えば、嬉しくない筈もなかった。
頼みがあって。
俺を守って欲しいんだ。
頼まれごとには、さらに心が浮き立つ。頼られるのとは違ったろうが、それでも、自分に向けたそんな言葉を聞いたのは、いつ振りだったのか。
それ故。
それ故あの時、久々に抜いた刀の、構え、走らせた刀の、己でも驚くような、冴え。でもその少し後に知れた真実は…。
拐しを生業としている。
賊だ…。
あまりと言えばあまりの、天から地へと、の心持ち。が、今思えば、あれは。あの時の弥一殿は、多分。それにしても、まったく容赦のない。
「く」
傍らで、小さく笑う声がした。それきり声は聞こえず、振り向くと、団子の包みを手にした弥一殿がそこにいる。外から戻ったところらしく、ひょい、と屈んで包みを開き、美味そうな団子のひと串を、つ、と、こちらへ差し出して、ゆら、ゆらと目の前で揺らし。
弥一殿は言った。
「思い出しちまった、最初ん時をさ。あんときのおめぇときたら」
く、くく…と、肩を少し揺らして笑う。
「あんまり面白ぇから、いろいろからかったけどな」
色々脅したり、驚かしたり、からかったり。悪かったよ、面白がって。などと今更のように、しかも悪く思っている様子もなく、詫びの真似事。
「酷いでござるな」
そう言って、差し出されたひと串を受け取り、頬張る。あの茶屋の団子の味によく似て思えるのは、回想のせいか。
「比べて今のおめぇは、結構ないい男になっちまってな。あの頃みてぇにからかい甲斐がなくって、つまらねぇよ、政」
時間はあるさ、と、そう言ったのに。
ほんの短い間に。ほんとに俺を。
守っちまって、なぁ?
「蕎麦でも食いに行くか? それとも、梅の店の二階で酒でも?」
「二階…。などあったでござろうか、今の梅殿の店に」
「…ねぇかな、そういや」
と、言う弥一殿の声は、咀嚼途中の団子のせいで、くぐもって聞こえ難かった。
終
13/12/27