「…ん」
目を、覚ましたのは、真夜中と言うより、明け方に近い頃合いだった。
元より、眠りはとても浅いのだけど。
直ぐ傍らで眠る男を起こさぬよう…彼はそっと、身を起こした。
尤も、彼とは対照的に、男は一度眠るとそうそう起きやしないのだけど。
薄暗い中、視線を流せば、枕元に盆。
伏せた盃と、水差しの乗った。
小さく、彼の口元に、笑みが浮かぶ。
カラカラの喉を潤す為に、用意された盃と水差しに手を伸ばしながら。
『そいや、最初っから…か』
胸の内で、彼は小さく呟いた。
「化野センセイ?」
戸を叩く音に応じて、出て来たのは、まだ若い男だった。
よれよれの、しかし仕立ての良さそうな藍の着物。
癖の無い黒髪は、寝癖だろうか、一箇所だけ跳ねている。
そうして、片眼鏡を嵌めた顔は、予想していたよりも、ずっと若かった。
海辺の里に住む、変わり者の医家。
風変わりな物、稀少な物に目が無くて、気に入れば金に糸目をつけない。
そんな、噂を聞いて訪ねた先。
てっきり、もっと、年経た好事家だと思っていた。
或いは、件の医家の弟子か何かだろうか、そう思って疑問形で呼びかけた。
「そう、だが、君は?急患では…無さそうだが」
戸惑った様子で、瞬きながら、男が問いを投げ返してくる。
小さく笑い返して、彼は頭部と顔の下半分を覆っていた布をずらした。
此方の様子を、窺う視線が、僅か揺れる。
瞬き、意味無く口の開閉を繰り返す。
どうやら、噂は、ただの噂ではなかったらしい。
「あぁ、医家なアンタにではなく、珍品好きなアンタに用があってね」
微かに、首を傾けて、幾らか見上げるようにして続ける。
「お邪魔しても?」
珍しい…らしい眸で、見返し更に言葉を重ねれば。
「ぁ、あぁ、勿論、構わんよ」
幾らか、上擦った応えが返された。
散らかってるが…と、通された部屋で、荷を下ろし、腰を下ろせば、不器用な手つきで茶が出された。
向い合う形で座った男は、しかし、どこか落ち着かぬ様子で、彼の苦笑いを誘う。
別に、とって喰いやしないのに…と。
ごそごそと身じろぐ男を、眺めていれば、幾度か咳払いをして。
「それで、俺に用…と云うのは?」
「何、変わった薬を、幾つか手に入れたんでね。買って貰えないかと思って」
平静を装い、問いかけてくるのに、小さく笑みを返し、傍らに置いた荷を引き寄せる。
薬包を幾つか、大きさの異なる薬瓶も、幾つか。
引き出しから、取り出したそれを、一つ一つ指先でなぞり、戯れるよう玩びながら薬効を説明する。
何れも、一般的な薬のようで、少し違うところのある、薬。
「俺が持ってるより、医家のアンタが持ってる方が、役に立つだろうし」
そう、付け加えながら、最後の一つを指先で弄ぶ。
「とは云っても、容易くは信用出来ないだろうから…一つ試してみてから、で、どうだ?」
掌に納まる程の、小瓶。仄かに薄翠に発光する、液体の満たされた。
クルリっと、指先で回転させながら、口端を引き上げる。
「普通にスルより、気持ちイイらしい。俺と、で良ければ…だけどな、どうする?」
カチリ、視線を合わせて。
ゴクリと、男が息を飲み込むのを確かめながら。
にいやりと、口端を引き上げて云った。
水差しの白湯を、盃に移し渇いた喉に流し込んだ。
押し殺しきれなかった声のせいで、カラカラの喉に、温い白湯の柔らかさが心地好く浸みる。
含みきれず、口端から零れたのを、指先で雑に拭いながら、傍らで眠る男を横目で見下ろす。
彼の喉が、カラカラに渇く程、好き勝手してくれたとは、到底思えない顔で眠る男の呑気な寝顔を。
いっそ、幼くさえ見えるその寝顔とは、裏腹に。
久しぶりであったのも、一因なのだろうけど。
尤も、思いがけぬ程、気持ちよかったのは欲得ずくで誘った最初から変わらず。
その時から、枕元に水差しと盃は、気遣いよろしくマメに用意されていたのだけど。
小さく、口端を引き上げて笑み。
盃に残った白湯を飲み干した彼は、傍らで眠る男へと身を傾けた。
終
「A Planet」の未来 恵さんが書き下ろして下さいました、LEAVES10周年祝いのお話です。二人の出会いと、なんとそのままお初となっただろう記述が?! 出会ったばかりの相手の口にのって、すぐ寝てしまうような、そんな化野先生…であるのに、不思議とこの化野らしさはどうだろうか。
ついつい欲に流されても、気遣うことは忘れていない、一種アンバランスな優しさに、ギンコも惹かれたのかもしれませんね。だからこうして関係は続いているのだろうな、って。
身売りも常であろう、ギンコの生き方も垣間見せながら、二人の出会いシーンとお初シーンの残り香までっ。うふふふふ、御馳走さまでございました。大変に美味でしたv 未来さま、ほんとうにありがとうございます。惑い星、幸せ者ですよ♪
いつもツイッターで遊んで頂いていますが、今後ともLEAVESと惑い星をよろしくお願いしますねv またツイートで言葉遊びやリレーなど致しましょう。あれ、とても楽しいです。などと私信もチラリ。
未来さんもこれからも沢山の作品を生み出して、そして私に見せて下さいね、未来さんの蟲師ワールド、楽しみにしていますよ♪
16/03/05